言語の散歩 第三話 「じゃがいもと靴下の共通点」
人間についての解析があまりにも進まないもんで、私は気分転換に東京の街を散歩することにした。昨日も、一昨日も、なんなら毎日散歩している気がしないでもないが、それでも日に日に新しい発見があるので、私の行動は決して無駄ではないと思いたい。
当てもなくふらふらと歩いていると、数メートル先に「長崎チャンポン」と書かれた看板が見えてきた。ちなみに反対側には「ザ・メキシコ」と謳う光る看板がある。とにかく、この星は別の文化をとことん欲しがって、至るところで文化の混在が見られるのが特徴だ。
まぁ、腹も減ったしチャンポンとやらを食べてみるかと、私は美味しい匂いを放つ店へと入っていった。
◯
入って数秒で私は後悔した。完全に座る席を間違えた。というのも、隣の席の人間たちは軽い口論をしていたのである。
なぜ私は、奥の方が落ち着けるだろうなんてデタラメな思いつきに突き動かされてしまったのだろう。
内心深い溜め息を吐いて、私はチャンポンを注文した。そして、チャンポンが運ばれてくるまで、隣の会話に耳を傾けることにした。どうやら、女二人組のうちの一人がシェアハウスの解消を申し出たらしく、そのことについて話し合っているようだった。
「あんたとはやっていけないてガチ思ったわ。なんであんなことしたのよ」
「あんなことって……意味わからん」
「だから、なんで靴下を鍋に入れたりすんのよ! 頭イカれてんの?」
「それは! 私だって思ったよ? あんたにじゃがいも鍋に入れてって言われてはぁ?て思ったけど! 東京はそういう文化なのかなって……」
「いや東京だけじゃないと思うけど!? 普通にじゃがいもゆでない?」
「長崎じゃゆでないね!」
なんとも噛み合わない会話である。きっとどこかで勘違いが起こっているのであろうから、さっそく私は脳内の状況解析プログラムにアクセスすることにした。
【長崎弁では、穴が空いた靴下をじゃがいもと呼びます。由来は諸説があり、穴から覗く皮膚が土から顔を出すじゃがいもに似ているからというのが一説。この状況下では、一方の人間は食べ物のじゃがいもを想定し、もう一方の人間は穴が空いた靴下をイメージしていると思われます】
そこで分析プログラムの回答は終わった。
ふむ。どうやら、大変愉快なすれ違いが起こっているようである。以外にも私は彼女たちの会話に楽しくなって、より注意深く話に集中することにした。
ちょうど、その時チャンポンが運ばれてきた。
スパイスは耳から接種できるので、テーブルに置かれた調味料には手を出さず、私はずるずると麺を啜った。塩味と出汁の調和が取れていてかなり美味しい。
「そもそも、じゃがいもができとるよ、なんて言ったのはあんたでしょう?」
「そうだよ? たまたま気づいたから教えてやったのよ」
「そこまではありがたいの。でも、その後が問題。私が、じゃあじゃがいも鍋に入れてって言ったらあんたどうした?」
「びっくりして、とりあえず言われた通りに入れた」
「違うわ! あんたが入れたのは靴下でしょうが!」
「うん、だから、あんたが入れてゆうたんやん?」
「違う! 私が言ったのはじゃがいも! 靴下じゃない!」
「いやだからじゃがいもやん! 靴下やん!」
「どういうこと!?」
女たちは互いを見つめて、はぁはぁと息を吐いていた。そこまで白熱しなくても……と思わずにはいられないが、口に出すこともできまい。
「まって……穴が空いた靴下がじゃがいも、だよね?」
「ちょっと意味がわからない……」
「え? 穴が空いた靴下をじゃがいもって言わない?」
「言わないよ?」
とたんに、長崎出身の女が「え!」と声をあげた。どうやら誤解が解けたようである。
「長崎では……穴が空いた靴下をじゃがいもって言うの」
「まじ?」
「まじ」
「あ……あー。……えぇ?」
「てかさ、そもそも私たちじゃがいも育ててないやん? だから、急にじゃがいも入れてって言われても、目の前にはあんたの穴空き靴下しかないし……」
「だとしても、急に人の靴下脱がして鍋に入れるかね?」
「いや、じゃがいもでとるよって私が言って、あんたがじゃあ鍋に入れてって言うまでの流れ、めっちゃ違和感なかったやん。じゃあ、靴下入れるんかなって思っちゃうよ……」
「いや思わんやろ」
二人は互いを見合って、はぁと溜め息を吐いた。とんだ勘違いを仕出かしていたことに気づいたのだ。二人は気まずそうに手と手を握って仲直りを宣言した。そして恥ずかしそうに顔を下に向けて、さっさと勘定を済ませると店を出ていった。
ちゅるりーー。
私の口から半身を出した麺が、勢いよく跳ねた。いったい先ほどの会話はなんだったのだろう。なんとも不思議な気持ちになって、私は脳内の記録を開いた。
【メタファー:
異なる物同士の間に類似性を見出だし、一方をもう一方で表すこと。例: 「議論で相手を打ち負かした」と言うとき、議論は戦いと類似してるとして、打ち負かすという用語が使われる】
なるほど。ということはーー。
穴が空いた靴下から覗く足を、土から顔を出すじゃがいもに例えたということは、長崎弁のじゃがいもにはメタファーが働いているのかもしれない。
いや、待て。よく考えてみろ。
それは、靴下が茶色である場合に限るのではないか?
もし、靴下が緑色だったら? 今頃穴が空いた靴下は空豆だと呼ばれているのではないかーー。
もし、靴下が白色だったら? パックに残った納豆とでもいうのか?
それにもし、靴下が黒色だったとしたら?
それはハゲーー
いや、いかん。そんなことになれば、今頃長崎県民は大バッシングを受けているに違いない。それで、長崎県民の言い分としては、「いや、よくご覧ください。足の指から生える無駄毛を。ピロンピロンと揺れ動く無駄毛を。それに黒い布地が相まって、まるで後頭部のごときであります」 と語られてーー
これは危険な思考である。
いても立っても入られなくなって、私はいそいそと店から退出することにした。
そして勘定を済ませて、扉に手をかけたときである。ガラッと向こうから扉が開けられて、ちょうど向こうのサラリーマンの団体とかち合った。
そのうちの一人に私の目線が自然と引き寄せられていく。そして、目線は次第に上へ上がっていきーー
私は絶望した。
ああーー。
この先、穴が空いた靴下を見て、私はなんとも最低な連想をしてしまうに違いない。
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