義母も女だと思ったとき(その8)
義母は東京のパシール家で一緒に暮らすことになった。
そのときは既に九州の病院でアルツハイマーの診断を受けており、要介護3になっていた。
といっても、普通の会話は成り立っていたので、暮らし始めは義母が認知症に罹っているとは思えなかった。
ところが、押し入れの中から鞄やお財布などを出し入れしていると、少し心配そうにパシールを見るようになった。
どうやら、時々デイケアセンターから来ていた介護士の人と勘違いをしていたようだ。
自分の記憶が曖昧であることを公言していた義母だけに、「パシールよ、お義母さん。」と言うと、照れ隠しにニコッと笑ってみせた。
また、ある日など、義母はパシールと同じ呼び方で連れの名前を呼んだ。
「お義母さん、息子よ!○○さんよ!」と言うと、スグに理解して又もや笑いで誤魔化したが、それを見て一番ショックを受けていたのは連れだった。
翌日、連れは小学生用の算数ドリルを買って来た。
既述の通り、義母は算数の先生だった。
もしも計算ができなくなっていたら、今後のプランを練り直す必要があると思ったのだ。
ところが、どれをやっても義母はスラスラと問題を解いてしまう。
「こんなん簡単やね。面白くない。」
というのが口癖になっていた。
🐶本日もいそろくさんのイラストを使わせていただきました🌸
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