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上級の奴隷としての女性、下級の奴隷としての男性
上級の奴隷と下級の奴隷と
「家事の奴隷」――女性を奴隷に例える比喩は、女性を被害者扱いし、男性を加害者扱いしようとするイデオロギーの下で、好んで再生産されつづけている。
いかがわしい比喩が本質を覆い隠す――それを奴隷制に例えることの正当性は何が保証するというのか?――ことの問題はさておくとしても、もしその比喩を真面目に受け入れるならば、その奴隷制の真の被害者は男性以外ではありえないだろう。
奴隷制の時代、家の中で働くのは上級の奴隷の仕事であり、家の外で働くのは下級の奴隷の仕事であった。女性が家事をして男性が外で働くならば、女性の仕事は上級の奴隷の仕事であり、男性の仕事は下級の奴隷の仕事である――ファレルはこのことを指摘する。
奴隷たちの間では、その外で働く奴隷はセカンドクラスの奴隷と考えられていた。家の中の奴隷はファーストクラスの奴隷。男性の役割(外で働く)は屋外で働く奴隷、またはセカンドクラスの奴隷と同質である。伝統的な女性の役割(ホームメイカー)は家の中の奴隷、つまりファーストクラスの奴隷と同質である。
誰も下級の奴隷にはなりたくない
このファレルの比喩は、「女性を奴隷に例えて、とりあえず女性を奴隷に例えた以上は男性を(どういうわけかより下級の奴隷ではなく)奴隷所有者に無理矢理例える」という比喩よりも、はるかに真相に近い。
「結婚相手から求められたら専業主夫になるか」という問いに多くの男性は「はい」と答えるが、「結婚相手が専業主夫になりたいと言ったら許すか」という問いに多くの女性は「いいえ」と答える。どうせ奴隷にならざるを得ないのなら、誰もが上級の奴隷になりたくて、下級の奴隷にはなりたくない。
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このような男女の意識の差があり、男性を働かせて主婦になりたいという女性の要求が通りつづけているために、現代社会のジェンダーロールは強固に変わることがない。男性がいかに変革を求め続けても、女性の意識が変わらない限りこれを変えることはできない。
外で働くことを希望する少数の女性の希望は常に叶う。なぜならば、それを許さないごく少数の男性との結婚を拒否して外で働き続ける権利は全ての女性に常にあるからだ。
一方で、専業主婦になることを希望する多数の男性の希望はほとんど叶うことがない。なぜならば、それを許さない大多数の女性との結婚を拒否したところで、結局独身である以上は自分の食い扶持のために外で働き続けざるをえないからだ。(そして、この種の議論で往々にして忘れられているが、そういう男性の少なからぬ割合は当然、家事も自分でやっているのである。)
なぜ女性はSTEMに進まないのか
「なぜ女性はSTEM(科学、技術、工学、数学)に進まないのか。きっと女性はSTEMに向かないという偏見があるからだ」という、耳にタコができるほど語られている言説は、この明々白々な事実にわざわざ目を瞑っているように思えてならない。人が自分の望むキャリア――上述のとおり、男性の場合は強制されるキャリアだが――に役立つことを学びたがり、自分の望まないキャリアにしか役立たないことを学びたがらないのは、当然ではないか。
高校の二年を過ぎると、少年たちは外国語や文学や、芸術史や社会学や人類学に興味を示すのをやめる。なぜなら彼らは芸術史を専攻しても、エンジニアよりも低い給料しかもらえないことを知っているからだ。
日本において、進路について実際に周囲の圧力を受けているのは男子学生の方だ。
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女性だって、主婦として食っていくことができなくなれば、STEMに進むだろう。男性だって、家族を養う責務を緩められれば、人文学や社会学に進むだろう。そうなれば、進学先の分野の男女差は縮まるはずだ。
女子学生がより多くSTEMに進むのがいいことがどうか、私には判断がつかない(少なくとも、悪いことではないと思うが)。でも、もしそうすべきだと思うなら、女子学生への圧力や偏見などという幽霊のようなものを血眼になって探している場合ではない。必要なのは、「男の言うことなんか聞く必要はない。女の言うことに黙って従っていればいいのだ」という現代社会に蔓延している考え方をやめて――やめるのがどうしても無理ならちょっとだけ一休みして――、その本当の理由をこうして指摘しているファレルのような人の言葉と、統計的事実とに耳を傾けてみることだろう。
関連
「女子枠とDEIをめぐって」(本記事といくらか内容が重なる過去の記事)