見られ方・見え方・見方
10代くらいから、他人からどう見られるか気になり始める人が多いと思うけど、自分もその一人で、見た目の変化を求める自分探しをしたもんです。
本屋に行った途端に、立ち読みでファッション誌を読み漁ってみてたりして、その中のかっこいい、イカすファッションコーディネートを記憶にメモし、真似るために地元の古着屋で近い服を探しまくり、試着室で「これいいんじゃね」と自画自賛しその服を買う。
当然、真似たファッションコーディネートは自分の評価でしかない。けどそれでよかった。自己満足というやつ。
他人からのみられ方なんて当然考えていない。だって自画自賛してるくらいなので。
人によって人の目を気にすることがどのタイミングで起きるかわからないけど、自分の場合は、他人からどう「見られる」か。が第2フェーズとしてやってきた。
誰からもカッコよく見られたいと思っていたけど、今思うのは、万人にカッコよくみてもらえると思っていた、自分が恥ずかしい。
今ならそんなことは当然あり得ないとわかるけど、その当時は怖いものは無く、できない事などない、と飛ぶ鳥を落とす勢いだった20代。
特に気にしなかったけど、この時って他人からはどう見えていたんだろうか?
今思うと少し恥ずかしくなる。
外見磨き。内面磨き。
正直どちらもというか、バランス感覚が大事なんじゃないかな。
もしかしたら、バランスが悪い方が人間らしくて、かえっていいのかもしれない。
究極の話、無人島で一人で生きていくなら見られ方や見え方、見方なんて気にしなくてストレスもないはず。
誰かと一緒にいることでそれらを気にするし、それを意識するように周りが黙っていない。
テレビのCM、雑誌、書籍、YouTube、SNSなど、
悩みを増やされている、、、感があるんです。
これもまた究極ですが、外見も内面もどうでもいいと思えたら、
ある意味最強なんですけどね。
ただ、それはやめたほうがいいと言われるのがオチ、なんだろうな。
身近な人が可愛くいて欲しかったり、カッコよくいて欲しかったりすると
思う人が大半なんだろうけど。
例えば、愛してくれる人があなたに、あれこれ見た目のことを言ってくる時は、
きっとあなたのためではなく、きっとそのあれこれ言ってくるその人自身のために言っていると思う。
一緒にいる人の効果。これも承認欲求。
ここで大事なことは、「自分がどうしたいのか」とういう視点があるかどうか!
彼氏彼女が「ああして」「こうしてほしい」と言ってくるだろうけど。
結局それは、あなたのためでなく、その相手自身のために言っている可能性がある。
ということを知っておくだけでも、違うと思う。(振り回されるのが好きな人は別だけど)
その上で、外見内面と「見られ方、見え方、見方、」この3つのバランスを意識してみたらどうかうかという話。