【廻るピングドラム考察1】 理不尽な運命から逃れることはできるのか?

※この記事はネタバレを含みます。

「僕の愛も、君の罰も、すべて分け合うんだ」
「運命の果実を一緒に食べよう」

今更ながら廻るピングドラムを視聴しました。
ポップでキュートな世界観と哲学的なストーリー。何度も大切に見返しながら作品に込められた意味について考えたくなる...そんな素敵なアニメでした。

作品のキーワードは「罪と罰」「運命」「愛」

物語に込められた意味を探ろうと思いを巡らせれば巡らせるほど、これらの表す意味について考えざるを得ません。

ということで今回の記事ではそのうちの二つ、「罪と罰」「運命」について考えてみたいと思います!

1. 罪と罰とは?

まず、「罪」とは人間社会で決められた掟を破ることです。罪を犯した人が社会で生きていくためには、受け入れられるためには「罪」に見合った「罰」を受けることが必須です。言い換えれば「罰」は社会によって提示された、「罪」を帳消しにするための交換条件です。

そして、本来ならば「罰」は犯した「罪」の大きさに見合ったものが与えられるべきですが、時には「罰」は理不尽な形で提示されます。なぜならば、「罰」はあくまで世間が定める条件であるため社会の望む形であることが優先され、その人が犯した「罪」の大きさに見合った「罰」を提供することは後回しにされてしまうことがあるからです。

このような社会のあり方の被害を受けたのが高倉家の子供たちです。彼らは、犯罪者の子供として世間が自分たちが「罰(不幸な目に遭うこと、大切な人を失うこと)」を受けることを望んでいることを知っています。

2. 運命とは?

心優しい陽毱の不治の病。たとえ理不尽であっても、冠葉と晶馬は社会が自分たちに望んでいる「罰」であり、社会で人間として生きていくためには避けることが許されない「運命」として受け入れようとしていたことが1話でわかります。

罰をきちんと受けなければ社会で生きていくことが許されない世界。でも、これでは高倉家の子供たちは救われないですよね。そんな中で、今まで「①提示された罰を受け入れる」しか無いように見えた彼らの人生に新たに二つの選択肢が提示されます。「② ”眞悧的選択肢”」と「③ "桃果的選択肢”」です。

②とは「罰を提示する社会」を壊すことです。罰を望む人がいなければ、それを引き受ける必要なんて無くなりますよね。でもこれは多くの人の犠牲なしでは達成できない苦しい道であることが物語終盤の冠葉をみていればわかります。

もう一つの方法、③とは物語の鍵であった「ピングドラム」を手に入れることです。物語で明確には述べられていませんが、「ピングドラム」とはおそらく「誰かのために自らを犠牲にすることで覚悟、愛」といったものでしょう。物語ではこの方法で、幸せを手に入れるために運命から逃れようとします。

3. まとめ

この物語での「運命」とは、避けることが社会に許されず、必ず引き受けなくてはいけない罰のことです。そしてこの「運命」はその人の「罪」にかかわらず理不尽にふりかかります

なんて救いようのない世界観でしょう。でも、実際の世界も「罪」と「罰」が必ずしも対応することはなくて、「何も悪いことなんてしていないのに、損ばっかりしてる。」っていうものですよね。

このリアルな世界観こそがピンドラの魅力でしょう。
この認めたくない悲しい現実に対してこの世界の住民はどんな答えを出すのか、目が離せなくなってしまいます。

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