昔、飛騨の山奥に、佐吉という彫刻(彫り物)の上手な男が住んでいました。佐吉は腕試しをしようと、旅に出かけます。 ところが、尾張の国まで来たときに、お金をすっかり使い果たしてしまうのです。 宿の支払いにも困った佐吉は、宿の主人に、何か彫刻をさせてほしいと頼みました。 「よし!それじゃ、宿代の代わりに、何か彫っておくんなさい。」 主人が許してくれたので、佐吉はさっそく彫り始めました。 翌朝、佐吉は見事な大黒様を、宿の主人に差し出しました。 「これは見事! こんな
大谷翔平選手と言えば。 花巻東高校時代から、「よく寝る子」だったそうです。 当然、日本ハムファイターズに入団しても、良く寝ていたらしい。 そもそもプロ野球と言えば、コテコテの体育会系です。 すると、飲み会に誘っても来ない新人には、当たりが強かったんでしょう。 大谷選手は、当時次のように言っていたそうです。 「後で見返せば良いんですよ。」 その後の活躍は、皆さんご存知の通りです。 この文章を読んでいる、お若い方々にも、当然、新しいものに挑戦する、葛藤やジレンマはある
明治〜大正時代の政治家に、野田大塊翁(たいかいおう)がいました。 本名は、卯太郎(うたろう)です。 (^○^) この方は、大物の政治家です。 明治の3元勲と言えば、 伊藤博文 山縣有朋 井上馨 です。 その井上馨ですが、雷親父でして、姻戚関係にあった、桂太郎・総理大臣でさえ、会うのを嫌がったのです。 ところが。 この野田大塊翁が会いに行くと、井上馨もニコニコとして、どんな話でもまとまったそうです。 私は言いたい! 大事な国の政治が、人間関係で決まっていいのか! (
オールドパーは1909年、ロンドンで誕生しました。その際、創業者はイギリスのある有名人の名を付けたのです。 それがトーマス・パー。 イギリスで1番長生きした人物だと、言われています。何しろ長生きで有名だったので、 何と! 152歳の時に!😆 イギリス国王が会いたいということで、ロンドンへ行きます。 そのまま、ロンドンで住むことになりましたが、しばらくするとあっけなく亡くなってしまいました。理由は豪華な食事で体を壊したとか😅 田舎の一農夫で、質素な生活をしていたため、変化
今だに根強い人気を誇る三国志。 その中でも、今一、パッとしない人物がいます。 劉備玄徳です。 あの天才軍師・諸葛亮孔明と出会うまではほとんど、宿敵・曹操に押されていました。 さらに武力面では。 関羽、張飛、さらには赤子を抱えて敵陣を突破した趙雲子龍。 綺羅星の如く人材が集まって来ました。 ひょっとすると。 トップは、周りに優秀な部下を集めるのが仕事かも知れません。 その結果、組織としては、優秀な集団となり、売り上げにも反映されるからです。 すると、 「その組
ある若い夫婦が、東京ディズニーランドを訪れました。 そして、あるレストランで「お子様ラン チ」を注文したのです。 そのお子様ランチは、9歳以下とメニューにも書いてあり、 「 恐れ入りますが 、 このメニューにも書いておりますように、お子様ランチは、大人には少し物足りないかと思われますので・・」 と伝えるのか、マニュアルの決まりでした。 しかし、キャスト(アルバイト)の青年は、マニュアルから一歩踏み出して尋 ねました。 「失礼ですが、お子様ランチはどなたが食べるの
果たして。 人は変わって行けるものだろうか? あたかも。 サナギから蝶へ、 カエルから王子様へ、 変貌を遂げる事が出来るのだろうか? 彼のように。 https://youtu.be/Ido7vbxKtvA?si=gPdzSHVrx-MyhLXA 冴えない携帯のセールスマンは、確かに一夜にして、世界を代表するオペラ歌手に変身した。 彼のビジョンは、他の誰にも見えなかったはずで、それは辛口評論家・サイモンでも同じ事が言えたはずだ。 巨大な屋久杉も、種子の頃に未来の
