すきぴ・はう・まっち?
⚠️アイドルグループを追っていた頃のお話
⚠️グループ、メンバーに関してフェイクあり
岐阜の自宅から電車を乗り継ぎ、名古屋も栄も矢場町も。二十歳そこそこのわたしは、とにかく彼を追いかけた。
今日は栄の雑貨店一階、広場にて。無料観覧イベントの多いご当地アイドルグループの、みどりくん。黒髪を優しくパーマで丸め、細長い目がとろけた笑顔。どんなに元気でも鼻声みたいな歌声が、脳をほぐす。苦手だというダンスパートでは、厳しい顔つきでただ一点を凝視している。できている自分を見ているのだな、と思い見守る。他のメンバーと合わせて五人、振りが重なり、照明に汗がきらめき、曲が終わる。
「みんなありがとう!」
手のひらを壊す勢いで拍手を送る。きーくん! あおっちー! 歓声が甲高く続く。わたしも手を振り、みどりくんを呼ぶ。こっち向いた! のは、わたしのすぐ目の前にいる、グループ設立当初からの熱心なお姉様集団がいたからかもしれない。でも、いい。お姉様方の背後から、緑色のワンピースが大きく手を振る影は見えただろう。先月の誕生日記念ソロライブで、みどりくんがわたしの顔と名前を認知してくれたことは確認済みだ。あとはこれから更新されるであろう彼のブログに、うまいことコメントをつければ、あれはりぶちゃんだったかと思い出してくれるはず。大勢の前でほのめかすより、彼がひとりになったとき、ふと頭によぎるほうが、印象に残る気がする。
「……のイベントはこれにて終了します。なおこのまま、グッズ販売へ移ります。千円以上お買い上げの方はお好きなメンバーと握手、三千円以上でツーショットチェキ撮影、五千円以上でハグツーショットチェキ撮影……」
イベント終了時恒例のアナウンスが流れ、わたしと並んではしゃいでいたありちゃんに呼ばれる。
「りぶちゃん。みんな並んどるよ」
運営陣は定型文となったアナウンスを繰り返す。ファンたちは慣れた速度で列を成した。雑貨店にただ買い物にきていた客たちが、好機の目をこちらに向けている。早くも五千円以上お買い上げしたらしい、イベントで必ず見かけるギャルちゃんが、ちゃーくんに抱きついてもらってにこやかに騒ぐ。
「うちはいいわ、先に帰るね」
イベント数が多いため、頻繁に通っていると、グッズの代わり映えのなさが気になった。ブロマイドも缶バッジも、みどりくんの写っているものはすべて購入済みだ。一度に五千円以上買っても心が特典に耐えられない気がして、千円ちょっとずつになるよう、小分けに集めた。専門学校生の身としては、バイト代にも限界がある。
「あおっちとのハグツーショ撮れたら、来週のイベントのときに見せたるでね」
ありちゃんは得意気に微笑み手を振ると、列の最後尾に駆け出した。
彼女とは長久手の会場で知り合って、意気投合した仲だ。たまたま立ち見の場でとなり合い、お互いおずおず「おひとりですか?」と尋ねた。目当てのメンバーが誰なのかは、着ているものの色でばっちりわかった。同い年だと知れたのも、仲を深める要因となった。
みどりくんたちの活動が、無料観覧イベント中心となってしまっているのは、知名度を上げるために仕方ない。しかし。しかしだ。彼らを楽しむことに我々はお金を支払っていないにも関わらず、彼らはイベントの場所代や音響や照明、スタッフの賃金を発生させてしまっている。
「どっから出しとるんやろ。あおっちたちもイベントやった分だけもらえとるんかなあ」
いつだったか、ありちゃんがぼやいた。
「グッズ販売で歩合制みたいになっとるんやったら、たくさん買ったらな、あおっちにお金が入らんかもしれんね」
