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善光寺の奇跡・その3・お戒壇巡りで御仏が現る
スピリチュアルなスクチャイさん 003 長野 > 長野市善光寺
善光寺の奇跡「お戒壇巡りで御仏が現る」の話
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「善光寺の奇跡その1」で書いたように中学の修学旅行で善光寺境内で一瞬会った同級生の兄さんと高校入学後のクラブで再会し、
また、「善光寺の奇跡その2」で書いたように長年お世話になっていたホテルマンが辞職した数年後、善光寺のお参り後に宿泊ホテルで再会した。
上記2つの出来事を「単なる偶然」と言って片付けてしまうのは簡単だが、よくよく考えてみたらかなり多くの条件が重なり合わないと実現不可能な低い確率の下での出来事だ。
これらの2つの出来事には共通項があって、どちらも「善光寺さん」が舞台になっているということだ。
ーーー
さて、ここには「善光寺さん」を舞台にした3つめの奇跡をしたためる。
上記2つ目のホテルマン(おさむちゃん)との奇跡の翌日、吾輩は早朝のお朝事(あさじ)に参列した。2024年3月のことだ。
当日6:45に始まるお朝事に参列し、高僧出入時の2回、吾輩は頭を数珠で撫でていただいた。(御数珠頂戴)
お朝事は6:45から始まり、1時間弱続く。
吾輩は畳の上で正座していたが・・・
気温マイナス2度。
そのうち足が氷のように冷たくなり・・・感覚もなくなり・・・
これも修行と思えば何のこれしき・・・
・・・と言いたかったのだが・・・
終わる頃には足の痺れと冷凍保存されたような足はもはや自分の足ではない感覚で・・・
最後には「誰の足やねんこれ?」の状態でその場にひっくり返るしかなかったのだった。・・・_| ̄|○
ーーー
一番最初に善光寺に来たのは「奇跡その1」で書いた中学校3年生の時の修学旅行で、それ以来吾輩は長野に来る度に善光寺は数え切れないくらい参拝している。
修学旅行では無理だったが、その後の参拝ごとにご本尊の真下を潜るお戒壇巡り(胎内巡りとも言う)を行っている。
今朝は氷点下2度のまだ暗い早暁にホテルから半時間ほど歩いて6:15には本堂に到着した。
お朝事の始まる前だが吾輩が到着した6:15に内陣の門が開き、係員さんが今からお戒壇巡りもできるというので、周りに人がいないのをいいことに吾輩は静かなお堂の奥に一人で入った。
そしてお戒壇巡りへの下り階段手前にあるタイの仏像に合掌してから階段を降りた。
何度来ても、真っ暗な空間を歩くのは結構怖いのだった。
特に今日は早朝一番のりなので、お戒壇巡りに来る人は前にも後ろにも誰もおらず自分ひとりだ。
昼間は参拝客が絶え間なく入ってくるので、たいてい前後に人がいる。
正直、最初はたった一人で静かに集中して歩けると嬉しかったが、入ってみると人がいなさすぎて逆に怖くなったのだ。
これも仏教の修行のひとつだと自分に言い聞かせる。
入り口の案内に書いてあるように、暗闇では右手で右側の壁を触れながら、壁に沿ってゆっくりと進めば良い。
ともかくお戒壇巡りの中は宇宙の深淵を思わせるような真っ暗闇だ。
・・・途中、換気のための風の吹き出しを感じたりする。
丸い柱のところでは、その円に沿って歩く。
すると・・・
真っ暗なはずなのだが・・・
「!?」
なにか見えるのだ・・・
進む方向の少し左側に、縦長で青と緑の袈裟のようなのを身に付けた何かボヤッとした明かりのようなものが宙に浮いて見える。
左手を差し伸べても消えない・・・
ぼんやりしていて目のピントがそれに絶対に合わない・・・
歩を進めるにつれ、その像はすっと消えた。
その時からだ。
誰かが背後からついて来る気配を感じ始めた。
あきらかに誰もいるはずがないのに。
真っ暗で何も見えない中でも、振り返ることは憚った。
正直、怖かったのだ。
後で冷静に思えば怖がることなどない、とはわかるのだが、現場ではともかく怖かったのだ。
でその後、また前方少し左手に同じような青と緑を混ぜたような色合いの、あたかも袈裟を着たような縦長の紡錘形の姿が現れた!
「!?」
御仏としか思えない・・・
怖いを通り越して、直感で、ただただありがたい存在としか思えなくなった。
真に暗い中でお姿を見せてくれているのだ。
背後にも依然として気配を感じる。
その後、ご本尊の真下あたりの場所の右手側に「極楽への扉の取手」という金具を手探りで見つけた。
これは何度も握っているので、そろそろだろうとはわかっていた。
今回もそれを握って、握手するように左右に優しく揺すった。
そのとき、背後の気配はスッと消えた。
さらにしばらく暗闇を進むと、ぼんやり外の明かりが見えてきて、現世に戻った気がした。
急な階段を登ると、入り口の階段の横だった。
再度タイから来た仏像をしばらく眺め合掌した。
周りには参拝客はもとより係員もいなかった。
最初から誰もいないのだから、吾輩の背後から出てくる人ももちろんいない。
自分がお戒壇に入った直後に誰かがついてくることはあり得ないことだった。
ーーー
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スクチャイさんそっくり
当日、昼13時に再度善光寺に赴いて、大勧進でお護摩を炊いてもらった。
年に一回3,000円を奉納してお護摩を炊いてもらうのをここ数年続けている。
僧侶の護摩の所作が見事で、お不動様の火を眺め、調子のいいテンポの太鼓の音はお腹に響き、その太鼓に合わせて不動明王の真言をひたすら唱えるライブ感は、1年に少なくとも1回は聞きたくなるほど癖になっているのだった。
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ちなみに善光寺の参拝券は2日間有効なので長野に一泊して2日間いると両日何度も来て入ることが出来る。
600円の参拝券は本堂内陣と外の史料館に何度も入れるし、1200円の拝観券では山門にも何度も上がれる。
ちなみに車で来た場合は、護摩の予約をしておくと駐車場料金は無料となり、当日は終日無料で停めておけるので時間を気にせず心ゆくまで善光寺を参拝できる。
史料館は今回初めて入った。
2010年にダライラマ14世法王が善光寺に来られたときに残した書と仏像と砂絵があった。
金ピカの仏像はダライラマがはるばるインドのダラムサラから持って来て善光寺に献上されたものだ。
ダライラマ率いるチベット僧10名は善光寺滞在中に砂曼荼羅を描き、ダライラマが開眼させた。
その大きな砂曼荼羅は揺すったり風が吹くと崩れる繊細な仏教芸術だが、2024年1月1日の地震には幸い影響を受けなかったようだ。
1月1日16時の大地震の当日善光寺本堂に仕えていた係員さんの話によると、あの巨大な国宝の本堂全体が大きく揺れ、相当怖かったとのことだ。
幸い本堂は地震の影響がなかったようだが、別のお堂では仏像二体が倒れ、修理が必要になったとのことだ。
行くたびに何らかの気付きや知識が得られる善光寺さんには、これからも何度も赴くことになるだろう。
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(おわり)