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趣味はカメラ、癖はゴミ拾い

ーあなたの趣味はなんですか?ー

愛機Nikon Fで写真を撮ることです。ちなみに使っているのはリバーサルフィルムというポジフィルムでこれは現像した時点で、、、、えっ、もう何回も聞きましたか?失礼、ついつい何回も話したくなっちゃうんです、だって好きなことですからね

ーあなたの癖はなんですか?ー

ゴミ拾いです。ここ1ヶ月ちょっとです、ゴミを拾うようになってから。きっかけは些細なことだったんですよ。りぷるという人間について考える機会があってね、このままじゃいけないな、変わらなきゃ、自立しなきゃ、充実させたいと思ったんですよ。それでとりあえずやってみたのが日々の生活を丁寧に生きることだったんです。

具体的には早寝早起き、朝の散歩、家の掃除から始めてみました。最初の頃はとても気持ちよかったですね。朝起きて、豆盆栽に水をやり、散歩に出かける。このときのポイントは携帯を持たないことです。デジタルデトックスも兼ねています。帰ってきたら勉強したり二度寝したりですね。仕事の中抜けで家に帰ってきて、リビング、トイレ、風呂、洗面を掃除します。こんな生活を心がけていました。

ただね、段々と最初の頃の気持ちよさが減っていくんですよ。まぁ当たり前なんですけどね。新鮮さや刺激が減っていけば気持ちの振り幅も小さくなりますからね。習慣化してきたってことです。いいことなんですけどね。

ただ、こういう生活が「日常」となってきて分かったのは、当初思い描いていたゴールはなかった、ということです。というか、まだゴールを求めるには期間が短すぎる気もします。ただ、別に充実や成長、自立があるかと言われたらピンときません。

あれ?ゴミ拾いの話からだいぶそれちゃいましたね。ゴミを拾うようになったのは見返りを求めたからなんです。さっきも話したように自分の変化を求めていたんですよ、そのために丁寧な生活を心がけ色々始めてみました。そして散歩している時にゴミが落ちていたんですね。その時の僕の心境はとても腹黒く、下心しかなかったと思います。

ゴミを拾うという良い行いをすればきっと求めた結果が得られる、もしくは近づくだろう、と。これじゃ本末転倒のような気もしますね。ただ実際に不純度100%だったと思います。これがゴミ拾いのきっかけです。

ーそこから1ヶ月ちょっとが過ぎて何か変わりましたか?ー

分かりません。別に今の自分が成長したとも思わないし変わったとも思わない、今の生活が充実してるとも思わないですしね。ただ、今でも散歩はするし掃除もするしゴミ拾いもします。掃除は前ほど丁寧ではなくなりましたが、それでもトイレ掃除は毎日します。一種の願掛けですね、まぁこれも下心です。

ゴミ拾いはひどくなりましたね笑 
最初の頃は1回の散歩で一個しか拾わないというマイルールを作っていました。そうしないとキリがないですからね。ゴミ袋持って歩くわけにもいかないですし。ただ、最近は持てる範囲ぐらいで複数拾うようになりましたし、散歩以外でもスーパーの駐車場、神社の境内、会社の敷地などいろんなところでゴミを見つけると拾わずにはいられない体になってしまいました。むしろ拾わないと悪いことが起きそうな気がしてしまって、ほんと厄介なもんですよ。なので家のゴミ袋にはタバコの吸い殻がたくさんあります。生まれてこの方一本も吸ったことないのにね笑

あっ、そうそう、変わったことといえば、散歩中にカメラを持ち歩くようになりましてね、そこからカメラ熱がだいぶ高くなりまして、今ではユーチューブでカメラ、写真の動画ばかりみてるんですよ。フィルムもたくさん買ってメルカリでパーツも買ったりしてお金が飛んでいくばかりです。ただ、全く後悔はないんですよね、ワクワクしています。今も注文したパーツが届いて自分のカメラにつけるのを想像してニヤニヤしています。ある種の変態ですね。

さっきもゴミ拾いの話をしましたが、ゴミを拾う時って下見るじゃないですか?もちろん常に見ているわけではないんですけど、今までよりは増えたんですよね、下を見る機会が。するとね今まで見えなかった植物に気づくんですよ。またその植物が可愛かったりするとその写真を撮りたくなって、今度はどうやったら綺麗に撮れるか、背景はどうしよう、構図はどうしようってね、こんなことばかり考えるんですよ。

それで気づいたんですよ、「あっ、今僕楽しんでる」って。これって僕の中ではとてつもなく凄いことなんですよ。今までの人生でもほとんどなかったと思います。何がなかったって、夢中になることがなかったんです。時間があると何かしら考え事をしています。そして大抵それらは楽しいものではないんです。漠然とした不安だったり、自分の中で勝手な妄想を繰り広げては落ち込むという脳内自傷行為とかでした。ですから、こうやって楽しいことを考えてる自分というのがすごく嬉しくて仕方ないんです。

あと、ネガティブな考えが減ってから精神的に安定した気がします。こう考えるとすごく大切な変化があったかもしれないですね。

ー今も丁寧な暮らしの中に下心はありますか?ー

あります。むしろそれしかないです笑。まぁ暮らしの中や、その行動中常に下心があるわけではないですが。たまに無心でやってる時もあります。でも、大抵は「良いこと」した、と思っています。ただ、「良いこと」と思うのはゴミ拾いの時だけですけどね。家の掃除や散歩はほぼ無心ですね。歯磨きのようなものです。

そう考えると、ゴミ拾いはまだ僕の一部になっていないんですよ。「良いこと」したって思うってことはまだまだ僕の中に溶け込んでいないんですよね、染み付いていない、非日常なんですよ。

見返りを求める下心というのが大きいです。何か良いことないかな、嬉しいことないかなとかは思います。ただ、それで良いと思えるようになってきました。別に僕は菩薩でないですからね。ただの一人間でしかないわけで、欲に塗れて当然なんです。欲深く、私利私欲にまみれています。

この人間らしさを愛せるようになりましたね。これは僕自身だけではなくて他の人にもそう思えるようになり始めました。みんな人間なんですよ、とても人間くさい人間なんですよ。自分のことしか考えない時もあるし、めんどくさいことはしたくないんですよ。それがね可愛いと思う時があるんです。ちょっと変ですかね?自分でもどうかと思いますよ。

まぁ他の人の欲を可愛いと思って受け止めているのだからもっと良いことあれっ!と思ってしまうんですけどね笑。結局その人たちよりも僕の方がもっと強欲でしたね。

なんか言葉にしてみると面白いですね。自分ではあまり変化がない、成果が見られない、結果が出ていない、と思っていたんですが、この今の自分の状況が求めているものかは自分でも分かりませんし、どういう状況なのかも把握できていないのですが、やってよかった、続けてよかったと思います。きっと肩の力が抜けたんでしょう。まだ1ヶ月ちょっとですがね。

もちろんこれからも続けるつもりです、もういいやっと思うまでは。そう思う日が来るのかどうかも分かりませんがもしその時が来たら、その時の僕は世界を、景色を、自分をどう見ているんでしょうね。

僕の趣味はカメラ、癖はゴミ拾いです。


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