見出し画像

紙とペンの世界

先週、仕事から帰宅した際に郵便受けをチェックしたら、衆議院選挙の投票はがきが届いていた。2022年に約20年ぶりに日本に帰国してから初めての国勢選挙である。

投票当日には、予め指定された最寄りの投票所にこのハガキを持参する必要があると書いてある。また、このハガキの裏面に住所、氏名、生年月日を記入して区役所に持っていけば期日前投票が出来るそうだ。

よく考えると、ハガキの表に堂々と印刷されている住所と氏名を改めて手書きで書かせることに何かの意味があるのだろうか。例えば、他人のハガキをもった悪意ある人が期日前投票を試みたとしよう。生年月日はともかく、住所と名前は表に書いてあるのだ。他人のハガキで投票することを思いつく程度の知能のある悪人なら、表面の住所と氏名をそのまま記入する位の悪知恵は働くだろう。

また、投票当日にハガキを持参して投票する際は、これらを手書きで書く必要はないのだ。ハガキの裏面を詳しく読んでみると、期日前投票をする理由を選択肢の中から1つ選んで丸を付け、その理由が「真実である事を誓う」必要があるらしい。この「期日前投票宣誓書」の一部として住所、氏名、生年月日を書く必要があるのだそうだ。

前回の衆議院選挙では1500万人以上の有権者が期日前投票を利用したという。自分の名前と住所を手書きで書くのに平均30秒掛かるとすると、計4億5000万秒、年に換算すると14.2年もの時間が、悪人でも余裕で記入できる文字列を書く為に費やされていったのかと思うと、涙なしでは語れない。

そもそも郵便で紙のハガキを全有権者に届けるという仕組み自体が、郵便局への圧倒的な信頼とアナログへの絶対的な忠誠心に基づいているのではないか。100%とは言わないまでも、住所のある有権者の99.999%には正確にこのハガキが届けられるという前提があって初めて成り立つ仕組みである。ある意味日本だからできることでもある。

もしハガキを紛失したらどうなるのか。「万が一ハガキを忘れても投票は出来る」と裏面に書いてあったが、そもそもハガキが届かなかったらそれすらも伝わらない。遅刻が目立つ朝の教室で「遅刻をしないように」と遅刻しなかった学生に注意する教員のジレンマのようでもある。また、ハガキが未達の場合で「期日前投票宣誓書」を持参できなくても、その他の書類で本人確認が出来れば投票は可能らしい。

であれば、わざわざ日本全国およそ1億人以上の有権者一人一人へ紙の投票ハガキを届ける必要性はあるのだろうか。デジタル大国と呼ばれるエストニアでは2005年から電子投票が始まったらしい。それから20年経った今も、日本ではデジタル投票どころか、莫大な人件費、紙代、印刷費、郵送代をかけて投票ハガキ1億枚以上を全国津々浦々の有権者へ届け続ける。期日前投票の為には住所氏名を書き込むために大量のインクと時間が消費され続けている。SDGsもどこ吹く風だ。

勿論、こういった伝統的でアナログな選挙の仕組みを支える舞台裏では並々ならぬ努力があるのだろうが、デジタル化で日本の遥か先を行く国々に目もくれず、頑なに周回遅れを決め込む姿に日本の「失われた30年」の一片を見た気がした。

いいなと思ったら応援しよう!