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言語学からみるお笑いの極意

「言語学」というと、どうしても言語構造を分析したり、言語規則を探ったりするものだというイメージがあるように思います。しかし、実は言語学ってそんなにかたくるしい分野ではないのです。

 私たちが言語を使うのは何のためですか?

そうー。人とコミュニケーションを取るためです。書き言葉にしろ、話言葉にしろ、そこには人と意思を共有したいという意図があり、言語はその手段なのです。

そう考えたら、言語研究は我々のコミュニケーションや実生活に還元されるべきではないですか?言語研究は十分にその素質を携えているのです。




というのが、最近言語学に加えてお笑いを研究し出したことを知られてしまった教授への私なりの言い訳です。☺️

ということで、お笑いにも関与しそうな言語学の考え方を紹介します。

1.  笑いの構造 

まず、第一に笑いが起こる仕組みはなんでしょうか。
これは非常に難しい問題です。なぜなら、「笑い」は人間に特殊な能力であり、小泉(1997)の言葉を拝借するなら、ユーモアから「おかしさ」を抽出したり脳で処理したりするのは「知的な要素が必要となるから」です。そもそも笑いの研究はプラトンとアリストテレスの時代に遡るそうです。それだけ昔からいろんな説が立てられては、検証を繰り返してきたくらいです。それだけお笑いは奥深く、謎多きものですから、そんな中人々を笑わせる方々はすごいです。尊敬します。

とはいえ、ある程度の構造化は可能です。すなわち、お笑いの基本は二つの世界の対立にあります (井山 2007)。リアルな世界とノンリアルな世界があって、そのギャップに我々はおかしさを見いだしているのです。例えば、いじり。笑えるいじりはひどいことを言ってもその対極には愛があります。二つの世界の対立化こそ笑いの基本構造なのかもしれません。

2.  言語学も笑いに通ずる?

アメリカの哲学者H.P.グライスは、コミュニケーションを円滑に進めるための「強調の原則」という法則を提唱しました。会話において、話し手は自分の意図を正確に相手に伝え、聞き手はその真意を汲み取ろうとしなければなりません。それを達成するために、グライスは強調の原則として4つの公理を示しました。 

1 質の公理: 真実を述べよ。
2 量の公理: 過不足なく情報を与えよ。
3 関係の公理: 関係のある事柄を伝えよ。
4 様態の公理: 簡潔明瞭に順序立てて話せ。

コミュニケーションにはこの4つを守った発話が不可欠だとグライスは言います。

さあ、ではなぜこれが笑いにつながるのか。

そうー。わざとルールから逸脱することで「対立関係」を作ることになるからです。『ジョークとレトリックの語用論』という本では、その一例として「皮肉」があげられていました。

(「はだかの王様」にて、騙された王様が裸で町を歩いているのに対して)
【レトリック 54】
市民A 「ご立派な王様じゃないか。」
市民B 「まったくその通り。」
                                                                                  (p.226)

 これは、1の「質の公理: 真実を述べよ。」に違反します。人々が裸の王様を見て「変態だ!」「ハレンチだわ~」と逃げ回ったとしたら、そりゃそうだよな、と我々もなりますが、騙された王様をあえて立派と讃える方には我々は滑稽さを覚えます。

長くなるので2~3はおまけに。
よければ、わざと公理に反することを、ユーモアの参考にされてください。

井山 (2007).『笑いの方程式 あのネタはなぜ受けるのか』科学同人
小泉 (1997). 『ジョークとレトリックの語用論』大修館書店.

 おまけ

2. 量の公理
B: 「メガネ落としたわ。探すの手伝ってや。」
T: 「いいよ。特徴言ってみ。」
B: 「この前な、俺、トイレで力みながら『おいしいカレー』て本を読みよったんや。ちゃんとレビューも書いたんやで……そのときにはめてたやつや。」
T: 「最悪や!要らん情報多いわ。もっとメガネの特徴言ってや。」
B: 「曇ってるやつや。」 

3 関係の公理
T: 「最近ラーメンにはまってんや。」
B: 「へぇ!最近ながら腹筋にはまったんやがな。」
T: 「どういう神経しとんのや。」

4 様態の公理
B: 「いやぁ!スパイファミリーやばかったな!まさかアーニャが超能力使ってダミアン助けるとかエモいわ!おじさん感動したよ!ところで123話見た?」
T:「……見てないんよ。今日の楽しみにしてたんよ……。先に聞いてぇぇ。」
※本当にネタバレをしないために、123話とかエピソードは架空のやつです。



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