詩と音楽のあいだ In Poetry and Music
今年から、以前作った日本語の歌を英語に訳詞することを始めています。
こちらで公開したものは、二つ。
With Gentle Color(原題 やさしい色で)と Flower garden(原題お花畑)という曲で、どちらもふみさんの詩に付けた曲です。
訳詞には翻訳者の主観が反映されますので、詩の原作者にとって予想外のものが出来上がってきたりすると思いますが、ふみさんはどちらも快く受け入れて下さったので、とても感謝しています。
以下は、ふみさんの詩に付けた曲の作曲者である私が、今度はその訳詞者として歌詞を英語に訳詞した時の裏話がメインなのですが、ひょっとして何かの参考になるかもしれないという思いもありまして、公開することに致しました。
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訳詞というのは、歌詞の翻訳です。
詩の翻訳である訳詩と違い、訳詞はオリジナルの歌詞に付けられたメロディに合うように翻訳する必要があります。そこに、訳詞の難しさがあると感じています。
難しさと言えば、訳詩の場合でも、やはり難しいところがあります。例えば英語への訳詩なら、原詩の日本語のリズム感の代わりに英語のリズム感を活かすような翻訳が必要ですから、決して簡単なものではありません。訳詞となるとそれに加えて、既に作られたメロディのリズムに、英語のリズム感をマッチさせるような翻訳が必要になるので、別の難しさがあるんです。
訳詞がそんなに難しいなら、まず訳詩して、それに曲付けすればいいではないか、と思われるかもしれません。
確かにその通りです。
作曲者としては、オリジナルの歌詞を訳詩したものに新たに曲付けする方が、圧倒的に作りやすいです。ただしそれは、そのオリジナルにまだ曲を付けていない場合です。原詩を使った歌が既に出来ている場合は、そのイメージが邪魔して別の曲を付けるのは圧倒的に難しいと感じます。一度完成した音楽は、頭の中に、例えるなら水晶のような存在感のあるイメージとして、固定されてしまうような気がします。
私は訳詞をするとき、辞書と首っ引きであれこれ英訳を考えるのですが、どうにもならなくてメロディを変えるしかないと思うこともあります。もちろん必要なら、メロディを部分的に大きく変えてしまうという作曲者の特権的な裏技を行使できるのですが、やはり前に作った原曲の雰囲気を大切にしたいという思いがあります。ですから、変えるとしても最小限に留め、メロディラインはそのまま残す形でやりたいと思うわけです。そうしますと、かなりの意訳になったり、メロディの音符数と詞の音節数を合わせるために原詞にない修飾節を挿入することも避けられません。
意訳といえば、詩の翻訳である訳詩でも同じことが言えます。
直訳で、詩に特有のリズム感を出そうとしたら、至難の技ですから。
意訳をする前提として、訳詩も訳詞も、原詩の意味をしかるべく捉えることが必要です。
「しかるべく」というのは、「正確に」ということではありません。
詩は、一通りの解釈しか許されない法律の文章ではありませんから、読み手によって感じ方が違って当然。
そういう読み手としての自由度が、翻訳者にもそのまま許されるのかわかりませんが、私は訳詩(詞)を翻訳というより、その世界観を背景にして作り直す翻案に近いものと考えておりまして、それなら自分の解釈で自由に(もちろん原詩の作者の了解のもとに)制作して構わないのではないかと。
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さて、数年前のことですが、「あめつちのあいだに」という詩に曲を付けました。
それはふみさんの詩に付けた歌の曲でして、昨年ふみさんの歌でご紹介いただいています。
詩は、昨年ふみさんが上梓された「天意さん詩集」(Amazon版)の巻頭を飾る詩として収録されていまして、ふみさんの世界観が象徴的に表わされているように感じます。
曲の冒頭部分の歌詞を引用します。
さて、次はこれを訳詞してみようと思い立ちまして、訳詞にあたって、まず冒頭の「そのこころ」をどう訳すか、いろいろと考えました。
詩の前半は、「そのこころ」が行動主体として、計画して何かをつくったり、誰かに何かをさせたりします。
イメージ的にはキリスト教で言えば天地創造、ヒンドゥー教なら乳海攪拌、日本神話なら天地開闢のような感じでしょうか。
そのイメージですと「何かを作る」行動主体は、創造主、つまり神ということになります。
そうすると冒頭の「そのこころ」とは創造主の意思になります。それは、宗教色を弱めた言葉で言い換えるなら「自然の摂理」に他ならないと考えまして、その訳語として Nature's Blessing (これを直訳すると「自然の恩恵」でしょうか)を使うことにしました。
訳詞にあたって、もう一つの問題は、タイトルでした。
タイトルの「あめつちのあいだに」は、詩の中でも使われていまして、詩の世界観を象徴的に表現しています。
ここを普通に訳すなら、その副詞句はBetween Heaven and Earth となりますが、そこでハムレットの一節を思い出してしまったのです。
古いものですが坪内逍遥の訳です。
この原文の副詞句は、Between Heaven and Earth ではなくて、In Heaven and Earth となっているのですが、逍遥は「間に」と訳していまして、他の訳者もそれに倣っているようです。in は「その中に」という意味ですから、「天地を一体としてその関係性の中に」という意味で「あいだ」という言葉を使ったのではないかと思います。
その根拠は、「あいだ」には、空間的・時間的な範囲はもちろん、物事・現象などの相対するものの関係なども、表すことができるからです。
これは、相対する事物の関連性を表す「あいだ」の使い方の一例です。
前置詞の話題が出たところで、ついでに脱線しますが、家内から聞いたほら話です。ホントかもしれませんが確認していません。
何かといいますと、通りにゴミが落ちている場合、英語と米語で表現が違うのだそうです。英語では in the street 、米語では on the street と前置詞が違う。学校英文法なら道路上にという意味で米語のonが正解なのでしょうが、何故英語ではinなのか?
