【短編小説 オーストラリアのハウスハンティング5】 キャロルのデータ予測
私はまたネットで不動産情報を見ていた。物件が増え続けているようだ。この調子でいけば、きっとチャンスがやってくるに違いない。
私の名前はキャロル。
私は姉と一緒にハウスハンティング中である。自分たちの住むところではなく80代の母親のためだ。母親は田舎で一人暮らしだが数ヶ月前に自宅で転倒し、このままでは不安なのでシティに近いところにユニットを購入することにしたのだ。資金は亡くなった父が残した投資ファンドを解約して調達することにしている。
しかし、言い出しっぺの姉はなかなか良い物件を買うことができない。姉は、性格はいいが、いわゆる世間知らずで、生馬の目を抜くような現在の不動産市場で苦戦を強いられていた。
まず彼女は最初にイーストウッド地区の物件のオークションに臨んだが、全く相手にならなかった。同じような物件がキングスコート地区に出てこれもオークションに参加しが、結果は中国人バイヤーに持っていかれた。その後も2件のオークションに失敗し、流石に自信をなくした姉は、私に「なんとかしてよ」と相談するようになった。
さて、私はデータ分析が好きだ。なぜなら私は政府機関に勤めている統計数学者なのである。私の専門は人口動態解析で、政府の移民政策や都市計画に策定のために国際的なまたは国内の人口の移動などを分析しているのだ。
まずは例年の不動産市場の動態を探ってみた。私たちの購入戦略に対して何か重要な傾向があるかもしれないと思ったからだ。すると毎年、春が始まる8月ごろから徐々に売りに出される不動産の数が少しずつ増えることがわかった。たぶん、冬の間はバカンスに行かないので家の整理をするせいだろう。今はもう9月初めであるが、確かに物件の数は増えてきている。売りに出されてからオークションにかけられるまでの時間を考えると、今月末あたりがチャンスだ。物件の数が増えれば、1物件あたりに集まるバイヤーの数が減り落札できる可能性が大きくなるはずだ。
私はほぼ確信した。
「この時期に決着をつけるしかない」
◇
9月末になると、予想したように多くの物件がオークションの時期を迎え、私は落札しやすい時期に入ったように思えた。それを確認するためニューフラムで行われたオークションを見に行った。私が期待した通り、オークションの参加者は二組だけで残りは野次馬だった。落札したのは30代と思われるカップルだった。カップルのうちの女性は日本人で本当に嬉しそうで涙ぐんでいた。これまでなかなか家が買えずに苦労してきたことは明らかだった。しかし今回、彼女はいい物件なのにバイヤーが集まらないという幸運に当たったのだ。私は思わず、「あなたたちはいい買い物をしたね」と祝福しないではいられなかった。
さて、この町の不動産バイヤーにとって幸運の波がやって来たことを確認した私と姉は、その日の午後から続け様に3件のオークションに臨むことにした。1件目は今日の午後1時で、2件目は明日の朝10時、3件目は明日に2時半だった。
1件目は、姉がかつて失敗したイーストウッド地区の隣のイーストガーデンにあるユニットだ。ここもイーストウッド同様便利なところで、建物は少し古いがユニットにしては大きめにできていてカップルや家族でも住める広さである。「狭いところは嫌」と言っていた母にはいい物件だ。
無表情の姉はオークションに向いていてレイズする役になり、レイズする場合は私が彼女の腰を叩くことにした。オークションが始まった。最初から私たちと建設業のような男性との一騎打ちになり、どんどんレイズしていった。そして、最後はこちらが力つき持って行かれた。彼らにとっては古い物件を安く買って綺麗にして高く売りたいのでこういう物件が狙い目なのだ。
次の日、2件目のオークション会場に行った。私の好きなパブであるチェルシーホテルのあるハイゲイト地区の小さな一軒家である。一軒家といっても、この物件は2件続きのいわゆるセミデタッチトでユニットと同じような広さで同じような価格帯だった。家族で住むには小さすぎるが、若いシングルには高すぎて買えない。それでいて老人は管理が楽なユニットに住みたがるので、この物件は狙い目に見えた。シティに近く賑やかで、外交的な母にはいいところだろう。
