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幸せは振り子のよう

波瀾万丈な人生がある。
生まれは貧乏で父からの家庭内暴力があって、でも成長して大人になると起業をして、自身の努力で事業を拡大し大成功するみたいな話だ。

直近で辛い経験があると、普段は気づかないささやかな幸せに心が動かされたり、自分の今ある幸せについて知ることができたりする。

逆に何も難がない人生、つまり無難な人生は激しいどん底こそないが、その分、劇的な感情に動かされることも少ない。そう、まさに振り子のようだ。
自分の感受性を思いっきり開いて全力で物事にぶつかれば怪我もするかもしれないが、そこから何かを得られたのならその感動もひとしおだろう。

怪我が怖くて挑戦しないうちには挑戦の先にある新しい発見が得られない。そこから自分の感受性の幅が縮まってしまう。結果、幸福の幅も狭いままだと思う。

話は大きく飛ぶが、スマホはかなり害悪だ。
なぜなら手軽に膨大な量の魅力的なコンテンツが簡単にいくらでも見れてしまう。
これは普段何気ない日常を過ごしているだけでは到底得られないほどの大量のドーパミンが一気に放出され、一時的には幸福になるものの、その後しばらく何もしていないと落ち着かなくなり、刺激をより欲するようになることによって、禁断症状に似た状態になってしまうからだ。

これにはドーパミンを正常な量まで戻すことが必要で、それは身体になんらかのストレスを与えることが有効らしい。
例えば運動をしたり、冷たい水を浴びることが有効らしく、スマホによって高まり過ぎたドーパミンを下げ、脳の興奮状態を鎮めてくれるらしい。

ここで何が言いたいかと言うと、結局は先ほどの振り子理論で、なんの労力も時間もかからない手軽で強力な幸福感はその反動がすぐに喪失感としてやってくるということだ。

同じことで言えば宝くじもそうだ。
大きく当たれば最初は幸せの絶頂だが、その後の人生は悲惨なものだ。何故なら自分の能力で手にした幸せでないうえにあまりにも急激な変化であるがゆえに、その反動からなる喪失感や虚無感に耐えることができないからだ。
実際、宝くじで高額当選した人のほとんどがその後の人生を不幸で過ごしている。
そう、ただ振り幅を大きく激情な人生を送ればいいっていうことでもないのだ。

じゃあ、ずっと幸せってありえないの?
という意見もあると思うけど、だからこそ自分に負荷をかける必要があるということなんだとおもう。つまり、日々の努力や精進することがそれだ。

振り子が幸福に振れたら、今度は必ずしも不幸に振れるとは限らない。それは感じ方の問題で、幸せが続きすぎるとそれが当たり前となって何も感じなくなる。要は振り子が止まった状態に近づいていく。
その幸福に対して、努力や精進することで今ある幸せをより感じやすくなり、振り子はその振り幅を大きくしてくれる。
そしてそうした努力が実れば、それはさらに大きな幸せとなって振り子を大きく動かしてくれることにもなる。


理想は小さな幸福を大きく捉え、降りかかる不幸を次の幸福の前触れと考えて、努力し精進することで自身の幸福の感受性の幅を広げつつ、何かに挑戦していくこと。
これが今回の一連の話の中であくまで僕の頭の中で考えた振り子理論だ。
僕自身こんなふうになれたらいいなと思うし、実践していきたいとも思う。

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