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もしもこんなものにライナーノーツが付いていたら。

遥か彼方の昔より、先人の手から手へと受け継がれるものがある。それは伝統であり本来その価値は普遍的なものなのだが、哀しいかな伝統は受け継がれていくプロセスのなかでいつしか手垢にまみれ、時には蔑ろにされ、今や形骸化してしまったものも多い。

しかし、そのネガティヴな流れに楔(くさび)を打ち込むべく、満を持して登場したのがこの『桃太郎』の再発盤である。とりわけそのコンセプトの完成度からも名作と誉れ高い作品だが、ただの再発ではない。作品の繊細さを一切壊すことのない、見事なまでなリマスタリングが施されていることに今回の再発の意味と質というものが見えてくる。

元々一大コンセプト・アルバムとして比類無き完成度を誇ったこの作品を如何にして現代に蘇生させるのか、事前にはその結果を危惧、或いは疑問視する声が関係者のなかで圧倒的多数を占めていた。僕もそのなかの一人だったということを正直に告白しておく。しかしどうだろう。あまりにも冒険的な作業を経て完成したその全貌はモダンなエッヂを随所に盛り込んで、見事にこの現代空間で静かに呼吸していたのである。実に刺激的な佇まいであった。

今回の見事な成果を、如実に物語っている箇所を幾つか紹介しておこう。
まずコンセプトの起承転結の"起"の場面で聴ける、「昔々あるところに…」というあまりにも有名なフレーズはよりディープになり、味わい深く、そしてエモーショナルに響いて聴き手を早くもノックアウトする。そして川から桃が流れてくる"承"の場面では、川の流れが放つグルーヴが怒涛の如く押し寄せてくる。その合間から縫うように流れてくる「ドンブラコ」はより一層クリアに、そしてタイトになって川の流れとのツインリードとも言うべく展開を見せていく。桃がスピーカーから飛び出てくるような錯覚に陥るこの展開はまさに圧巻の一言である。それに続く前半のハイライトにあたる桃太郎誕生の瞬間では、彼のシャウトがオリジナルに較べて低音域が強調され、迫力ある仕上がりとなっていることが分かる。

桃太郎が成長を遂げ、鬼ヶ島へ鬼退治ツアーをブッキングする"転"の場面では、桃太郎がそのお腰に付けたキビダンゴの艶やかさが増しているものの、
本来の湿り気を含んでいるところは一切損なわれていない。ここからツアーに参戦する犬、猿、キジも、それぞれの表情が豊かになり、そのディティールはリアルに再現されている。

そしてこのツアーのトリとなる鬼退治のステージでは、そのダークさをより際立たせた鬼たちのケイオティックな佇まいに、いよいよストーリーがクライマックスに到達したことを実感せずにはいられない。

そしていよいよその幕は切って落とされる。猿のシャープなカッティングに呼応するかのように犬がヘヴィネスをタップリと効かせたボトムエンドを構築し、そこにキジのトリッキーな技が炸裂し、桃太郎がそれらをアグレッシヴにリードしていく。メンバーの当時の証言でこれらの緊張感漲るプレイは全てインプロヴィゼーション、つまりアドリブだったことが判っている。三位一体ならぬ「四位一体」で一気呵成に畳み掛けるこの底無しの迫力の前に、体内中のアドレナリンが煮えたぎることを保証しよう。

こうして現代的手法によって新たな生命を吹き込まれた伝統は、「比類無きもの」から「完全無欠」な存在となった。伝統と現代感覚の優れたバランスと融合による奇跡がここには詰まっている。そしてそれは同時に伝説誕生の瞬間であり、歴史の目撃でもある。伝統は見事に蘇生し伝説は生まれた。そしてそれはこれからも生き続けるのである。


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