日本はですね。 やはり国際社会で、ユーモアの一つでも言えると、社会的地位が上がるのかな? としみじみ考えます。 DNA研究の第一人者。 筑波大学名誉教授の村上和雄先生が、講演会で、次のような事例を挙げていましたよ。 日本のある首相がですね。 (笑) 当時のビル・クリントン大統領と首脳会談を行いました。 会談に先立ち、日本の関係者が首相に入れ知恵をしたそうです。 会ったらまず ”How are you?” (お元気ですか?) と言って握手をしてください。 クリン
初心。 それは、たった一つの心であり、勇気、衝動、創造力、健康、豊かさ、あらゆるパワーの源である。 能の大家・世阿弥は、古典芸能に分類されるため、保守派のイメージが強い。 しかし、当時としては革新者(イノベーター)であった。 誰かを模倣する立場にない者は、一体誰を頼りに、新しい世界を創り出すのだろうか? 現代においては、初心といえば起業だったり、西洋の表現が許されるなら「父親となる決意をした日」だろう。 何れにせよ。 いくら熟練の高みに達したとしても、超えて行くべき
健康になるには、骨に学ぶと良いですね。(笑)😆 この骨の周囲を動かすと、健康になります。それが、 肩甲骨。(笑)😆 そして。 「大体この辺で良いだろう。」 妥協を薦めるのが。 大腿骨。(笑)😆 科学の発展に、寄与するのが。 下顎骨。(笑)😆 お後が宜しいようです。 😄
ダスキンといえば、日本の大企業です。そのダスキンの創業者が鈴木清一さんでした。 ある時。 ダスキンが赤字の報告を、株主総会で報告する事になりました。 赤字です。 部下達は、株主総会が荒れるのではないかと、戦々恐々でした。 そんな中。 壇上に上がった鈴木さんは、ぼそっと一言。 「皆様のお陰で、この程度の赤字ですみました。」 その鈴木さんの真摯な態度に、会場は静かになり、その場は収まったのでした。 日本人はやはり、 「皆様、お陰様」です。 この神様を拝むと良いですね。
日本人はやはり、 「皆様、お陰様」です。 この神様を拝むと良いですね。 (笑)(≧∇≦) それほど、日本人は、この神様が大好きです。 (笑) 「皆様のお陰で」 と言うと、周りの人々は、 「なんて謙虚な方なんだろう!」 と尊敬します。(^-^) ここで、松下幸之助さんの逸話があります。 ある経営者が、幸之助さんのファンでした。 偶然にも新幹線で、同じ列車に乗り合わせたのです。 何とかお近付きになりたいと思ったその方は、ミカンを買い、幸之助さんに、挨拶しながら渡しまし
ナチス政権下で、強制労働を強いられた人達がいました。 その中で最後まで生き延びたのは、屈強な男子ではありません。 過酷な労働の後で、夕日の美しさを眺めていた人達でした。 人は生きているだけで、価値があります。 何とか、 今日を生き延びるのです。
ピョートルは、初代ロシア皇帝を務めた人物です。 😌 写真はイメージです。 (笑)😆 彼は、外国で初歩的な抜歯術を学びます。 そして何とですね。 彼は廷臣達の虫歯を、無麻酔で抜くのを趣味にしていました。 (笑)😅 彼が抜歯器具を持って現れると、部下達は恐れたそうです。 (笑) 部下も大変ですね。 (笑)☺️
参考文献 ジョセフ・マーフィー 『人生は思うように変えられる」 第2次世界大戦で、イギリスのウイットルゼイ大佐率いる一連隊が、5年間戦って一人の死者も出さなかった。 聖書の詩篇91を連隊の全員が暗記し、規則的にくり返し祈ったことによる。 詩篇91(一部改編) いと高き者のもとにある隠れ場に住む人、全能者の陰にやどる人は 主(=潜在意識)に言うであろう。 「わが避け所、わが城、わが信頼しまつるわが神」と。 主はその羽をもって、あなたを覆われる。あなたはその翼の
女性のお喋りが、爆発的な富を生み出したお話があります。 車のメーカーにとって、ネーミングは死活問題です。 例えばクラウンがあります。 いわゆる「冠」シリーズです。 最後は、付ける名前が無くなった。 そこで、 かんむり→カムリ の名前が誕生したらしい。 (⌒▽⌒) さてスズキの鈴木修さん。 やはり新車の名前を考えていました。 すると、あるご婦人が、お喋り好きでした。 ある時は、こう。 ある時は、こう。 と喋っていました。 ピンと閃いた鈴木さん。 ある時。あるとき。