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資料せんを舐めんなよ

 僕が税務署に入って次にやった仕事は、「資料せん」の整理でした。資料せんとは、銀行や証券会社から送られてくる高額の取引や、税務調査などで見聞きした怪しい取引の情報で、要は脱税の取引ではないか、あるいは脱税などの不正な取引で得たお金の貯まった口座ではないか、といった情報です。税務署にはそういった情報が各所から沢山集まってきます。
 それらの情報は当然ですが極秘で、オンラインでデータをやり取りできる物ではありません。いろんな様式の七夕の短冊のような、小さな紙切れがどっさり来ます。
 資料せんにもランクがあって、当時僕が扱っているのは重要度が低い資料せんです。重要度が高い、つまり脱税に直接繋がりそうな資料せんは赤く印刷されれ大事にされて総括官に回されてくる。統括官はその情報をもとに「いつ調査しようかな、内偵とかしたほうが良いかな、誰に担当させようかな」など考えるのでしょう。しかし、僕が整理する一般資料せんはそれほど丁寧は扱われません。事務所の隅っこの一番奥の棚の中途半端な高さの引き出しにボンボン入れられていきます。だから、定期的にそれらの一般資料せんを法人ごとのファイルに入れる作業が必要になってきます。単純な手作業だけど、扱っている情報が極秘だからバイトさんには任せられない、まさに新人の僕にうってつけの仕事です。

 僕は税務署の奥にある耐火書庫から会社ごとのファイルを30冊ぐらい持ってきて、資料せんの入っている引き出しの横におきます。それで番号順に並んでいる短冊状の資料せんをそのファイルにぶちこんでいきます。それが結構きつい作業です。ずっと中腰で作業しなければならない。なぜこんな中途半端な高さの棚に入れているんだ。もうちょっと高ければ、立って腰を伸ばして作業できるのに。もうちょっと上の使いやすい高さの棚は統括官が使っていて、一番下は確かどうでも良い文房具的なものが入っていたような気がします。要は、一般資料せんの作業は体力的にきつい作業でした。
 おまけに新人なので作業の意味や重要性が分かっていないので、精神的にもきつい。どこの銀行にこんな口座があるとか、証券会社からこんな取引があったとか、どこの駐車場の賃料をいくら払っているとか、色々あるのですが、新人には意味がわかりません。「こんな事に何か意味あんのかねーうぜー」と思ってやっていたら、おそらく顔に出ていたのでしょう。もしかしたら「うぜー」とか声にも出ていたかもしれない。
 僕が作業していた棚の、すぐ隣に第三部門の統括の机がありました。第三統括とはトクチョウのいる部門で、トクチョウとは「特別調査班」の意味で税務署で一番厳しい調査をする特殊部隊です。そこの管理職である第三部門の統括のすぐ後ろで「うぜ〜」とか言っていたと思うと本当に冷や汗ものだか、その時は僕は新人で第3部門がどんな部門かなんてまるで知らないし、興味もない。なんなら、第3統括、椅子が邪魔だな〜もちょっと引いてくれないか〜とか思っていたくらいでした。

 そんな失礼な新人にも、第3部門の統括は優しかった。優しく、諭すように言われました。
「セニョール、俺たちはな情報産業なんだ。分かるかな、情報産業なんだ。だから一つ一つの情報にとても大切な意味があるから大事に仕事しような」と言われました。ここまで優しくされながらも、当時の僕は屁理屈ばっかり言ってる捻くれた新人なんで、「情報産業っていうのは、言い方が良すぎないか。税務署はどう見ても情報産業ではないだろう」と思ってしまいました。当時の情報産業つまりIT産業といったらちょうど勃興期というか盛り上がってきた時期で、意識高い学生なら一番に希望するような、就職戦線の花形産業でした。第3統括は、今どきの「情報産業」といったキラキラした派手なフレーズを出して、不貞腐れていた僕を少しでもやる気を出させようと、この税務署の仕事に意味を見つけてもらおうとしたのでしょう。それでも捻くれ者の僕は「情報産業じゃあねえだろう?」と思い、さらに「本当のIT産業はこんなローテクな手作業はしないよな。もっとスマートに仕事しているはずだよな」と思っていました。
 だから、基本的には第三統括が優しく取りなしてくれていても、表向きは素直に聞いたふりしながらも心の底では「それはねえだろう?」みたいな事を思っていたものでした。しかし、新人の時に言われたことはなぜか心に残っていて忘れないものです。この時言われた「一つ一つの情報に意味がある」という言葉はその後もずっと僕の頭に引っかかり続けました。その後、単なる一取引の資料せんが大きな売上除外に結びついたり、銀行の口座の情報が隠し口座だったりする事がありました。雑多な紙切れのひとつが大きな脱税の発見につながる経験をするたびに、「一般資料せんも侮れないな、あの時3統括に言われた通りだ。大事にしなくちゃ」と感じたものでした。
 

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