「俺たちは脱税を見つけるんだぜ」
今思い出してみるとF上席の指導に感心します。F上席は新人税務署員の僕に、まず最初に「社長の持ってこない原始記録を探せ」と言いました。これは原始記録から売上除外などの脱税を見つけてきなさい、ということです。それで、僕はしばらく原始記録を探すことに明け暮れました。原始記録を探すということは、仕事の内容をよく聞いて、社長の手が回らない記録を探すので手間がかかり、また「俺を疑っているのか」と社長に怒られたりします。体力的にも精神的にもきつい作業です。でも、そうして苦労することで、会社がどうやって商品を作るか、どんな書類が発生するのか、などその会社の理解が深まり、その業種の理解も深まりました。そしてなにより、税務署員としての「脱税を見つける」という基本スタンスが学べたのだと思います。
税務署員は何を見つけるために働いているのか。彼らは調査で単なる計算間違いや粗探しをしているのではありません。脱税を見つけるつもりで働いているのです。F上席は「俺たち税務署員は脱税を見つけるんだぜ」って教えたかったのです。
逆に、もし原始記録を探すことを覚える前に、決算期末の経理処理の見方を教えられていたらどうなっていたでしょうか。期末の処理の誤りとは、本来調査している期間に計上すべき売上が、翌期の売上に入っているような事です。期末の処理に誤りを見つけると、調査した決算期の税金が発生するけど、結局は翌期の売上は減るので通年では税金は増えません。当の会社にとっては、売上の計上が前の期間にされるか後の期間にされるかは、本来どうでもいい話です。でも、調査官にとっては調査によって見つけられた間違いということで点数にはなるのです。こういった「期間のずれ」の間違いを見つける事は、脱税を見つけるための調査機関を自認する税務署としては、本来あまり意味のない調査です。原始記録を追う習慣がつく前に、決算期末の処理ばかり気にする調査官なっていたら、いわゆる「期ずれ」に飛びついて仕事をした気になっていたでしょう。手軽に間違いが見つかる方法に終始して、それで仕事をした気になっていたかもしれません。そうなると、なかなか調査能力は伸びません。
F上席のおかげで、その後、僕の調査能力はそれなりに認められて、国税局のガサ入れ部隊「リョウチョウ」に行ったり、大規模企業を調査する「調査課」に行って優秀な調査官をたくさん見るのですが、一方で税務署内の仕事のできない調査官も目にするようになります。
仕事のできない調査官は一言で言えば、脱税を見つける努力をしない人、です。彼らは、社長の話をよく聞きもせず、会社の理解も不十分なまま、すぐに帳簿調査を始めます。そして間違いが起きやすい期末の経理処理や経費否認といった、いわゆる単純な経理誤りを見つける調査に終始します。彼らは申告是認を極端に恐れます。是認とは、税務調査で何も間違いを見つけられなかったことを言います。だから少額の経理誤りを見つけて申告是認を回避できたことに安堵して、その先の調査を進めようとしません。
確かに、税務署員は「申告是認」を嫌がります。僕が調査で何も見つけられないとM統括は渋い顔をしました。本来、申告是認になるということは真面目な納税者がいるということなので喜ばしいはずですが、税務署の世界では税金を取った者が評価される世界です。申告是認は、ある意味税務署にとっては「負け」みたいなものです。数字を上げられないで申告是認ばかりする調査官は「まるこれ」(是認のハンコのイメージだと思います)と陰口を言われます。調査官は上司である統括官に数字で評価され、統括官も署長や人事課に評価されるのは、調査結果の数字で評価されます。統括官クラスは、その数字を上げるのに多大なプレッシャーを感じているものと思われます。当然、末端の調査官ですらそのプレッシャーを感じながら仕事をしています。
そういった空気の中で仕事をするので、気の小さい調査官はとにかく是認を避けたくて見つけやすい期間損益や経費ばかりを見て、重箱の済みを突っつくように調査する事に終始します。プレッシャーに負けて小さな間違いを見つける事に傾注してしまった調査官は、本来の目的の「脱税を見つける」意識がなくなり、しまいに脱税を見つける方法も忘れてしまうのだ思います。
職人のF上席はこうも言ってました。「よく話を聞いて、『この社長ならここで脱税する』と仮定してその部分を徹底的に調査する。もしそれでダメで『申告是認』ならそれでも良いじゃないか。今回、何を見て非違が見つからなかったかをファイルにしっかり記録して、次の調査官がそれとは違う見方で見つければ良い」