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サヨナラ。僕。

初めてアイちゃんに会ったのは

アイちゃんいわく まだ改造の途中だった時期らしい。

その時のアイちゃんは 茶髪のウイッグをかぶって少しうつむき加減に

「こないだスカウトされたんです。。。アイドルにならない?って。怪しいから断ったんですけど。。。」

とか細い声でぽつぽつ話すコだった。

第一印象は わー綺麗なコだなって率直に思った。

そのモデルみたいな長身を猫背にしていても 陶器みたいに白い肌と黒いガラス玉みたいにくりくりした瞳が印象的で こちらが落ち着かなくなるくらい存在感は抜群だった。

卒業生だと聞いて こんな綺麗なコが在学中はさぞかしモテただろうなあって 想像しつつ 仕事をするフリをしながら盗み見した。

前髪が長めだったので、たまに目に入りそうな髪を少し顔を傾げて はらいながら、先生に相づちを打つ姿が美しくて やっぱり心の中でため息をついた。

アイちゃんが GID(性同一性障害)を抱えていると教わったのはアイちゃんが帰ってからだった。

全く気付かなかった私は心の底から驚いた。

アイちゃんは少し前まで ガリガリに痩せて学校に行かないという選択をした不登校の男のコだったのだ。

性同一性障害は 実際の性別と異なる自信の身体に対して 強い違和感や嫌悪がある状態のことを指し、日本では 性同一性障害と医師から診断を受けることが条件で 性別適合手術を受けたり戸籍の変更をすることは可能である。

しかし、日本で性同一性障害という言葉が広がり始めたのは2000年頃。これは埼玉医大で倫理審査が通り 性同一性障害の方たちに 性別適合手術を行うことが正しいと認められ 公に治療が行われるようになってからのこと。

それまでは 「体は男だけれど女性として生きていきたい」と感じていた方たちは 誰にも悩みを言えず ずっと違和感のある自分をあたかも普通のように偽らなければならなかった。

どこにも 自分を分かってくれる場所が無かった。

なぜなら 自分を表現する言葉さえ 存在しなかったためである。

「自分は男として生きていかなくてはならない」

「自分が変な人だとは認められない。周りも絶対理解してくれない」

「結婚して父親になれば治るのではないか?」

なんとか社会の中で男性として馴染もうとして努力を積み重ね 疲れ果てながらも孤独と絶望と諦めを飲み込んで生きていくしか方法がなかったのである。

1年後アイちゃんは ふらっとまた遊びに来てくれた。

びっくりした。

わずか1年足らずの間に 顔からは自信のなさがすっかり消えて 目に力が入り 凛とした佇まいは 脱皮した蝶のような凄みのある美しさをまとっていた。

「なんか変わったね」

本当に男の子なの?と聞きそうになって飲み込んだ。それくらいアイちゃんは女の子になっていた。いや、女の子の中でもかなり美人の部類に入る。

「まだ自信ないんですけど 努力したんです。今までで一番!」

自分に違和感を感じたのは 物心がついた時かららしい。

「一番最初の記憶は3歳ごろかな。。。。このまま 大きくなったら男の子は、お父さんになっておじいちゃんになるって知って 絶望しました。私は死ぬときにおじいちゃんなんだ!それは絶対嫌だって」

アイちゃんは、もうウイッグをかぶってはいなかった。肩までのばした黒髪はサラサラでハーフアップの髪はシュシュでまとめられていた。

私は思わずつま先から頭の上まで ひととおり不躾な視線を送ってしまった。

それは、姑が若くて綺麗なお嫁さんを初めて見たときより好奇心に満ちていたに違いない。

「すっごく髪きれいだね」

「はい。お金かけてますから。」

アイちゃんが どこどこのトリートメントが一番髪質改善に良かった‥と教えてくれたので、慌てて携帯にメモする。

「肌もめちゃめちゃキレイ」

「打ってるんです。ボトックス。あと、ホルモン注射打ったときは、あーもう後戻りできないなって思いましたけど」

こちらが目を丸くさせるのを尻目に しれっとアイちゃんはたたみかける。

「喋り方も1年くらい色々な動画を見て研究しました。仕草も指の動きも笑い方もぜんぶ。先生はいいですよね。女に生まれてきただけで 100万くらいすでに持って生まれてきてる。私なんて 努力とお金で頑張ってがんばって。。。」

