見出し画像

ねこはおちゃのまない【ヒッチハイク紀行vol.2】

つづきです。
前回の記事はこちら ↓

静岡SAでそのおじいちゃんに教えてもらった場所にて再度スケッチブックを開き、なんとなく目についた岡崎SAが良い具合にそこから1時間半の距離にあるとのことで「岡崎まで」とでかでかと書く。
1回目にやたらと丁寧に書いたが、その割にすぐに役目を終えたので、今回はかなり手早く、1分程度で書き終え、早速掲げてみる。
3台ほど車を見送った後、スケッチブックを掲げてからおよそ1分ほどで車が止まってくれた。
うしろにたくさんの車が待っていて、なぜかそのたくさんの車たちの流れを止めた状態での乗車だった。ハンドルがどこについているのかわからない車だった。

2台目に乗せてもらった車には、夫婦が乗っていた。ねこが大好きな夫婦。
その日は富士山にパワーを貰いに行っていたらしい。神戸のメリケンパーク周辺もその人にとってのパワースポットとのこと。全国各地にそういうのがあるのはいいな。
「富士山は曇っていて見えなかったけど、でもそれでもそこにはあるもんね」と言っていたのが印象に残っている。
とにかくねこが大好きらしく、これまでその方がしてきた動物関連のお仕事についてお話ししたりした。私も10代のころ一時猛烈にねこが飼いたいときがあって、毎日のように猫譲渡のサイトを見ていた。でもそもそも小学生のときに、サボテンですら枯らしてしまう生き物育て下手な母からの、「たまごっちを死なせずに育てられたならいいよ」というテストに落第して以降、私に生き物を飼うという選択肢はなかった。今思えば適切な選択だ。私という存在は、生き物の生命の危機や喪失に対してあまりに関心がなさすぎる。その人間の持つ行動傾向を無理に変えようとするのではなく、その傾向にあった生活様式や行動選択を行いなさいという、意図か非意図かわからない母の教育は、私をここまで生かしてくれたのだと最近ふとしたときに気付いてしみじみしたりする。情操教育という観点でいうと諦めたということなのかもしれないが。

ヒッチハイクの場において、私のことが運転者や同乗者から問われることはないんだな、と思った。聞いてほしいというわけではないけれど、そして聞かれることを雰囲気で避けていたのかもしれないけれど、基本的に私が質問をして、話してもらうというようなスタイル。
話すのが好きな人もいるのかもしれないけれど、話すだけというのもそれなりに疲れるだろう、と思う。なので少し申し訳ない。
ヒッチハイカーを拾うというのはなにも積極的行為ではなくて、特に今回の私の場合は<こんな暗い夜に><こんな若い子が><しかも女の子なのに>という三拍子が揃い、拾わずに通り過ぎられない、という気持ちで拾ってくれたとのことだった。
とはいえとても和やかで楽しい時間を過ごさせて頂いたのだけど。適度な自己開示と、自分が相手に興味を持っているということを示すことができるような適度な質問ってやっぱり難しい。永遠のテーマ。

かなりの時間、猫トークをした後、会話の内容は生活や仕事の話に移って行った。その方は今は就労支援のお仕事をされているとのこと。
その前にしていた重度障がい者と関わる仕事において、なぜこの人たちは生きているのだろう、というようなことを思ってしまったからこそ、今度は未来のある人の手伝いをしようと思った、と言っていた。
その重度障がい者は働くことはできない、生きることすら誰かの助けが必要。でもその生を維持するために必要となる働きを提供する人のことを経済的にも精神的にも支えているという点でいうと、その障がい者の人たちもある意味で働いているともいえるんじゃないか。と、理論としては持っているけど。感覚としてその存在を切り捨ててしまう冷酷さはやっぱり私も持っている。それに対して私は、後ろめたさというか、人間として自分自身があまりに不十分であるという意識がある。
一方そのお話ししてくださっていた方は、そのある種の冷酷さのようなものを自分が持っていることに特に臆することはないながらに、今の作業所での働きにやりがいを持つことができている。少しの変化、達成を見つけたときにやりがいを感じるらしい。
なんだか、人間として確固たるルールがあるのではなく、どれが正しいとかでもなく、自分の素直な気持ちを発露させながらも気持ちよく生きることができるのはどこなのか、を探すという事なのかなあ、と思った。
正しさに向かって自分を矯正していくのではなく。

