【休職教員】休職した理由

久々の投稿になりました。いろいろあって、現場に復帰しています。
(そのこともちょっとずつ書けたらいいなあと思っています)
コロナに罹患してしまい、時間はあるので、
過去を振り返って、自身で考える休職した理由を書いてみようと思います。


【自分で振り返る、休職した理由】

①自分の気持ち(ネガティブなもの)をうまく言葉にできなかったこと
 久々の学校で、しかも全然うまくいかない辛さを、同僚に伝えられなかった。始まってすぐに、「学級崩壊状態です。」とは言えたものの、「自分の心が苦しいです」「教室に上がるのが本当に辛いです」「とにかく逃げたいです」と言えなかった。だから、同僚も気にかけてくれたものの、アドバイスが中心だった。今振り返ると、「わかるよ」「辛いよね」って共感して欲しかったなぁと思う。でも、そんな自分を「甘いな」と思う自分もいる。
 辛さをうまく言葉にできなかったからこそ、なんとなく辛い、よくわからないけどしんどいという感覚になり、対処ができなかった部分もある。 

②プライドがすごく高く、それが一気に折られたこと
 委員会事務局にいた時は自分は選ばれた、なんて思っていたし、その前の学校でも実践発表などをしていたので、自分はできるという驕りがあった。でも何もできないし、学校のことは忘れているし、この子たちと向かい合う芯の強さがなかった。それどころか、どこかで「久々の復帰なんだから、助けてくれてもいいんじゃないの」なんて思っていた。そんな気持ちなのに何もできず、一気にプライドがへし折られた。

③不安に向き合う強さがなかったこと
 過去を振りかえって、不安を抱えておくことを無意識で避けてきたように思う。何かしんどいことがあったら考えないように(なかったように)して過ごすか、相手に自分本位な形で話してなんとかしようとしていたと思う。今回担任した子たちから見ると、自分たちの気持ちを一切受け取ってくれない先生のように見えたのではないかと思う。だからこそ、さらに悪循環が広がっていったのではと思う。
 また、不安や怖さがこれまで抱えたことのないくらいの大きさで、どうしたらよいのかわからなかったのだと思う。

④「こうあるべき」と考える時、自分の感情が入っていないこと
 
自分は、「教師ならこうあるべき」という思いが強いと感じた。仕事での価値判断の多くはそこに基づいていた。それは悪いことではないんだけれど、自分の気持ちを無視して「教師像」を演じるほどに、自分の心は強くなかったということに気がついた。また、「こうあるべき」が強すぎて、うまくいかなかったり休んでしまったりする自分に対して、「ふつうはこれくらいはできるんだから、そうできないのは自分の実力不足である」と考えてしまった。そう考えることによって力量を高められる部分もあるんだけれど、自分の首を絞めてしまうことになると気付いた。

⑤前の学校での、自分のアドバンテージに気付いていなかった
 前任校では、初日から意欲がある子が多かったし、ある程度真剣な雰囲気が学級に流れていて、そこからスタートしていた。もちろん、今年の子たちと雰囲気が大分違う(子による)こともある。でもそれだけではなくて、前の学校では数年勤めるうちに関わる子が増え、「叱ったら怖いけれど優しい先生」「楽しい時は楽しい先生」というありがたい立ち位置に立っていたんだと気がついた。それで、その感覚のまま今年の学級をスタートしてしまった。子どもたちからすると、「いきなり来た、よくわからない先生」なのに、「怖いけれど優しい先生」と見てもらえるという感覚からスタートしてしまったのだと思う。子ども視点が抜けていたなぁと思う。

環境要因としては、自分のことを一切気にかけてくれない異動や無茶な学年配当もあるけれど、自分にとっての要因は上のようなものだと思う。

そして、全ては自分の自信のなさにして逃げているところにつながるのではないかと思った。自分の感情を出せないのも、それで人に嫌われたくないという部分があるし、「自分の実力不足」と自分で振り返ることによって、「自分で自分を反省しているんだから、それ以上厳しいことを言わないで」と周りの人に優しさを求めている部分もあるんじゃないかと思った。

自信のあるーなし、厳しさー優しさ、規律ー自由…なんでも同じだと思うけれど、どちらかに振れすぎると周りも自分もしんどくなってしまう。だから、”ちょうどいい”を目指して、ある程度頑張っていくことが大切なのかなぁと思った。

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