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真理が男性を解放する
理論を持つということ
フェミニズムという思想が現代社会においてどれほどの影響力を持っているか、今さら多言を要しないであろう。望むと望まないとに関わらず、まず、その現実を直視することが必要である。
「フェミニズムという思想」と言っても、それは一つの思想と言えるほど一枚岩とは言えないし、そのうちの少なからぬ割合が驚くほどめちゃくちゃであることは少なからぬ人が認識しているであろう。しかし、なんだかんだ言ってフェミニズムも「学問」をやって理論を唱えて今の状況になっているのだ。
男性差別撤廃に向けた動きも、一つ一つ理論的バックボーンを持っておこなっていかねばならない。これがこの記事で私の言いたいことである。
この問題意識が必ずしもあまり多くの人に共有されているとは思えない点に、私は危機感を抱いている。私たちは考え、学ばなければならない。まさに「Veritas liberabit vos.」(真理があなたがたを自由にする)であり、「Scientia potentia est.」(知は力なり)なのだ。現代において男性は軛をかけられて隷属している。そこから解放されるためには、何よりも「知る」ことが必要だ。
たとえば、Nikkoh氏は、「はじめに ~「男性差別」と「マスキュリズム」に関する概説~」という記事を初めとして、マスキュリズムに関する考察記事を出している。こういう一連の記事はもっと読まれていい。他にも、ウィックジェイ(K/G40xWlKJ)氏、okoo20氏のnoteには注目すべき論説が多く含まれている。
ワレン・ファレル氏の著作(いくつかは久米泰介氏による日本語訳がある)など、紙の本はさらに重要だ。
私たちを啓蒙してくれる論考が、(フェミニズムの書物に比べれば微々たるものでも)書かれていることは寿ぐべきことだ。何の勉強にもならないフェミニストのスキャンダル記事を読んで溜飲を下げている場合ではない。
もちろん、マスキュリズムだけを追っていればいいのではない。「ウォーキズム」が何の学問的ディシプリンもなしにお手軽に「道徳的優位」に立つための道具になっていることはしばしば問題になる。私はそういう「ウォーキスト」でありたくはない。社会制度や古典的な哲学を初めとして、何でも学ぶに越したことはない――といって、実際にはそう容易ではないのだが。「Ars longa, vita brevis.」(技術は長く、人生は短い)とはこのことか。小山(狂)氏が(特にフェミニズムのものを含め)様々な書物を参照して文章を書いているのを見ると、なかなか真似できないことだと敬服する。
センセーショナリズムではなくて
センセーショナルでスキャンダラスなもの、一言言いたくなるようなものに人は集まる。少し前に私は
「奢り奢られ論争」に端的に表れているんだけど、男女論の大体の争点は「男女が5:5で負担するべき」vs「男が10、女が0で負担するべき」の争いなんだよな。
これまで男7:女3くらいの負担だった事柄において、その「女3」の負担が「女性差別」と呼ばれている。
とツイートした。このツイートはみんなが一言言いたくなる「奢り奢られ論争の話」と解釈されて、様々な人が様々な立場から脊髄反射的に「一家言」を言うだけの不毛な場所として、私がX(もちろん始めたときはTwitterだったが)を始めて最もRTされることになった。
このツイートが「奢り奢られ論争」の話をしていると思われるのは私としては不本意であった。「「奢り奢られ論争」に端的に表れているんだけど」という表現の意味するところをよく考えてほしい。このツイートの主題は「男女論の大体の争点」であって、「奢り奢られ論争」は単なる一例なのだ。
例えば、「夫婦のどちらか片方が多めに働いて稼ぐなら、その分もう片方が家事育児を多めにする」というのは健全な夫婦の形だと思う。が、それに対して、「男の方が外で働いて金を稼ぐ」という価値観はそのままに「家事育児は半分夫がやるべき」と言い出す人がいる。これはおかしい。夫が外で5働き、妻が家で5働くというならまだしも健全だが、この場合に妻が「家事を半分やれ」と命令して夫は稼得5と家事2.5の合計7.5をやらされ、妻は家事2.5しかやらないとなったら、健全な夫婦のあり方とは言えない。
(話は変わるが、「まだしも」と言ったのはどういうことかというと、ファレルも指摘するように、奴隷制の時代に外で働くのは下級奴隷の仕事で、内で働くのは上級奴隷の仕事であった。外で働くのと内で働くのなら、内で働く者が上位なのであり、実のところ人は内で働きたいものなのだ。「夫を専業主夫にして自分が稼ぐことにしたが、耐えられなかった」という女性の体験談はネット上にありふれている。そういうことだ。)
しかし、「奢り奢られ論争」というのはいかにも人の脊髄反射的な反応を引き起こしやすいトピックであった。この種のツイートをしてしまったことを、私は反省した方がいいのかもしれない。