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これが税務調査か?買収してくる産婦人科医!

 10年ほど国税にお世話になっていた間、何百件と調査をしてきた。でも経験を積んでくるとだんだんと驚きや感動も薄れてきて、いろんなことがあったはずなのに後半の調査はほとんど記憶に残っていないものです。でも新人の頃の調査は全てが新鮮で、些細な事まで鮮明に覚えています。
今回も僕にとって2回目の調査、産婦人科へ調査の続きです。

 こんな事もありました。応接室で調査中、医院長が薬の入ったビニール袋をガサっとM統括の目の前におきました。
「統括、これバイアグラですよ」
軽く買収です。
 バイアグラ。当時出始めの、男の持続力を増大させる薬です。元々は心筋梗塞の薬だったのだけれど、男の持続力に効き目があることがわかってから広まりました。日本人は1錠とか飲んでしまうと効きすぎてビンビンになってしまうので1/4に割って使うのだそうで、使った事のない僕ですらそんなことまで知っている当時の大人気商品でした。医者の診断書が必要で普通にはなかなか手に入らなくて、ニセモノが横行していました。よく電柱に「バイ@グラあります」って張り紙があった時代でした。
「どうです?バイアグラ。いくつでも持って行っていただいて結構です。なんなら袋ごとでも」
「いえいえ、そういうものは貰えないことになっています」
「いえ、本当に良いんですよ、いくらでもありますから」
すごいな、買収だぞ!バイアグラで買収だぞ!
 税務調査2回目でもう買収工作を目撃です。僕は横目でチラチラ見ながら、極度に緊張して体が固まりました。

 その後も、統括は「いやいや、そんな物貰えませんよ」と断り、医者は「いや、そんな事言わずに」と執拗に迫ってきます。そのやりとりは2度3度ではすみません。何度も繰り返されました。医者は笑顔でしたが、その目には獲物を狙った執拗さがありました。僕はM統括の斜め後ろにいたので統括の表情は見えませんでしたが、もしかしたら心が動いていたのかもしれません。彼に隙があったから、医者は何度も繰り返し押しつけようとしたのだと思います。
 医者がバイアグラで税務署員を買収する?なんてことだ!税理士が「真面目な医者」って言っていたけど、どこが真面目な医者なんだ!
 僕は税務署員になったばかりで何の調査能力もないけれど、もう心は税務署員になっていたようでした。完全にM統括の味方です。
 がんばれ!統括!負けるな!
 僕は固まったまま、何も言えないまま、心の中で応援しました。

 僕の必死の応援には理由がありました。理由というよりは懸念かもしれません。
 この統括、実はエロが弱点でした。他の税務署員同様仕事に対しては非常に真面目だったのですが、エロに弱かった。
 このエピソードはM統括の紹介の回で書こうかとも思ったのですが、僕はM統括には育ててもらった恩義も感じ、感謝もしているので書けませんでした。でも、今回は直接関連しているので書かざるを得ません。
 ある時、と言っても僕が赴任してまもない頃ですが
「あのさ〜変なメールが送られてきてさ〜」統括が誰とはなく部下に向かって話しかけました。
「『サイトを見たから8万とか払え』ってきてさ〜、困ってるんだよ〜」
「はぁ?それは大変ですね〜」すぐ前にいる女性のW上席が面倒くさそうに応答します。反対側の席の筆頭上席のFさんは聞こえないふりです。
「脅してると思うからさ〜応えちゃいけないと思うんだよ〜」
 よくある少額の金を騙し取ろうとする詐欺です。
「こういうのを解決してくれる人が、ネット上にはいてさ〜、お願いしようと思うんだよ」
「ほっときゃ良いじゃないですか、身に覚えないんでしょ〜?」
「……」
「え?あるんですか?あるんですね?はあ?何やってるんですか?」
 この時のW上席の軽蔑した顔は見ものでした。

 ここまで書いていうのもなんですが、M統括は大変真面目な仕事熱心な統括官でした。ただ、これだけが弱点だったのです。
 だから僕は心の中で必死に応援しました。
 がんばれ統括!バイアグラ受け取るなよ!もらえるわけないよな!欲しくないよな!税務署員の矜持を見せろ!

 応援の甲斐がありました。何回かの応酬の後、統括はバイアグラを断りました。もし、もらっていたら僕のM統括官への忠誠度はかなり下がったと思います。税務署員としての仕事への向き合い方も変わったかもしれない。

 冒頭、最初の調査は些細な事でも覚えていると書きましたが、全然些細なことではありませんでした。思い出してみたらショッキングな内容でした。税務署員は調査先で脅されたり、嫌味を言われたりします。そんなことは数限りなくありましたが、こんなあからさまな買収は最初で最後でした。

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