これも、最終的に私たちとプロのバイヤーと思われる女性との一騎討ちなった。彼女は携帯電話で誰かと話しながらレイズしていった。電話で話している表情からしてもうレイズをやめるのではないかと何度も思ったが、その度に長い時間をかけてしつこくレイズしてきた。最終的には、彼女、または彼女のクライアントの方が私たちより体力があり、先に私たちの限界に来てしまい万事急須となった。オークションの途中、勝てるのではという手応えが感じられたので、持って行かれた時にはかなりショックだった。しかし、頭を次の物件に切り替えた。
3件目はレスターヒルにあるユニットだ。ここはシティから少しだけ遠くなり姉の家から車で20分になるが、丘の麓にあり静かなサバーブだ。それでいて近くにモールがあり生活するには便利だ。道の幅も広く、路上駐車が容易で、私たちが車で訪ねて行きやすいところである。同じようなユニットがたくさんあり、母のような独居老人が多く住んでいると考えられ、母が友人を作るにはベストの場所だろう。
「もうこれを取らないと、後がない」
私たちは追い詰められた。この週末を逃せば、物件の数はまた減ってしまう。そのため、このオークションではこれまでより最終的なレイズの額を少し多めにすることにした。
バイヤーが集まらないラッキーな物件かもと期待したのだが、オークションの参加者数は、これまでで一番多い6組だった。その時点で私たちはかなり意気消沈してしまった。
オークションが始まった。ところが誰も何も言わない。しばらくしてオークショナーが仕方なく自ら最初の値段をつけた。それでも誰もレイズしない。私は姉にレイズさせた。すると、他にも女性の二人組いて、レイズした。それからお互い3回レイズしたところで、彼女らは空を見てしまった。
「お、彼女らは息切れしたか?」
私は他の参加者を見渡した。ここに住みそうもない、プロのバイヤーと見られる中年男性が少なくとも二人いた。彼らは地面を見ているだけで表情が読めない。また、派手なワンピースを着た太めの中国人女性がスマホで誰かと話している。彼らがいつキバをむくのか不気味で不安だった。私は正直、この値段での落札はないだろう思った。
「誰かがレイズするはずだ」
オークショナーもそう思ったのか時間をたっぷり使い2つまで数えた。あともう1カウントすれば私たちの落札だ。するとオークショナーは突然どこかへ行ってしまった。姉は激怒した。「一体どういうこと。2の次はすぐに3でしょ!」
しかし、この行動は不動産関係の友達から聞いたことがあった。落札価格が安くてまだ行けそうな場合、オークショナーはどこかに消えて、迷っている人に時間を与えるのだ。5分後、オークショナーは何くわぬ顔で戻ってきた。そして今回は仕方なく、3つまで数えた。それを止めるものはいなかった。
「やったー」
私と姉は抱き合った。私たちがあらかじめ決めた最終落札価格よりはるかに下だった。昨日の日本人女性のように買い手が十分集まらない物件に当たることはありうると思ったが、実際に私たちもその恩恵を受けることとなった。オークションに参加した人のほとんどは市場調査で本気ではなかったのだ。
◇
あれから1ヶ月が過ぎ、ジャカランダの開花の季節になり、街は紫色一色になった。私の一番好きな季節だ。そして、ついに物件の引き渡し日が来た。姉が契約している法律事務所は滞りなく支払いを完了させ、私たちはエージェントから鍵束を受け取った。
それから母の名義で電気ガスなどの契約を済ませ、母の荷物をトヨタのハイエースを借りて私たち姉妹の2家族総出で運び込んだ。そして次の日、母は田舎のポートヘーブンからレスターヒルに引っ越してきた。母親の体力を考え、もとの家の整理は姉妹で時間をかけて行うことにした。
予想通り、おしゃべりが上手な母は近所の同年代の人たちとほどなく仲良くなりった。亡くなった父親はGPだったが、偶然にも彼の患者だった人がたまたま近所に何人かいたことも助けになったようだ。もう、カルチャーセンターで読書会やヨガ教室などを楽しんでいる。また、ポートヘーブンのビーチに行けない悔しさは近くの市民プールで晴らしているようだ。母を見ていると、なんとなく自分の未来を見ているような気がする。
少し口の悪い母は、昔は冗談で「あんたたちはどうして美人の私に似なかったのかね」とか言ってきたものだ。私はともかく、姉のサマンサはかなりの美人なのに。しかし、最近は「あんたたちが娘でよかった」などと言ったりして私とサマンサをびっくりさせている。