音楽家は変人 6

エピソード 6

ショッピングモールのストリートピアノでの演奏後、しばらくしてから先生をまた連れ出しました。
理由を聞かされずに連れ出されて、先生の機嫌はあまり良くありませんでした。
車を地下駐車場に停めて、エレベーターに乗りました。
黒いドレスの先生、メイド服の私、やっぱり目立ちます。
途中の階で止まっても、私と先生が乗っているのを見ると、誰も乗って来ませんでした。
最上階でエレベーターを降りました。
最上階は展望室になっています。
そしてフロアの中心に、目的のものがありました。
数十人位の人が集まっていて、その向こうからピアノの音が聞こえてきます。
「これは・・・。」
先生の目が輝きました。
集まった人々に向かって、歩き始めます。
人垣に近づくに連れて、早足になっていきます。
近づく先生に気づいた最後尾の女性が、振り向いて先生を見ました。
驚きのあまり女性は口を開けたまま、後ずさりしました。
女性の周囲の人たちも、先生に気づいて、女性と同じ表情で道をあけました。
まるでモーゼの十戒のワンシーンみたいです。
有名な、海がふたつに割れるシーンです。
私は先生の後ろをついて行きました。
「ベヒシュタインじゃないか。」
先生がつぶやきました。
先生が振り返って私に言いました。
「よくこんな所を知っていたね。」
「はい、頑張って調べました。」
「ここは庁舎か何かだろう?ここにベヒシュタインを置くなんて、ここの行政の人間はお金の使い方を解っている。」
そう言いながら先生はピアノに近づきました。
「だめですよ、先生。まだ弾いていらっしゃるんですから。順番を待ちましょう。 」
私は先生の手を掴んで止めました。
「どれくらい待てばいい?」
「ここは演奏時間が最長で十分と決められていますから、十分も待てばいいんです。」
そうこうしてる間に、先に弾いていた女性の演奏が終わりました。
集まった人たちから、いっせいに拍手がおこりました。
先生も拍手をしていました。
それが私には少し意外でした。
「直美君、ピアニストの演奏が終わったら、拍手で讃えるのは当然だよ。演奏の出来に関係なくね。」
ああ、やっぱり先生は演奏する人なんだ。
と思っていると、先生が
「僕の番だよね?」
とピアノに向かいました。
備え付けのポンプで手を消毒してから、ピアノの前の椅子に座りました。
少しの間、天を仰いでいました。
きっと何を演奏しようか考えているのでしょう。
そしておもむろに弾き始めました。

ああ、この始まり方って。
グスターヴ・ホルストの組曲惑星の中の一曲、木星。

今でも忘れられません。
先生が、セーラージュピターのコスプレで弾いてくれた時の事を。
惑星は、私が富田勲さんのシンセサイザーで聞いて好きになった初めてのクラシック曲です。
多くの指揮者、オーケストラの演奏も聴きました。
でも、先生の演奏が一番でした。
壮大なオーケストラ曲をピアノだけで。
フルオーケストラの音をピアノだけで再現するなんて。
あの時の感動は忘れられません。

組曲なので、惑星全体で大きなストーリーがあって、さらに各曲ごとにもストーリーがある。
特に木星は、起承転結が分かりやすいんです。
後に、平原綾香さんが、Jupiter
として歌を発表されました。

今日の演奏は、私が聴いた時と雰囲気が変わっていました。
より繊細に、
より壮大に、
物語が重厚になっています。
ピアノのあるフロアは、しーんと静まりかえっていて、ピアノの音だけがフロアを満たしていました。

曲が終わりに近づき、曲の雰囲気が一変、不穏な響きになって、唐突に終わりを迎えました。
一瞬の間をおいて、割れんばかりの拍手が沸き起こりました。
私がスマホのモニターから目を離して、周りを見回すと、凄い数の人が集まっていました。
先生が椅子から立ち上がり、右手を胸に当てて、集まった人達にお辞儀をしました。
慌ててモニターに視線を戻すと、ちゃんと先生が映っていました。

先生がピアノから離れて、消毒液を手に吹き付けて、私の所に戻ってきました。
「今日のも良かっただろう?」
先生が私に言いました。
「凄い良かったです。弾き方であんなにも変わるんですね。」
「そうなんだ。その場に合わせたアレンジを即興で演奏する。生演奏の醍醐味だね。」
そんな事を話していると、一人の女性が近づいて来ました。

女性の要件は、先生へのリクエストでした。
曲は、平原綾香さんのJupiter。
先生は、この歌を聞いた事がなかったので、急遽、私がスマホで検索して先生に聞かせました。
演奏の順番を待っている間、先生はずっと歌を聞いていました。

三番目に先生の順番が来ました。
「先生、お願いします。」
「ノープロブレム。」
と先生はウィンクをして、ピアノに向かいました。
先程の木星の演奏を聞いた人が残っているのか、拍手がおこりました。
先生への期待でしょうか。

手を消毒して椅子に座ります。
目を閉じると弾き始めました。

Everyday I listen to my heat ・・

Jupiterは、イントロが無く歌唱から始まります。
ピアノの音は、平原綾香さんの歌声を彷彿とさせました。
他の追随を許さない表現力と歌唱力。
ドラマ性。
荘厳と深遠の共生。
原曲でハモっているところは、ちゃんとハモらせてる。
終盤、ギターに平原綾香さんのハミングが被さる所も、見事に再現してる。
原曲がフェードアウトするように、徐々に音が小さくなっていく。
そして、End。

もう言葉にならない。
涙が溢れてくる。
木星の時よりもはるかに大きな拍手が沸き起こる。
「ありがとうございました。」
リクエストした女性が、声にならない声で言いました。
彼女の双眼も涙に濡れていました。

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