本来、子どもたちに「問題」などない
年度末で色々振り返る時期が来た。
総じて感じることがある。
「問題」なのはむしろ、予定調和の教育しかできない教育システムと、
自分の理想を子どもに押し付ける親の方。
「個性」という言葉の不在には、理由がある。
明治以来、日本の学校教育はシンプルな目的を持って行われてきた。
それは、海外の列強に追いつくための当時の国家スローガンだった、「富国
強兵」を最短距離で実現するための「工場・戦場適応型人間」の量産だ。
どんな地域に住もうと、どんな家庭環境であろうと、全ての子どもたちに同
じ知識を平等に与え、良質な労働者(ないしは兵士)に育ってもらい、日本
の国力向上に貢献してもらう。
そして、国家の計を、自分の頭で考える必要があるエリート(幹部候補生)
は、旧帝国大を中心とする別ルートで養成する。
エリート以外はとにかく従順に、素直に、効率的に上の言うことを聞くよう
に養成する。
この感じ。今だにやろうとしてないか。
従順で、素直に言うことを聞く生徒を、「良い生徒」としていないか。
今を疑え。
ホンマにこれでええのか。