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アラフォー徒然草:おいしさの秘訣

40年近く生きていると、自己の高い理想でもなく、他人との比較でもなく、身の丈にあった考えが上手になってくる(気がする)。それを楽しんでしまおうというエッセイ。

最近、娘とショッピングモールにあるパン屋で、フライドポテトを一緒に食べた。200円である。妙においしいなと思った。そこで通な人なら、隠し味がどうとか、イモの種類は、なんて話が出てくるのかもしれないけど、残念ながら、ここは普通のアラフォーの、身の丈に合った話である。

本当に身もふたもなくて恐縮なのだけど、自分が出した理由は「揚げたてだった」である。もちろん、よく食べる某チェーン店のイモよりカラっと揚げられていたかもしれないし、イモも違うのかもしれないけど、揚げたてが、おいしさの要素として小さくなかった。

急に一般化してしまうけど、料理とはそういうことなのではないだろうか。おいしさというのを考えた時に、作りたてであること、素材が新鮮であること辺りが守られていると、変な味付けでもしない限り、大体おいしいのではないか。それに加えて、食べる人が、お腹がすいていること、気兼ねしない人と一緒に食べる、辺りまであれば、自分はかなり満足できる自信がある。

逆の側から見てみる。例えばコンビニのお弁当をチンして食べる場合だ。最近のコンビニのお弁当はあなどれず、結構凝っていたりする。でもでも、なのだ。ここには何か物足りなさを感じる。

自分なりに行き着いた答えは、素材がみんな同じような温度であること。違う素材たちが混ざっているのに、みんなチンで同じような温度になっている気がする。カツ丼でいえば、ごはんと、カツは、作り立ての時、それぞれ違う温度である。炊飯器から出てきたご飯と、直前までガスコンロで熱されていたカツは同じ温度ではない。だから、一緒に食べていても、それぞれ違ったものとして、より感じる。多様性が楽しい。でも、レンジでチンしたものは温度が均質化してしまっている。違う素材たちを食べているのに、なんだか味気なく感じてしまう。

こんな風なことも、食べるという事を何度も繰り返していく中でなんとなく自分で見つけていったなあと思う。そうやって、当たり前の良さ、ありがたさに気づいていけるのは、長く生きてていいなと思うことの一つだ。





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