袖振り合うも多生の奇縁
ネット通販の支払いしなきゃと思い、草木も眠る丑三つ時にサンダルを突っかけて小走りで坂道を下り、最寄りのコンビニに向かった。
ただ、それだけのはずだった。
コンビニに着くとコンビニの出入口付近に人だかりが出来ていて、誰か倒れたかと近付いてみればややロマンスグレーの紳士らしい人が顔中血まみれで「大丈夫大丈夫」と言い、「大丈夫じゃないって、家帰んなぁ」とハスキーな飲み屋のママが紳士を気遣い、「これ貼れって!」と飲み屋帰りらしい男性が悪戦苦闘しながら絆創膏を貼ろうとして何枚も失敗して道にちぎれたそれらを散らしていた。
そして、その様子を眺めるヤンチャそうな若者たち。
誰かが助けているなら普段はスルーしてしまいがちな私だが、つい数時間前に父親が道で転倒して頭を打ったと連絡が来ていたので、放っておけずに若者に状況を聞き(これも普段なら絶対しない)、ママや男性に加勢した。
紳士は出血が酷いものの、怪我自体は少し酷めの擦り傷程度で済んでいたが、とにかく泥酔して何度も私達に感謝をして一度受けとったのにも関わらず名刺を配ろうとしていた。
その後は家が近いと言うので、1人で帰ろうとしていた紳士を仕事モードの私が引き受けて歩行介助しつつ家の中に入るまで見届けた。
さてこれで支払いが出来ると思い帰路に着き、コンビニまであと5mもないくらいのところで「お姉ちゃん」と声をかけられた。
三十路もすぎてすっぴんボサボサの私に声をかけてくる辺り、相当な酔っ払いだなと声の方向を向くと、明らかに障がいを持っているオジサンがバス待合所でストロング缶片手に煙草を吹かしていた。
明らかに障がいを持っている、と言ったのは、何も差別的な意味ではなく、まだ仕事モードが抜けきっていなかったので何となくわかったという程度だ。曲がりなりにも、看護師をしていたのでよくこういう人を見てきたし、何より私も精神疾患持ちなので同じ匂いがしたのだ。
「お姉ちゃん寂しいんでしょ、だから酒飲んでお話してあげようと思って」
とオジサンはもつれる舌で私を招く。
その言葉が私ではなくオジサンの今の気持ちなんだろうな、というのはすぐ気付いた。
先程紳士を送り届けたこともあり、まあ乗りかかった船だとオジサンの隣に腰かける。
正直、何本目か分からないストロング缶を飲んでるオジサンを放っておいて本日2人目の怪我人を出したくなかったので、少し話をして帰らせようと思った。
オジサンは自分の名前や、近くに住んでること、4~5年付き合ってる彼女がいるけど短気なこと、昨日か一昨日に別れ話をされたこと、精神疾患持ちなこと、手帳を持っていること、今の仕事、今までしていた仕事、内臓を悪くしていること、下心はないけど女の子と話したい、というより話相手が欲しかったこと、だからお姉ちゃんにもチューハイなら奢ってあげるから話そうということを訥々と話していた。
私は酒を丁重に断り、相槌を打ち、私も精神疾患持ちなこと、これから心理検査を受けるんだーなんて返しながら、待合室に貼られたヤニ焼けして剥がれ掛けている「喫煙禁止」の張り紙を眺めていた。
明日仕事だから、と言って何度か立ち去ろうとしたが、オジサンは「逃げるのか、帰りたいんだろぉ」と言うのでその度に座り直し、酔いが回るでしょと煙草を吸うのを辞めさせ、その缶が空になったら私帰るよ、仕事だもん。娘1人で食わさなきゃならんのだよと笑った。
いよいよ立ち去る時にはとうに空は白んでいて、オジサンから連絡先を執拗に聞かれたので電話番号を教えた。教えたというより、目がほとんど見えなくて電話しかかけられない、スマホの操作が分からないからと言うので根負けして私の番号をオジサンのスマホに登録して、私も同じく登録した。多分、かけてくることも掛けられることもないだろうけれど。
「私電話嫌いなんだよ」「夜かけられても娘いるから出られないと思うよ」「うちも近所だから見かけたら声掛けてよ、私も声掛けるからさ」と最初は連絡先を教える気がないことを伝えていたが「声なんてかけられないよ、無理」というオジサンが、なんだか寂しそうに見えて、世界にひとりぼっちのように見えてしまって、結局交換したのだ。
そんなこんなでようやくコンビニに入れたのは家を出て3時間近く経過してからで、支払いの前に色々物色していると、さっきのオジサンがひょっこり店内に現れたので「居んじゃん!」と声をかけたら、恥ずかしそうというより座りが悪そうな顔をしてそそくさと店内のどこかへ消えた。
声をかけられないというのは本当なんだな、と思いながら、私は適当なご飯とゼリー、煙草と支払いを済ませて本当の帰路に着いた。
今、私のスマホには「転倒していた紳士」と「バス待合所のオジサン」という2件の電話番号が新たに登録されている。
袖振り合うも多生の縁なんていうけれど、あれは絶対奇縁だと思った6月最後の夜であった。