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だれか が だれかが 10

9を書いてから
まだ 書き足りていないことがあり
続けて10を書きます

双極性障害の現在一人暮らしの弟
その弟と.数年前までは一緒に暮らしていた母
現在は 認知症も進んでしまい 自力では生活ができず
息子も 自分の事で精いっぱいになってしまい
老健施設で暮らす母

わたしは 夫と夫の母(私にとっては義母)との3人暮らし
義父は在宅医療を受けていたが 15年ほど前他界
子供たちは成人し それぞれ独立している

わたしが一番 こころの中で重くのしかかっているのは
このシリ-ズ今回で10になるが
認知症を患っており老健施設にいる母

双極性障害を持つ弟との
やりくりである

弟は すでにアラフィフ
高校生時分よりパニック障害があり
精神科受診歴はそのころからだからかなり長い間になるが
その間高校卒業し 専門学校を経て
就職したが パニック障害があったため仕事に長く勤められなかった
精神科のほうへは 自分で受診し内服薬管理をして過ごしていたようだが
職についても なかなかうまくいかず
職を転々としていた

最後はもう仕事に就くことすらできなくなり
自室でこもっていることが増えた
調子がいいと 父親の所有する車に乗って出かけたり
できたが パニック障害があるため電車やバスなどには乗ることができない
車の運転も 調子が良いときはできるが
心が不安定だと 運転もできなくなれば
自室のこもるだけで精いっぱい

弟が精神状態が悪いことは
両親も理解していたと思うが
父は 「食い扶持を入れないとか 早く働け」
「なんでいつもゴロゴロ寝ているのだ」と責めるだけで
弟の気持ちには寄り添えないでいた

母は かわいそうだと 必死になって守っていたように思う

わたしは 高校卒業後専門学校の学生寮生活
就職先の寮と 
弟が高校生になるころには 一緒に生活をしていなかったが

正直なところ
帰宅すると
自室にこもる弟
不機嫌な父
両方の男性に気を遣う母

に何をしてあげられるだろうかと
思うが

心休まる実家ではなかった

弟は 通院先に行ってもやはり
自分の姿を正直に話すことはできなかったのだと思う

わたしがその病医院へ付き添っていけたのは
弟が40歳代になってからだ
弟が付き添うことを拒否していたから
やっと一緒に診察室に入って
先生に話を聞くと
弟の訴えからするとどうしてもこういう投薬になってしまう

という
これらの薬を飲んでいたら 社会復帰は難しいのではないかとお話したが
パニック障害の診断があっているのだろうかと
気にもなったが弟は 今の先生との関係を壊したくないというので
何も言うことはできなかったが
弟は
いつも自分だけだと
先生の考えていることはわからない
どうして 姉貴の時は先生はちゃんと話すのだろう
という


そんなことがあってから
しばらくするころ父の肺がん末期という状況が訪れ
父の希望で在宅医療になった
母もしばらくは 父の世話をしたり生き生きしていたが
認知症の初期の状態が出てきて
母に介護認定を受けてデイサ‐ビスを進めたが
頑固な父は  お金が無くなるだのと言って母の介護認定の話は1年以上伸びてしまった

次第に母の認知症の度合いがきつくなり
何とか父の許可を得てデイサ‐ビスに通えるようになった
デイサ‐ビスに通っている間だけ
父はゆっくり療養生活が送れるようにもなったが
自室にこもる弟は
父に何か言われないようにそっと外出をしたり
食料品のかいものにでたり 父の通院や母の通院につきそったり
かいがいしくやってくれていた

そのような父が亡くなって
しばらくすると 母がデイサ‐ビスにも行きたがらず
食事を作ることもできなくなった
弟も調子が良いときは 母の世話ができるが
調子が悪いと 何もできなくなってしまう
そんな時に ケアマネ-ジャ-さんの勧めで
母をお泊りできる施設に預けることができたが

それも一年もたなかった
夜間せん妄になり 精神科病院へ措置入院
そのあと いまの老健施設にお世話になったが

弟のほうは
一向に症状変わらなかったし
些細なことで激高し 大声で怒鳴ってみたり
ひどくなった
精神科の受診に一緒に付き添うことを
弟に許可が出て
その際に先生に話すと
これは パニック障害じゃなく
双極性障害だということで 治療方法が変わった