その答えは、イングランドでは高い建物に囲まれるように通りがあるから「その中に」という意味でinなんだそうです。ところがアメリカへ行くと何もないんですね。もちろん建国当時の話です。だだっ広い平原に道がある。もともと植民された国でしたから、まだ大都市がない。道に沿ってぽつぽつとしか建物がない。道は建物に囲まれた感じがないので「その中に」ではなくて「その上に」という意味のonなんだとか。
しかし、そもそも、そんな周りに建物もろくにない通りに、ゴミが落ちているだろうか?
話を戻します。
in を「あいだに」と訳した逍遥の話の続きです。
「あいだ」という言葉は、物事・現象などの相対するものの関係性を表せるので、逍遥はその意味合いで In Heaven and Earth を「天と地の内に」ではなく「天と地の間に」と訳したのではないかというのが、私の意見でした。
そうすると、今度は逆の立場で日本語の「あいだに」という言葉を英訳するとしたら、betweenの他にinも候補になるわけです。
ふみさんの詩の、関係する箇所を改めて見てみます。
「(そのこころが)天地の間に 何をか させる」ことで、何が起きるのでしょうか。
雨、風、雲は、空中すなわち天と地の間にあるものです。
雨は、地上に落ちて水になる。
おひさまが天にあるのか微妙ですが、天動説のように天を宇宙空間と捉えるなら天にあります。
ひだまりはおひさまの熱で地面近くにできます。
また、雨も風も雲も、おひさまの放射エネルギーで作られるものです。
花は地上にあって、咲くのはおひさまのおかげです。
またふわりという言葉は、散った花びらが、ふわふわと空中を舞うようなイメージを想起させます。
こうして見ますと、ふみさんの「あめつちにあいだ」は、天と地を一体としてその間にある諸々のものも含めた関係性まで表現していることがわかります。
では、「~の間に」という意味で使われるbetweenの方には、二者の関係性が表せないのかというと、そうでもないようです。
betweenの語義を調べたらちゃんとありました。
ということで、どちらも使えることがわかりましたが、私の趣味的にはハムレットのセリフのように In Heaven and Earth と訳したくなったわけです。
でも、そう簡単に決められないのが訳詞です。
つまり、原詩に付けたメロディが既に出来ていて、それを大きく変えられないという制約があるので、詩の単語やフレーズは、メロディとの親和性まで考慮して決めなければならないのです。
候補は in と Between の二つ。
単語の長さは大きく違いますが、音として聴けば 一音節と二音節の違い、つまり一つの音符に割り振るか、二つの音符に割り振るかという違いだけ。
とはいえ、Betweenは後ろにアクセントがあるので、歌う場合でもそのリズム的な効果は無視できません。
ここは、どちらの前置詞を選ぶかに関して、言葉のニュアンスよりも、後ろに続く言葉も含めたフレーズの音響的かつ音楽的な効果を重視したいと思いました。
ということで、その箇所をメロディに割り振った楽譜を並べてみました。
歌詞の一行目はオリジナルの日本語歌詞、二、三行目が候補の訳詞です。
最初の「あめ」の部分は、二分音符を二つ並べることで、厳かな雰囲気を出す工夫をしています。ここに in を配する場合、音節が一つなので二つの二分音符を連結して(全音符にして)そこに in を配すると、後ろがうまく譜割できます。一方 between なら「あめ」と同じ譜割になりまして、その後の部分は in の場合と同様です。
両者とも母音は全てi(但し米語の between の発音は bətwíːn)という共通性がありますので、母音の響きからくる印象に大きな違いはありません。
そうすると、ここはinとして音節一つで音を引き延ばして落ち着いた雰囲気にするか、あるいは音節二つの between にして畳みかけるような効果を出すかという選択になります。
それを決めるために、この部分を何度か歌っているうちに、ふと気が付いたことがありました。
ここは キリスト教のミサ典礼で使われる聖歌キリエ・エレイソン Kyrie eleison(主よあわれみたまえ)とよく似た母音の構成になっているのです。
音符にテキストを割り振って並べてみるとこんな感じです。
母音構成を見ますと、一小節目は iのみで構成されており、二小節目が e で始まるところが一致しています。
このキリエのイメージで頭が満たされてしまった以上、ここは同じ音を2回続けるBetweenの方がより厳かに聴こえてきまして、最終的にここにはBetweenを持ってくることに決めました。
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長々と書いてきましたが、最後にもう一つだけ。
ふみさんがローマ字で書かれた ran ran ran ran ran のところです。
これをそのまま英語ボカロに歌わせましたら、動詞runの過去形の連呼になりました。^^
つまり
rˈæn rˈæn rˈæn rˈæn rˈæn
と発音されてしまった。
ランランランは、意味のない言葉ですが、そのままだと
走った 走った 走った 走った 走った
という意味にとられかねない^^;
ということで、その部分は英語としても意味のない言葉
Tra-la と Tra-la-la
に変えてあります。
ただ、Weblio例文辞書での「Tra-la」に類似した例文を見ましたら、こうありました。
つまり発音が悪いと、ムカシトカゲや鱈と誤解される恐れがあるということでしょうか。^^
おっと、訳詞した「あめつちのあいだ」の音源のリンクを張るのを忘れていました。
歌は、マルチリンガルの女声AIボーカル、Saki AIです。
今回、動画にも凝りまして、字幕をカラオケ風にしていますので、どうぞご覧ください。