間違い探し
先日、久しぶりに間違い探しをしたんです。
某最高級イタリヤ料理のお店に行ったので。
それはもう血眼になって探しました。
10個全部、ノーヒントで全て見つけられました。
ところで間違い間違いって言うけど、どっちのページが正しくてどっちのページが間違ってるってんですかね。
別に青い服着てても、赤い服着てても、良いのにね。
間違いって言っている自分たちが間違っているとは思わないんですかね。
大好きな言葉は、どんなときでもお守りみたいに持っておきたいから。
スマホの中に、机の上に、枕元に、何度でも。
同じ本を何冊も買うことがあります。
お気に入りの言葉は自分でも書き写します。
どうか忘れないように。もしも手元から本が奪われても、私の記憶からは奪われないように。
今日、会社からの帰り道
どの道を歩くべきなのかわからなくなり、少しパニックになったのち、しばらくしゃがんでいました。通りすがりの男性が心配して声をかけてくれました。
「ありがとうございます、すみません。」ばかりを繰り返していた気がします。
ひとからの優しさを上手に受け取ることもできず、優しさを与えることもできず、
そんな生き方では、誰かと強く絆を結ぶこともできないのでしょうか。
何の確認もせず「お前に落ち度がある」と言いがかりをつける人がいます。
本当にそうなのでしょうか。
「みんなよくミスするから、気をつけてほしい!」ではなく、「どうしてみんなミスしてしまうのか?」「みんながミスしないようにするには、どこを工夫したらよいか?」を考えたりはしないのでしょうか。
何も考えずに生きているのでしょうか。
今回の場合は、完全に連絡不備で私にだけ通知がきてなかったわけなんですが。
笑っちゃいますね。嫌われてるのかな。
自己評価をするってとても難しいことだと思います。出来ている・出来ていないだけで客観的に判断できれば良いですけどね。
とてつもなく素晴らしい人生を歩んでいて、社会に多大な貢献をしていて、周りからも尊敬されていて、全てが順風満帆なんですかね。
役に立つか立たないか、いかに効率よく成果をあげられるか、どうすれば自分の評価が上がるか…そればっかりの人生って、私は嫌ですね。
どう思いますか?
仕事の役には立たないかもしれないけれど、遠回りして歩いて帰る日だって、大切にしたいです。家に帰らず1時間くらい花を見ていたこともあります。あの時間は無駄だと言う人もいるかもしれないけれど、私には必要でした。
哲学書を読んでいたら、「そんな本読んで何になるんだ」と言われました。
おにんぎょうを持っていたら、「そんなの邪魔になるだけだろ」と言われました。
コンサートへ行ったら、「時間とお金がもったいない」と言われました。
自分的にはステキだと思って帽子を買ったら、「何になるつもりなんだ」と言われました。
否定された言葉ばかり、身体中にまとわりついて
息がうまくできない。苦しい。
こんなことばかりなのに
私らしく!とか、個性を発揮する!とか、
そんなの嘘。全部、嘘。嘘ばっかり。
こんな嘘だらけの世界なんだから、
間違いなんて探さなくてもいくらでもあるんじゃないですかね。
そもそも生まれてきたことが間違いみたいなとこ、ある。