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アラフォー徒然草:何気ない日常を楽しむ秘訣

毎日が、すごい速さで過ぎていく

年をとると、1日1日が早く感じるようになる。なんて事は、若いころ聞いた事があって、でも実感がなかった。しかしアラフォーにもなると、めちゃくちゃ実感する。なんだか1日が昔の1時間くらいの感覚。なんでこんな風になっちゃったんだろ。思いつく理由は以下だ。

そもそも忙しくなる

仕事も、働き盛りな年代。人によっては子育てなんかも重なってきて、平日も、休日も忙しくなる。そうなると、毎日をせわしなく過ごす事になる。

大体のことが既知になって、刺激が少なくなる

40年近く生きていると、大体のライフイベントはこなしてくる。日々のことも、全く新しいことが減って、知ってること、知らなくても何となく想像つく事が多くなる。

ずっと先のことを考えるようになって、今を生きていない

大人になると、結構先のことを考えて生きるようになった。家庭を持った責任を果たすため、89歳までお金が枯渇しないかライフプランシミュレーションしてるくらいだ。そんな極端な事じゃなくても、来週、塾の面談とか、来月、たまにいくお店で外食とか。注文した車は3か月後届きますとか。誰かが言っていた、予定された未来はもう未来じゃない。そうやって未来を現在化しすぎている気もする。

ほおっておくと、どんどん流れていく日々を取り戻す

大人になるって、そういうことよ。なんて諦観するには早すぎないかと思って、うんうん考えていたら、自分の本棚に回答があった。

ほぼ日手帳の良さに、大人になって気づく

ほぼ日手帳である。ほぼ日手帳は、1日1ページでかける手帳。毎日のページ下にちょっとした読み物もあって楽しい。自分は大学生から社会人の初めごろ、ほぼ日手帳を買っていた。正直言えば、その時は手帳が良くて買っていたというより、その手帳を作っているほぼ日刊イトイ新聞の糸井重里さんが好きだったから買っていた。

だから、なんとなくある時から買わなくなっていた。それから15年近くたった自分がパラパラをその手帳を今めくってみると、、めちゃくちゃ面白いのだ。昼に学生向けの大盛のお店で食べたとか、夜に友達と大乱闘スマッシュブラザースをしただとか、大したイベントでもないのに、すごく面白い。この日、自分はこんな風に生きてたんだとわかる。そしてたまに思ったことも書いてあって、この時はこんな事思ってたんだなーと振り返る。

あるいは、全然何も書いてない日も、それはそれでメッセージだ。書く元気がなかったんだなとか、忙しかったんだなとか。記憶をたどりながらも想像できる。

以前のほぼ日手帳のコピーは、「なんでもない日、おめでとう」だったと思う。この意味が身に染みて分かった。本当になんでもない日と言っても、日常の範囲で色々とあるものなのだ。それを自分で手帳に書くという行為によって、意識できるようになる。後からも振り替えられるようになる。ほっておいたら、なんとなく流れていく日々を、自分のもとに取り戻す事だなと思った。取り戻して、ついでにもう一回味わうのだ。

日々を振り返り味わうということ

鴻上尚史さんのエッセイで、「七味五悦三会」という言葉を知った。江戸時代の風習で、年末にその年にあった、7つのおいしかったもの、5つの楽しかったこと、3つの良かった出会いを振り返るというもの。これはちょっとしたイベントだけど、日々そういう事をしたっていい。手帳を書いて、その日にも一日を振り返る。折に触れて、パラパラを昔の自分が生きた日を振り返る。

そう、足りなかったのは、ただただ流れていく日々をちゃんと振り返って、自分で味わうということ。長く生きている分だけ、それを振り返って楽しむという贅沢な機会は増えているはずなんだと思った。

今年、久しぶりにまたほぼ日手帳買ってみようかな!

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