今が一番人生で楽しい!とアイちゃんは笑った。

親戚の中で唯一の男の子、跡継ぎにあたるアイちゃんは 男の子としての役目を果たして欲しいという両親の期待も高かった。先祖からの苗字を受け継いでいく。あなたが生まれてくれて家も安泰だわ。と、お母さんはきっとどこかでおかしいと分かっていたに違いないが、認めたくなかったのだろう。信じようとはしなかった。

女の子に近寄りたくて 一歩だけ踏み出してみると、社会が作った「男の子はこうであるべき!」という価値観を振りかざされ全否定され攻撃される。

人の作り出した常識というもののオモテもウラも嫌でも見ながら アイちゃんはもがき続けた。

男の子になりたくて生まれてきたわけじゃない。

自分は男の子でいることに向いていない。

お姉ちゃんのスカートをそっとはいてみた。お姉ちゃんとアイちゃんは中身は一緒なのに同じ格好が似合わない。

ものすごいショックだった。もうダメだと思った。


成長と共に自分の中身と外身が一致していないことの幅がどんどん広がっていく。第二次成長では声が変わって低くなって、髭がうっすら生えてきて全体的にゴツゴツしてくる。身長も170センチまで伸びた。

恐怖でしかなかった。今まで何とか耐えてきたものに限界がきた。

男の子をやめるしかない。

私にはできなかった。ごめんなさい。無理でした。

そうは言っても周りは納得を示さない。悩み続けてやっと出した結論を受け入れてもらえない孤独。

男の子の世界に私は不要だ。

もう戻れない。

アイちゃんは女の子としてやっていくことを決めた。

タイミングだけの問題だった。ずっとそっち側に行きたかったのだ。

生まれて物心がついた時から女の子だった。

このまま偽り続けおじいちゃんになって死ぬのだけは嫌。二度と戻らない。

ネットで調べた病院に行った。ホルモン注射を打つとき看護婦さんに「本当に打って大丈夫?一生死ぬまで打ち続けることができる?戻すことができないよ?」と問われても迷いはなかった。もう罪の意識はなかった。

この先ずっと否定的な意見は言われることは分かっていた。好奇の目に晒されることも。それに耐えれるかとか分からないけど 生きていくにはこの方法しかないと思った。

普通の人生よりずっと大変なんです。とアイちゃんは笑う。

性別適合手術の場合、どれだけ安く見積もっても150万以上はかかる。ホルモン治療も自由診療となっているために医療費はお医者さんの言い値になる。受診機関や頻度にもよるが、注射だけで月に一万円以上する場合もある。

性同一性障害の方は就労も、周囲の理解がなくままならないケースが多いため経済的にも安定しない。体を変えたいという希望ではなく、体を変えなくては生きていけない治療に、これだけの金額負担が保険適応外である日本。

だから稼がなきゃ。努力しなきゃ。アイちゃんは開き直っていた。

「この先なにが起きるかわからないけど、何か楽しいんです。自分のことを話せる女友達もできたし。生きてるなって感じはあります。」

先生今度メイクの仕方教えてよ!とアイちゃんは笑った。

これからも目標は好きなカフェで働いて料理も勉強したい。そしてお金を貯めて、性別適合手術を受けること。

踵の高いヒールが揃えてあるのをスカートの裾を気にしながら履くアイちゃんを見送った。

「生徒で私みたいな子がいたら何でも話ししてあげるから、連絡してね!」

アイちゃんは深々と礼をして帰っていった。見えなくなるまで手を振った。

教師をしていて本当に良かったなと思う瞬間がある。それはたくさんの人生を共に生きれることと、たくさんの生徒に生きることを教わること。

人に生きている意味や使命があるとしたら、私は教わったことを人に伝えていこうと思う。

曲がり角でアイちゃんの姿は見えなくなった。アイちゃんは絶対に振り返らなかった。

※(全て仮名で実際の話とは少し異なっています)※






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