弟に調子が悪いときの話をしているのか尋ねると
まったくそういう話はしていなかったようだ

内服薬がかわってもなかなか 変化は見られなかった

そもそも
通院先が 自宅から車で約一時間弱かかるところ
電車でもそれくらいかかる
受診先が 近所 徒歩圏内が一番いいのに
以前にも話したかと思いますが
弟にとっては
その先生でなければ不安

しかし私としては 近所であれば 例えば
役所での手続きや 施設などへの移行にもスム-ズに行くのではないかということ

実は彼はこの精神科のほかに
遺伝でもある糖尿病もあり
こちらは 市内の糖尿病に特化した内科医にお世話になっているようなのだが
やはりこの病院も 私にとっては かなり遠方なようだ
両方の通院 これも彼の体調によっては
行かれないときもあるようで本当に不安に思っているのは
当人よりもこの私でもある


糖尿病に関しては
かなり悪化させており

まぁ 難しいと思います
思うように動けない
食事も 食べては動かずに寝て過ごす
喫煙はやめられていない

調理は自分で行って食べているようですけれど

とにもかくにも
心配だらけ

まぁ心配はしても
彼は自分で できる範囲で管理し受診もしているわけで

唯一
精神科だけでも徒歩圏内にできたらいいのにな
と思っているのですけれど
当人は変える必要性を感じていないのだから
仕方ない

その担当医も もうかなり高齢で
息子さんが 数年前より一緒に勤務をしているというので
その担当医がリタイアするときに
弟の近くの病院へ転院できるのもありなのかもしれないと思っている


母の事は 老健施設でお世話になりながら
予約している特養の順番待ち
老健施設のケアマネさんの指示通りに
お任せするしかなく

後は弟の経済についてだけ
今は 亡くなった父の遺産と 母の年金とで
弟はやりくりをしているが
母が もし 他の施設に入ることになった時に
現在のような やりくりが不可能になった時に
弟は 車もバイクも手放して
公的な補助を受けて生活をしてゆく覚悟を
彼が持ってくれたなら
それでいいのだと思う

(弟は 公的保護を受けたなら 唯一の移動手段を失い
内科や精神科の変更を余儀なくされるわけで
それが できないために公的保護の申請を出し渋っているのだ)

それらの事もあり
わたしはどう動いたらいいのか
いろいろと頭の中では動いているけれど
最終的には
いつも
自分がすんでいるところの自治体に聞くのではなく
弟の住んでいる 市の自治体に動く必要があったり
弟の通う 精神科医にも相談する必要がある

勝手に行うと逆上されてしまうのではないか
と不安だけがのこり
結局何もできないでいる

どうしたらいいのだろう。。


そう 考えていたところ

そうだ!

子供を通して知り合い
今私が働くクリニックで一緒に働いていた 美和さんのことが
頭によぎった

彼女は 一緒にクリニックで働いていたのだが
途中でケアマネの資格を取り
同じ市内の 包括支援センタ-でケアマネとして働いている

彼女に
電話で相談をしてみた

わたしが思っていることすべてを
起承転結の真反対ではあったが
話すと
彼女は
わたしの心配を受け止めてくれ

そんなに あわてないでいいんじゃない?

とりあえず
弟のすむ市の 包括支援センタ-に精神障害者への支援
について話を聞くのもありだよと
それから 弟のかかっている精神科のほうに
電話で 姉として相談に行きたい旨をつたえ
担当医と話してくるのもありだと

母の老健施設のほうは
ケアマネさんに ちゃんと弟の事を話すことや(入所するとき相談員さんにも書類にも書いた)
老健にはもういられないといわれたとしてもすぐには
追い出さないと思うから
心配しないようにとも言ってもらった

唯一ほめてもらったのは
区分変更を昨年暮れに 依頼したことだった
それによっては 特養に入れる可能性も出てくることがあるということだった

とにかく
少しづつ
弟に 影響が来ない程度で
色々と 動き出す必要が出てきたのだと思った