白血病児への普通小学校の洗礼〜6年生編 その2〜

6年生の3学期、息子は学校の6時間が終わってから夜9時ごろまで塾で勉強とかは体力的にももちろん無理だったので、校区の公立の中学校に行くことが決まっていました。

言葉の暴力

私立の中学校の入試前でイライラしている子どもさんも増えて来ていたと思います。言葉遣いも乱暴になって来るし。

息子は小学校3年生まで入院していたので、周りは先生含めみんな大人ばかりです。もちろん小児科なので子どももいますけど、人数的には断然大人の方が多かったです。そんな人たちは病気の子供に対してそこまで強い言葉を言うわけもなく、どちらかというと気を遣って優しく話しかけてくれます。

でも元気な普通の小学生はそんなことはありません。日常的に「アホ」「馬鹿」「下手くそ」「死ね」とか言って来るわけです。その言葉の暴力になかなか馴染めなかったっていうのもあったと思います。いや、馴染む必要は全く無かったわけですけど、でもそれが日常的にみんながなんとも思わず使っているとしたら馴染むほか仕方がないですよね。子どもって何気に残酷な生き物なので。

小さな嫌がらせの積み重ね

他にも、調理実習の時は排水溝のゴミの掃除を毎回押しつけられるとか、友達は楽しそうに遊んでいるのに食器とかの洗い物は大抵1人でやらないといけないとか。それから教室や廊下を少し走ると「えー?走られんがじゃなかったがー?」とか言って来たり、夏に半袖を着ていると「半袖は着られんがじゃなかったがー?」って言ってみたり。要するに体育はずる休みしてるって言いたかったんでしょうね。
「僕、ズルしてないのに…」と時々悔しそうに言っていたのを覚えています。
一つ一つを取り上げると小さなことですけど、そういった小さなことが少しずつ少しずつ積み重なっていくとやっぱりしんどくなると思います。

それから担任の先生もそうでしたけど、やっぱり見た目が元気そうなので病気と思われなくて。普通に元気な子どもさんと同じように出来なかったら怒られる…みたいな。

そんなこともあって、ある時から「やっぱり◯◯中学校に行きたくない。江ノ口に戻りたい」と頻繁に言うようになって来ました。よくよく聞いてみると嫌がらせを先頭に立ってしていた男の子も同じ中学校に行くらしくて。卒業が近づくにつれ、それはある意味恐怖だったと思います。

中学生といえば思春期真っ盛りの頃です。みんながみんなという訳ではありませんが、世間に対してイライラしてる子どもさん、多いですよね。そんな中に白血病が寛解してるとはいえ、まだみんなと同じように出来ない子どもが入って行ったらって考えると…。「トロい」「どんくさい」「下手くそ」「死ね」そういった暴言が聞こえて来るような気がします。ライオンの檻の中に素手で飛び込んで行くようなものですよね。
そう考えると息子の不安な気持ちは痛いほどよくわかります。

白血病の再発

そんな時、白血病の再発が分かりました。骨髄までの再発はなかったので、今回は抗がん剤治療だけでしたが、それでも入院をしなくてはいけません。
再発が分かり、入院が決まった時に息子が言いました。「これで◯◯中学校に行かんで良くなったね。江ノ口に戻れるね!」って。本当に嬉しそうに笑っていました。

息子の中では普通小学校に通ったこの2年間っていうのはものすごくしんどかったと思います。楽しいことはもちろんあったとは思いますけど、それよりも辛いことの方が多すぎて。
20歳を過ぎて再発したあとで、学校の話とかしていても、小学校の時の話だけは出て来ませんでした。息子曰く「暗黒の時代」だったみたいです。それぐらい辛かったんだと思います。

でも私たちは本当の意味でそれを分かってあげられませんでした。私も夫も学校には普通に行けていたから。そこに順応出来る普通の元気な子どもだったから。
私たちに出来ることはただただ見守ることだけでした。

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