21世紀コンビニ展望
定時で帰る日は大体朝の6時頃に帰宅します。
母親はまだ寝てる時間の為コンビニ弁当を買って帰ります。
今朝も帰りにコンビニに寄って「おにぎり弁当」を買いました。
温めてもらおうと思って、店員の言葉を待ってたんですが、
一向に「あたためますか?」を言う気配がありません。
仕方ないのでこちらから「あたためて下さい」と言おうとしたその時です。
商品をよく見ると
「温めないでお召し上がり下さい」
の文字が。
軽くショックを覚えたワケですが、それよりも何よりも、
「あー、コンビニもついにここまできたか」
と、感慨深い感情すら抱きました。
そもそも「弁当=レンジで温める」という、現代においては常識ともされるこの図式を広めたのは、間違いなくコンビニなのです。
それがここへきて「温めずにお召し上がり下さい」と。
その意味においては、コンビニが自らのアイデンティティを
放棄したともとれるワケです。
やはりこれは、弁当が本来持っていた
「侘しさを含んだボッサリ感」
これを強調する結果となるのではないかと。
いや、むしろそこを狙ってのことではないのかと思うわけです。
冷徹なまでに冷えたウィンナー、卵焼き、そして
パッサパサの唐揚げ。
この、愛情も健康面への気遣いもヘッタクレもない、
ある種のやっつけ具合。
そして、それを食べながら感じるは
「嗚呼、幸せになりたい」
という、脈絡のない孤独感と絶望感。
つまりコンビニが言いたいのは、
「オマエら弁当の侘しさを忘れとりゃせんか。」
ということではないかと思うのです。
そしてそれを思い起こさせるためには
「弁当も温めないし、心も暖めない」
ということではないかと。
そういう方向性なんじゃないかと。
つまり今後のコンビニは便利さだけではなく、
厳しさをも提供してくるのではないでしょうか。
現実という名の厳しさを。
何だったらそれは
「厳しさの向こうにある優しさを感じ取れ」
という意外とややこしく押し付けがましいメッセージを示唆しているようにも思えます。
この先、コンビニは「街のホッとステーション」から
「頑固親父のいる店」へ方向転換していくのかも知れません。
※2005年頃ブログにアップした文章