昭和の小学校1(死者がすごかった)
私が小学校に入ったのはもう半世紀も前のことだが、
始業式が毎回すごくショックだった。
というのも、最初の挨拶が
「大変悲しいお知らせがあります。
〇年▽組の〇〇〇〇さん、
〇年▼組の◇◇◇◇君
と次々と生徒の学年と氏名を挙げて
以上の生徒が亡くなりました。」
で始まっていたからだ。
兄に聞いても、「ああ、そんなもんだったけど」
というから、記憶違いではない。
当時、小学校の生徒は1クラス40数名4クラスいたから、
900人以上いたとはいえ、毎回4,5人は言っていたから、
いつか自分自身がこうして名前が呼ばれる日が来るのではないかと
怯えてしまった。
しかし、私が小学校に入ったころから
生活保護制度がはじまり、
水泳などの危険地域の立ち入り禁止区域の開始など、
次々といろいろな見直しが始まり、
3つ下の妹が小学校に入学した時には
なんと、死者が0になった。
私と兄は子供が死んでいくのが当たり前の世界に生きていたが
妹は子供が死なない世界で生きていた。
兄と私は4歳違い
妹は私の3歳下
それでも、すごい差ができた世代であった。