彼女はイベント参加費として、毎回三千円以上は落としていた。そのうち、列へ並ぶ間にメンバーが誰かとハグ撮影をするさまに、胃がふつふつしてきたらしい。自分も五千円以上のステージに立つと、胃痛は消えたと自嘲した。高卒で早々に働いていてよかったなどと早口につぶやいてもいた。
たしかに彼らが気安くハグまでする姿を見たくない。わたしは有料イベントへの参加率を上げて、お金を落とすようにした。
が、それができたのも、結局は時間のある「学生」であったからだ。
社会人になると毎日のブログチェックが億劫になり、名古屋まで出る暇があれば寝たかった。あれよあれよとグループは知名度を上げて、気づけばありちゃんはメールアドレスを変更していて連絡が取れなくなり、いつしかテレビでグループの誰かしらを毎日見かけるようになった。わたしひとりの落とす金額なんか、みどりくんたちになんにも影響しなかったのだ。
スーパーの調理補助、老人ホームの介護職員、調剤薬局事務、と様々渡り歩き、三十代半ばのいまは、デイサービスで介護士をしている。みどりくんは犯罪を犯し芸能界を去った。きーくんは結婚したとワイドショーで知ったし、ちゃーくんは病に苦しみ休業中だとネットニュースで見かけた。わたしはスーパー勤務時代に知り合った先輩と結婚し、子供も生まれ、仕事と家事と育児にくたびれたおばさんと化した。
この日はアラウンド九十歳にして他者の世話を焼くことに忙しくする利用者がいて、職員はみなげんなりしていた。「職員がやりますから」と断ると「みんなのためを思ってな!」と声を上げる。あのはつらつさ、聞いていて疲れてしまう。
入浴介助に当たった際、はつらつさんの髪が、朝より短くなっていた。聞くと「いま切ってもらったんや!」と返事が浴室にこだまする。たしかに今日は出張美容院の開催日で、希望者はデイサービスにて美容師の散髪を受けることができる。はつらつさんの名前は、希望者一覧になかった気がした。休憩中に後輩職員に尋ねると、ため息が飛ぶ。
「さっきの出張美容院、はつらつさんが急に散髪してほしいって割り込んだんです」
「へえぇ」
「散髪したあと、なんて言ったと思います? わしが切ったった分であんたら儲けたな。あんたらのために切ったのやぞ! って」
「へえぇ」
「余計なお世話ですよね。ここも利用者さん増えてきて、お金に困ってないのに」
腹の底から喉を通って、頭の先まで熱くなる。
みどりくんたちに必要なお金は、顔馴染みとなったファンからのものではなく、無料お試しで気に入って踏み込んでくれる、新しい「ひとり」を積み重ねたものだったのだ。わたしがみどりくんのためにと動くならば、妹や友人を巻き込むべきだった。はつらつさんもせっかくお金を使ってくれたけど、ああ、二十歳のわたしの気持ちを思う。
「はつらつさんにとって、うちらってお金を落としたくなる推しなんじゃない?」
自分が動いて助けにならなきゃ、自分のお金で支えなきゃ、なんて。盲目。あまりにも盲目だ。
後輩は不思議そうに眉をしかめた。
みどりくんたちの華々しい芸能活動は、わたしたちのお金が作ったのではない。彼らの歌やダンス、演劇やトークの練習、努力、こなした場数が積み上げた結果だ。デイサービスの繁盛も、わたしたち職員が利用者の希望に沿ったメニューを提案し、リハビリの提供をすることで、新規利用者獲得につなげたからだ。
思い上がった若気の至りは、胃に沈めて溶かしてしまえ。水筒のお茶をぐいっと飲んだ。冷えた麦茶が喉を下り、頭が少しずつ冷めていく。みどりくんは現在、消息不明だ。なんにせよ、楽しませてくれたあの時間を、わたしはまだ抱き締めて生きている。きっとファンのみんなも同じだろう。もうお金を落とすことはできなくなっても、どうにかそれだけ伝えたくなった。