アムリタ

 私が散歩をしていた時の話である。

その日は寒く、外に出るのが億劫だった。
私は授業を休んで創作でもしようと考える。
色々な書物を読むことはしつつも、それを文学的に結実させるということがおろそかになっていることは私にとって好ましくなかったからだ。

一杯のココアを机の脇に置き、パソコンの真っ白い画面に向き合う。

もういけない。
私はいつものように自分に描きたい事柄がちっともないということを思い出した。いつものように忘れ、いつものように書こうとする。そしていつものようにそうであることに気づく。
こうなると居ても立ってもいられない。
最早書くことすらないという喜びか、はたまたそのことから生じる絶望か、私はさっきと反対にそとに出ることを欲した。

そんなわけで私はぶらぶらと歩きだしたわけである。
国道に沿って歩き、わき道にそれ、戦没者慰霊塔のある暗い公園を抜けていく。そこの長い階段を下ると市民文化会館に出るが、ここも催し物がない限り人の気配はほとんどない。

私は孤独を欲したが、もう少し人の影が必要だ。
駐車場を縦断して湖に面した公園の原っぱを目指すことにする。

そこには犬の散歩をする老人、追いかけっこをする子供たち、そしてその様子を見守る子供たちがいた。

いいではないか。
私の求める孤独はここにあった。こういう孤独は一杯のコーヒーのようであって、ひとの心を洗い清める。互いに無関心なのがいい。
例えば街中に行けば着ているもの、歩き方、目の動かし方の一々に何となく気が散ってしまう。行き過ぎる小太りのせかせかした小物らしい歩き方を侮蔑するということがあそこでは起きやすい。
ここでその小太りにであっても、私はむしろそいつをいとおしく思うだろう。

しかし、孤独の愉悦も限りがある。

私は一人の子供を眺めていた。彼は全く意気軒高として、仲間とじゃれ合っている。微笑ましい。
何が微笑ましいかと言えば、彼のつたない言葉遣いである。
もう一人を指さして盛んに同じことを繰り返して言う。その言葉は雲のようにつかみどころがなく、それでいて相手に伝わる何かを持っていた。
散歩中の柴犬が、しばしば飼い主を振り返って笑ってみせると同じように、彼らもまた賢しくないやり取りを繰り広げている。

私は彼にそれ以上を求めない。
だからこそ私と彼の関係性は決裂したのである。
彼らは未だ完全には芽吹かぬ可能性なのである。
私としては彼らにそのまま眠っていてもらいたい。
疑うことしか知らない大王たる私は、幸いにも諦めがついて、そこを立ち去った。

公園の西側を走る車道に、コンクリートの橋が架かっている。
私はそこを渡り、上へと続く小路を目指した。
小路には木々がうっそうと茂り行く先は見通せない。
その緑のトンネルの中を小路はあちこち折り返しながら続いているのである。

小路に続く十段ほどの階段の手前にはこれまたコンクリートの、座り心地の悪い椅子があった。私はせっかくなのでここで一服しようと腰を下ろす。

ジャケットの内ポケットから煙草の箱とライターを取り出した時、私はぎょっとした。
階段の一番上に真っ黒いシルエットが見えたからである。
それは黒いマントを羽織った学生帽の男であった。

私は相手をまじまじと見つめてしまった手前、会釈でもしないと気づまりだった。男はマントの合わせから右手の先を出し、掌を私の方へ向ける。
それが「恐れるなかれ」というジェスチャーだということはすぐに分かった。

セロのような音声を引き連れて、男は私の方へ降ってくる。
それにつれて音は我々の背景からどんどん凝縮されて終には男の口から発せられるようになった。
念仏のように抑揚のない声。
如何にも不気味な光景ではないか。
私は腰を浮かしかけたが、目の前の男はもう一度右掌を私に向けるとさっきと同じ手つきをした。そしてさらに「どうぞ、そのままお座りになられよ。」という風に、揃えた指先で椅子を示した。

相変わらず男は何やら唸っているようなのだが、私はもしかするとこれが聖音というやつなのではないかと思った。
すぐに居住まいをただして話しかけようと思ったが、男の方から口を開いた。しかし、その間も彼は音を絶えず発している。

「私は偉大なものと衆生を繋ぐ導管です。」

唐突な自己紹介に戸惑いつつ、私は問うた。
「あなたの言う偉大なものって、一体なんですか」
「それは一と二を生み出したるもの。善と悪の二元を離れ、その根幹にある全き善。舞妃を眺める鑑賞者であり、行為主体にあらざる者。盲に負ぶわれた足萎え。相矛盾する言葉と、これでもないあれでもないという否定によって、そのものは知られるのです。」

私は直ちに彼を尊敬すべき存在だと見て取った。
それでも私としては彼のような仲介者を俄かに認めるわけにはいかない。

「あなたの言う偉大な存在について、私は僅かながら伺ったことがあります。しかし、あなたご自身は幻です。神にせよ仏にせよ、偉大な存在の具現化した姿を私は信じないのです。」と私は言った。

すると彼はかすかに笑ったようだった。
「それは衆生への寄り添い方をよく心得ているのです。植物には植物の、ノミにはノミの、羽虫には羽虫の、犬には犬の、そして人間には人間の作法というものがあります。そしてさらにそれらは細かく分かれているのです。
あなたは謙虚な心をお持ちだ。それなのに世俗を離れた修行者の見るような世界に憧れています。あなたはやがて引き裂かれ、どこにも行く場を失うでしょう。私はあなたの鏡となってそのまま映し出しつつ、それでもそのままの境地に留まらせないように働きかけたいのです。」

私は未だ半信半疑だったが、それでも相手のいうことを留保するような、少しばかり不遜な頷きかたをした。
「それは有難いことです。しかし、私はどうも苦にしていることが全くないのです。以前のような執着はもうありませんし、完全であろうなどという思い上がりは最早持ちません。この上あなたが一体何を教えて下さるというのでしょう。」
相手も私の言葉に頷いて見せたが、そこには尊敬の色が見えた。尊敬というよりも肯定といった方がよかったかもしれない。しぶきを浴びた服に染みが出来るように、彼は私を受け入れた。
「それでいいのです。私はただ現れるだけ。あなたには私を知っていてほしいのです。我が友人である誕生と死があなたに寄り添っているように、私もまたあなたのすぐ近くにいるのです。そのことを知っていてほしい。今はそれだけ。また私の方からあなたを訪れます。さようなら。」
男は丁寧にお辞儀をした。

目を瞬いた一瞬のうちに彼は消え失せてしまっていた。

私はそれから三日間、ほとんどの時間を寝て過ごした。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?