歳を重ねて死を重ねて
19歳の頃、初めて自殺未遂をした。
真っ赤なボールペンで親友や家族、当時の恋人に宛てて泣きながら遺書を残し、ビニール袋を何重にも被ってガムテープで隙間から空気が入らないように固定して、手首もついでに固定した。
数分も経たないうちに、自分にこんな力があったのかと思うくらいの力で手首のテープを引きちぎり、ビニール袋を破り取った。数分ぶりの空気はお世辞にも美味いとはいえなくて、絶望が気管から肺胞に届き、情けなさで二酸化炭素の代わりに涙が出た。
ならばと次は古いゲーム機の頼りないリモコンコードで首を括ったが、悲しいかな一向に死んではくれなかった。
最後に、百均で買った包丁で頸動脈を穿とうとした。しかし、研ぎもせず既に食材を切るのにも一苦労するなまくらの切っ先では、コリコリとした頸動脈に触るどころか分厚い皮膚の薄皮に躊躇い傷を残す程度で終わってしまった。
死ぬことすら出来ない出来損ないなのか、自分は。
そう思ってわんわん泣いて、鬱病の診断を受けたのはそれから程なくした頃だった。
それから10年以上の時を経て、私は難治性の鬱病と解離性障害、摂食障害のお墨付きを頂いた。それと就労不可か。
自殺未遂は何度かしたが、やはり寸手で踏みとどまってしまうのは初めての頃から何も変わらない。
むしろ、歳を重ねることで、十数人の身内を送ってきた。喪主家族も何度か経験して、私が矢面に立って金銭管理をしたこともある。人が死んでから墓に入るまで、墓に入ったあともどの位の金がかかるのか、だいたい把握してしまった。そして、喪主と喪主家族の苦労も。
随分昔に、XがまだTwitterだった頃「日本人の『死にたい』は『ハワイに行きたい』って意味だから」というツイートがバズっていたことを未だに覚えている。
勿論全員が全員そうでは無いし、私はハワイになんて行きたくない。油田を掘り当ててもこの空虚感がどうなるとも思えない。
なにせ「存在を無かったことにして欲しい」という気持ちは7歳からの付き合いだからだ。今更何をしても変わることは無いだろうし、そういう性分なんだろうと諦めることにした。
女子高生は無敵だと言われる。うちら最強!みたいなノリだ。
私が自殺未遂をしたのも、五年一貫の高校に通っていたのでギリギリ女子高生を名乗れる頃だった。
あの頃は、なんでも出来た。何も考えずにいれた。自分の死にたさと絶望に目を向けて1日を過ごすことが出来た。
しかし今は違う。可愛い盛りの娘がいて、何度もノートに書いてきた想い人と一緒になることも出来た。
私は自分勝手だから、死にたい時はそんな2人のことも考えずに今も今とて死にたさに飲み込まれる。
1つ変わったことといえば、死にたさに飲み込まれつつも、散らかった部屋や触って欲しくない私物類、私の葬儀火葬代(これは国から出るらしいが)、墓石に掘る文字と墨入れの金も馬鹿にならない、娘に残す遺産なんてない。国にお世話になっているために死亡保険に入れないからだ。
ならこの子の未来はどうする、老いた親に育てることを任せるのは金銭的にも体力的にも不可能だ。
想い人とはまだ夫婦では無い。あちらはあちらで養わなければならない親がいる。
では別れた元夫に頼むか?1番無理な洗濯だ。養育費も出し渋り、親権を最初からこちらに渡してきたあの男にはどだい無理な話で、なんなら既にマッチングアプリで女を漁っているだろう。離婚調停が終わった時に「やっと終わったー」とツイートしてた男なのだから。
歳を重ねることで得たものは大きいと思う。多感な時期と比べて、私も随分と図太くなった。守るものがあれば人は何処までも強くなれるのだとも思った。
しかし、死ぬことについて腰が重くなったのも確かだ。考えなければならないこと、やる事があまりに多すぎる。遺品整理なんていうのは本当に面倒なのは祖父母叔母の時で死ぬほど味わった。
あの時死ねてたら良かったな、でも死んでたら私は宝物に会うことも無かったのかと思えば、なんと言うか、色々と躊躇ってしまう。
随分歳をとったものだと独りごちて、今日も安定剤を酒で流し込む。もちろん、宝物を寝かしつけてからだ。
ハワイ旅行や大金があればこの憂鬱と死にたさが消えるなら、昔やっていたビューティーコロシアムのような番組にいの一番で参加するのに。と思いつつ、そんな夢のような話ないよな。と、今日もどこからか分からない督促の電話をスルーして眠りに就いた。