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つわりチキンレース(さばの味噌煮の思い出)

 つわりによる嘔吐が原因で、食事がとれなくなった。まだ下腹部がふくらまない初夏。夫が仕事から帰宅する夕暮れ時に、産婦人科へ点滴に通う日が続く。

 噂に聞く「炊飯器で米が炊けるにおい」はもちろん、妊娠中は無性に食べたくなるらしいフライドポテトもパイナップルも、存在がちらつくだけでトイレへ走る。お茶もジュースも喉を通る瞬間から口先へ戻る。味がなければいいのかと水を飲んでも同じこと。

「入院するか?」

 点滴前の尿検査の結果を見て、医師は毎回尋ねる。

「この数値ならギリギリ入院しなくていいけど、ギリギリ入院が必要でもあるよ」

 頷いても首を横に振っても吐きそうで、返事が遅れる。

「まだ、いいです」

 このギリギリラインを越えたら入院しよう。何度も考えては、点滴から帰宅し効果が切れると、やはり次こそラインに関係なく入院するぞと決意を固める。固めた決意を誰かに後押ししてほしいのかもしれない。

 点滴室には夫もつき添ってくれる。水分補給を兼ねた点滴は、ぽた、っ、ぽた、っ、とのんびりにもほどがある。半袖の季節にがたがた震え、夫が布団をあごまでかけてくれた。

 視界がちかちか光り、いつしか点滴も最後の数滴を残すのみ。眠っていたらしい。

 夫がナースコールを押す。看護師が駆けつける。終わりましたか? はい、ありがとうございます。わたしのやり取りをわたしではない他者が進める。

 会計を済ませて、車の助手席に倒れる。

「お腹空いた」

 毎度お決まりの台詞をこぼす。
 心の、腹の底からの言葉だった。

「よし、行くか」

 点滴後の恒例となったセルフ食堂へ向かう。エアコンの気配が吐き気の引き金になる。窓を開けて走行していると、焼き魚のにおいがわたしを抱き締めた。

 最初は信じられなかった。すべてを拒否する体が、生臭さを連想させる魚を欲するなんて。でも欲するなら受け入れることができるのでは。実際、できた。

 今日は、さばの味噌煮。
 ぶりもいわしもあじも。胃や腸まで旅をした。季節外れのさんまの塩焼きも気になるが、今日は一目見た瞬間から、さばの味噌煮にいますぐかぶりつきたかった。
 お盆を手に席につく。いただきますと同時に煮しまった身をほぐす。味噌の深みが温かい。

「食べな食べな。無理になったらおれが食うから」

 中盛りライスをお供に箸を動かす。夫が微笑む。点滴の後の猛烈な食欲。そうか。この瞬間が楽しみで、わたしはラインの向こうをためらうのか。チキンレースの勝者は食べ放題だ。


 週刊少年サンデーの今週号に、福地翼先生の「うえきの法則」の新作読切が掲載されています。
 中学生の頃にどぶどぶにどはまりした漫画です。佐野くんが好きで好きで……!!!!

 少ないお小遣いで全十六巻の単行本をこつこつ集め、友だちに貸しては沼に落としていく……この活動は高校生になっても続けました。
 自分の中で一番熱い漫画が「NARUTO」に変わっていましたが、ふとした瞬間、頭の片隅に咲くうえきに心癒されてもいたのです。語るうちにじれったくなって、

「絶対おもしろいから! どんな過去のトラウマからもみんな解放されて愛しいから! なんなら返さなくていいよ、あげるから一生読んで!!」

 と全巻あげてしまいました。
 そして自分の手元に持っておく用にまた集めました。数年後の成人した頃には「うたの☆プリンスさまっ♪」に命を燃やしていましたが、

「絶対おもしろいから! みんな等身大の中学生でわきゃわきゃしながらもたくましく成長するんだよ! もう返さなくていいからじっくり読んでね、あげるから何回でも読んで!!」

 譲れない、誰にもこの思いだけは……と語るうちにあげてしまいました。このときは続編の「うえきの法則+」全五巻も手渡しました。思いだけは譲れなくても、最愛の作品は譲って共有したかったのです。
 そしてまた全巻かき集め、語り、あげて、と計三回……そのうち月日も年月もたち、なかなか書店で手に入らなくなり、いまや自分用がない!

 でも不思議と大満足です。
 おもしろさ、バトルのトリックのユニークさ、思いもよらないギャグ、登場人物のまっすぐさ、等々語りきれないよさを知ってもらうには、読んでもらうのが一番です。
 あげたみんながちゃんとがっつりはまってくれたのが答えです。はまったら読み返したくなるのだから、はめた側にも責任がありますよね……。

 というわけで(?)新作読切の、

 うえきの法則エキシビション

 が、掲載された週刊少年サンデーを購入したことで、わたしは数年ぶりに主人公である植木くんたちと再会できました。
 数年ぶりに自分の手元に「うえきの法則」がある状態にもなれました。
 これは植木くんが最後にひとつ残した才能「再会の才」の影響でもあり、佐野くんのキャラクターソングにある「再び巡り会えると信じて生きる」であり、作者の福地先生が漫画を描き続けてくださったおかげであり、わたしも「いちおたく中学生」にかえった気持ちでございます。みなさまに多大なる感謝であります。ありがとうございます。

 もっとなんかこう、言葉にならない支離滅裂な羅列でしか感情を表せないと思っていたのですが、意外にも頭は冷静に、それでいて心臓はバクバクで読みました。すぐさま思いつくままに、記念(?)に植木くんの好物「さばの味噌煮」をテーマにエッセイを書いた次第であります。書けるくらいにはしゃんとした気持ちがありました。

 ……っていう話のほうが、本題のエッセイより長くなりました。みんな「うえきの法則」全巻読んでね。
 

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