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母を亡くすということ

母の日を目前に突然母が亡くなった。

母の日は会いに行けそうにないな…
と思いながら母の日の贈り物もなかなか決められずにいた私。

やっとのことで母の好きなお茶を送る手配を終え
行けない罪悪感から少し解放されていた時だった。


母は高齢だったから
ある程度の覚悟はしていたはずだったんだ

なのに
こんなに辛いとは知らなかった
分かっているようで分かっていなかった
母親を亡くすということ…

自分の何かが欠けたような
心の拠り所がなくなったような
ほんとにポッカリと穴が空いた感覚だった



街に出ると母と同じ年ごろの人ばかりが目に入った
見るもの全てが母とリンクして
外を歩くことも辛かった

ちょうど母の日ギフトの売り場があちこちに作られている頃で
そばを通ると胸が締め付けられた
ギフトを選ぶ人たちを見て涙が出てきた

もう私は母の日に何を送ろうかと考えることもないんだ
それどころか
お母さんにもう会えないんだ

そんなことばかりを考えていた

しばらく会いに行っていなかった自分を責めまくった
会いに行くかどうか迷いに迷って行かなかったあの日
もし行っていたら何か少しは変わったいたのかもしれない


大人になって親になり
それでも子育て期は精神的に頼りっぱなしで
何か困る度相談やら愚痴やらいっぱい聞いてもらって

育児で大変だった時期が過ぎ
子ども達が手を離れてからは母にあれこれ相談したり頼ったりすることも減り
母も年齢を重ね耳が遠くなったりもして
会話がスムーズにできなくなってきて
段々と込み入った話はしなくなっていた

それでも3人の息子たちのことや
孫-母にとってはひ孫-のことは
母が笑顔になって元気になるから会うたびに話していたから

今でも孫の面白い動画とか
孫の成長した様子とか
何かあると「お母さんにも教えてあげなきゃ」と考えている自分に気づく

可愛い動画が撮れると
お母さんに見せたら何ていうかな
と、考えて
そうだった
見せられないんだと気付く

子ども達のこと以外でも気が付くと
「こんな時お母さんならきっとこんな風に言うよね」
と考えている。

でももう
「やっぱりね。言うと思ったわ!」
なんて言うこともできないと改めて気づく
そんな繰り返し。

私ってこんなにお母さんのことばかり考えてたっけ…
と思う。

やっぱり母親の存在って大きいんだ
そんなことを今さらながら痛感している。






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