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こうもたやすく折れるのか
お久し振りです。りぶさんどと名乗ってましたが、このたび「吉田りぶ」に改名します。またまたよろしくお願いします。
書く気力がない日々でした。リハビリからまたやり直し。以前は「メモ帳アプリで2000文字下書き→noteにコピペして修正」と投稿していましたが、今回は直接noteを開いてたらたら書きます。
最終更新が7月。4ヶ月なにしていたのかというと、
靭帯ぷちゅっと事件
息子風邪→もらって重症化の繰り返し
原因不明の無限痰&無限鼻水
現実逃避東北旅
などなど。
ざっくり言うと「具合が悪くて気落ちしていた」。文章なんか書いたってなんにもならない、スマホのブルーライト浴びて気取ったこと言ってばかみたい、偉そうになにを語ることがあるんだか、と。靭帯と一緒にわたしを形作る芯もぷちゅっと潰れたんだと思います。
靭帯ぷちゅっと事件
7月某日土曜日。夫・ろうす、息子・にっとと出かけて、お昼を外で済ませて帰宅。買い物の荷物を自宅へ運び、暑さにうだり、エアコンをつけようとしたところに「ママ、トイレ」と呼ばれた。15キログラムを抱えて便座に座らせ、どうにか間に合い、降ろそうと抱き上げた瞬間、稲妻が。下半身に全く力が入らず、動けなくなったのだ。
なんやらかんやらあり「椎間板ヘルニア」と言われた。
「椎間板っていうのはぷっちょみたいなもので、今の吉田さんのぷっちょは中身が飛び出している」
土曜日の午後とあって整形外科は休診だ。理学療法士である上司のすすめで接骨院へ行くと、若く爽やかなお兄さん先生が馴染みのお菓子に例えてくれた。
わたしのぷっちょは靭帯ごとぷちゅっといったようで、しばらく接骨院に通うこととなる。
息子風邪→もらって重症化の繰り返し
8月某日。爽やか先生や職場の皆様方の配慮のおかげでぷっちょもゆるやかに回復、さんじゅうウン回目の誕生日を迎えた。
家族3人休みを取って、山あいの町にドライブに出かけた。コルセットとクッションをお供に、楽しい旅だった。
「ママ、お誕生日おめでとう。ハッピーバースデー歌おうね」
10月中旬あたりまで、にっとは毎日わたしの誕生日を歌って祝ってくれた。
と、同時に。
にっとは月に一度は熱を出した。わたしも仕事を休んで3日、4日と看病した。にっとが元気になりわたしも職場でシフトに穴を開けたことに謝罪し、「すいませんでした」が鼻声であることには誰もが気づいた。
1日、2日出勤すると、にっと以上に熱を出した。回復までに2週間近くかかる。これを8月、9月と繰り返した。にっともわたしも新型のアレやインフルエンザは陰性で、しつこめの風邪と診断された。
原因不明の無限痰&無限鼻水
実はにっとからの風邪の贈り物は、今年4月にも盛大にいただいている。このときは熱が下がってから声が出なくなり、痰と鼻水だけは6月半ばまで続いた。
8月、9月の誕生日プレゼントも、痰と鼻水が尾を引いた。11月に入る頃まで、ティッシュが手離せず。5箱セットのティッシュが3日でなくなる。ペーパーレスの時代に逆らい、ひたすら紙を消費。原因不明のアレルギーと診断を受けた。
今年の半分近くを痰と鼻水とティッシュに捧げるあまり、夫にこうもらしたこともある。
「きつめの残骸~無限ティッシュ編、痰治郎~」
熱が治っても残骸がひどい。吐けどもかめども次々出てくるから、なにも手につかない。この頃は夫もわたしの看病やあまのじゃく大爆発のにっとの世話、朝早くからの仕事のストレスで精神的に疲れていた。なにかにつけて「痰治郎」と呼ばれるようになり、まあ腹の立つこと立つこと。
家庭内がかなり不穏だった。
現実逃避東北旅
りぶの母方の祖父母は、わたしたちが住む東海地方から遠く離れた、東北の北の外れに住んでいる。過疎も過疎な、ごらんあれが龍飛岬北の外れ、よりも北。
にっとが生まれてからコロナだなんだで一度も会いに行っていなかった。
なにもかもがうまくいかない、どこにいてもイライラする――痰のせいかもしれないけど、全部投げ出して家から消えたい。じゃあ堂々と家を出よう。ストレスまみれの夫から離れたいし、夫もこんなイライラまみれの妻から離れたかろう。
わたしの母も巻き込んで、にっとも一緒に3人で新幹線を乗り継いだ。10月末から11月最初の連休までを、のーんびりと時が流れる、なんにもないのがただただ心地いい祖父母宅で過ごした。不思議とすべてが整った。痰も鼻水もほとんどおさまり、また書こう、書きたいと胸が温まり、こうしてnoteをまた開く……。
こうもたやすく折れるのか
ひとの健康はこうもたやすく折れるのかと身をもって痛感した。
北国から帰宅すると、夫とも和やかに向き合えた。例え折れても腐らなければ、まだなんとかなるような気がする。
また新しく自分を作り直します。そのために、また書きます。書きたいんです。よろしくお願いします。