60歳(還暦)男性・関西在住・・・好物は「古着」「映画」そして「格闘技」
60歳(還暦)を機に、自分を振り返る・・・? 見つめ直す・・・?
イヤ、違うな。「何者であるかを見極める為」に何かを書き残すことにした。
文章を書くことに大きなアレルギーはないものの、自分が読むための文章は書いてきたが、第3者に笑覧頂くことを目的とした文章を書くのは、ほぼ初めてに近い感覚である。
そういうことで、昨夜、意を決して「note初心者勉強会」を受講した。
が、とても素敵なナビゲーターさんに殆ど気を取られていたとはいえ、「初心者」としての知識すら十分頭に残らなかった。
お風呂に入りながら、「あかんかぁ〜」「ボケてきたんか!」「もうついていけへんのか!」「マジでノートに書こかなぁ〜」・・・・・・。
風呂上がり、ビールとポールウインナー(関西以西の住人にはお馴染み)でクールダウンしていると、沸々を負けん気が湧いてきた。
「未だ老け込む訳にはいかない!(老けてるけどね)」「若いもんには負けない!(負けるけどね)」「難しく考えんと始めよう!(すぐ考え込むけどね)」、「よし、とりあえず明日から始めるぞ!(ほんまかいな)」
そんなこんなで、翌日、つまりは2022年9月28日に第1稿を書いている次第である。
まず、自己紹介を書くよう言われたと記憶しているので、書いてみる。
1961年12月生まれ(60歳、還暦)、射手座のO型
兵庫県尼崎市(関西で1、2の険しいエリア)で生まれ育ち、現在は京都府長岡京市(平城京と平安京の間10年だけ「都」でした。我々外様は「休憩」「タッチ&ゴー」等と呼んでいるが・・・・)在住。
中高大一貫教育の中学受験を目指すが、敢えなく失敗。リベンジを期した同系列の高校に見事合格し、そのまま大学に進んだ。
一見すると中流家庭を絵に描いたような学生生活を過ごした(実は色々あったんだが、それはまた後ほど)。
キャリアとしては、金融機関18年、教育機関20年。
各々のキャリアでそれなりに「浮き沈み」「良い事・悪い事」「成功と失敗」を経験している(それもまた後ほど)。
自分で自分の行動を決めれる年齢になってからの好物は、タイトルにもあるように「古着」「映画」そして「格闘技」である。
その内、まず最初に食べてみたのは、「格闘技」である。
現在のように団体が沢山あり、競技性も多様になる以前のことで、当時「格闘技」といえば、「大相撲」「ボクシング」「キックボクシング」「プロレス」の4種類であったように記憶している。
「大相撲」は千代の富士、「ボクシング」はカシアス・クレイ(後のモハメド・アリ)、「キックボクシング」は沢村忠(真空跳び膝蹴り)、そして「プロレス」はアントニオ猪木がアイコンであった。
その中で最も美味しかったのが「プロレス」で、1974年3月19日(蔵前国技館)に行なわれた「昭和の巌流島:アントニオ猪木vsストロング小林」戦をテレビ観戦し、どハマりしたのである。
日本プロレスを飛び出し(追い出されたのだが)、新日本プロレス(今年50周年です)を立ち上げ、既にスーパースターであったA猪木が、第3の団体であった国際プロレスの絶対的エースS小林の挑戦を受けたあの試合である。
結果は、皆様ご承知の通り、A猪木が「プロレスの芸術(当時そう言われていた):ジャーマンスープレックスホールド」でS小林をピンホールしたわけだが、試合を通じて最も記憶に残っているのは、2人の顔が似てることで、揉み合っているとどっちがどっかわからなくなった(少し誇張してます)ことである。
試合内容、試合に至る経緯等に関しては、詳しい論述が多数あるので、控えるが、やれ「八百長だ!」やれ「エンターテインメントだ!」と揶揄されていた「プロレス」への偏見が、この試合一発で払拭(個人的にではあるが)されたのである。
団体の威信と個人のプライドを賭けた「男と男の一騎討ち」に中1の坊主は打ちのめされたのである。
「スッゲー!」「カッケー!」、尼崎というエキサイティングな環境も影響したと思うが、とにかく「燻ってる魂」を「燃える闘魂」に鷲掴みにされたのである。
A猪木引退時はリング挨拶で、清沢哲夫の詩とされている(諸説あります)「道」を流用しました。
覚えている範囲で、「この道を行けばどうなるものか。危ぶむなかれ。危ぶめば道はなし。踏み出せばその一足が道となり、その一足が道となる。迷わず行けよ。行けばわかるさ。」であったと思われる。素敵な詩だ。
A猪木氏は現在79歳、先日の「24時間テレビ45」に出演されていましたが、彼は今、数万人に1人という難病「アミロイドーシス」と戦っている。
テレビ越しにみた彼の目に「バーニング スピリッツ(燃える闘魂)」をみた。彼は未だ戦っている!と実感した。
因みに、勤務していた金融機関が合併する際に、全従業員の前で前述の「道」を読み上げたところ、静寂の後にあちこちから「猪木やん」「猪木でしょ」「何や何や」・・・・・等の声が小声ながら壇上まで聞こえてきて、恥ずかしいやら、嬉しいやら・・・・・。
という経験をしたことが記憶に残る。
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