けもの往く路
「ドミー!!」
夕暮れの山道に少年の痛切な叫びが響いた。声の先にあるのは三つの影。人と獣と、人の死体。
死んだ男の喉笛に咬みついていたのは死体よりも一回り大柄な獣。生き残ったもう一人の男は震え声を漏らしながら既に山中へと駆け出していた。
獣はその足音を聞き逃さず、獰猛な視線を逃走者に向け、瞬時に後ろ脚で地面を蹴った。しかし――。
「ドミーもういいよ!アイツはどうせもう襲ってこないって!」
ドミーと呼ばれた獣は前脚を上げたまま立ち止まる。その背に駆け寄った少年は、毛皮に顔をうずめるように獣に寄り添った。
「ありがとう、守ってくれて。でもドミーは軍犬みたいなことまでしなくていいんだよ。早く家に帰ろ?」
二足歩行の巨犬は途端に殺気を収めると、少年の首元に顔を寄せ、静かに声を上げた。
「クゥン……」
◆
「も~ドミーのスカーフだけ血で汚れちゃってるじゃん!せっかくのお揃いなのに!」
「ワウ」
少年は家路につきながら言葉を返すことのない親友に語り続けた。幼い頃からずっとそうしてきたように。
少年の名はマルティ・バーニア。国でも知られた豪農の子息である。ドミーはある大商人がマルティの誕生を祝してバーニア家に贈った由緒ある血統の名犬であり、マルティにとっては父母よりもずっと身近で育った家族だった。
そして少年は知っていた。愛犬が家を抜け出す夜があることを。その日の夜もそうであったことを。
◆
バーニア家にほど近い山陰の洞窟にランタンの火が灯り、集まった数名の影を映し出す。そこに人間の姿はない。壁際には軍犬用の武装が整然と並べられている。
「ガゥギュラッア」
「ワゥオン」
洞窟内に響いたのは鳴き声ではなかった。明確に声調され、意図を込められた発声。決して人間たちに聴かせることのない言葉。
【始めよう。我々の往く路を、我々自身で照らすための戦いを】
血塗られたスカーフを巻いたその巨犬の言葉の意味を、人間はまだ知らない。
【つづく】
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