一方で、猫に対する他者の、素直に否定できる姿勢(大きく成長してかわいくなくなったら捨てる、など)と、その人自身がもってるその重度障害者への姿勢というのはあながち遠くないのではないかと思ってしまった。
でもだからこそ、人を変えるとかではなく、何が悪なのか、とかもなく、自分の素直なあり方が実現可能な場所がどこにあるのか、なのかなあ。

乗せてくれた人たちそれぞれに独自の哲学がある。その考え方の筋のようなものに沿ってみんな自分の生活や人生を組み立てている。数時間じっくり車内という密閉された空間で話をする中で、そんなことを思った。

今この暗闇のすぐそこ、耳をすませば車の走る轟音の中でかすかにその声が聞こえてくるようなところにいるのに、全然違う環境で育って全然違う生活をしてこれまでに過ごしてきた人生の年数も違っていて、共通する文脈みたいなのが全然ない中での対話が、すごくヒリヒリするかんじがした。
私は自我を持っているように見せかけて案外フラットでその場その目の前の人の価値観に影響されがちな人間なので、そんな個室でじっくり話を聞いていると、今の自分がその人の価値観の上に成り立つ人間ではないことに少しあせり、その価値観を少しだけかじって内面化していってしまう。
そうして次また異なる人と話していると、そこでもまたその人独自の価値観への浸りとつまみぐいが起きる。その時に生じている齟齬は本当に自分自身が持つ価値観とその目の前の人の価値観との違いによって生じているものかはわからない。どんどんアイロンをかけていく感じというか…その人の話を聞く中で自分自身というなにか、布のようなもののよい畳方があるような気がして、アイロンをかけながらたたんでいくが、また別の人と話しているとその畳方がなんだか違うような気がして、でももうすでにはっきりと折り目はついてしまっていて、でもアイロンで直せば完全には消えなくてもまた新しい畳方にはできる、みたいな。

そもそも見知らぬ人間をタダで乗せてくれてるという大前提の親切心がある人たちだけど、その人たちそれぞれになじみ深いカルチャーの領域においては評価軸みたいなものが全く違っていて、そこでの自分の無知みたいなものがずっと見透かされてる感じがした。そしてその人の持つ文化観の中での自分自身の無知が、そのまま自分の世間知らずであるかのような気分になった。世界というのがこの人たちであるような感覚になって、恥や焦りみたいな気持ちがあった。
でもその恥とか驚きとか焦りとかも含めてなんかああすごいなあと思った。

自分の価値観や考えの輪郭がぼやけ、揺り動かされ、毎度ちょっと落ち込むということを繰り返す。日々の中でももちろんそんなことばかりだけど、でもそれでも自分の日常というのは十分に閉じたものなのであって、その同じ文化の中で生きることは安心できるし、だからこそ磨いて行けるものもあるだろうけれど、別のもの、自分の中に拒否感が生まれてくるようなものに対峙しつづけることによってほんとにゆっくり、徐々に浮き彫りになっていく自分というのもあるなあ、と思った。まだ全く定まらない自分自身というものを見ていくとき、今居心地のいい空間でいるということも確かに策ではあるが、一方でその居心地のいい空間が本当に自分のその時間をかけてそこを雛形のようにして自分を形成していっていい場所であるのかは、結局わからない。それを判断するのは今の自分でしかないから。であれば、よくわからない、いろんな人がいる場所でときに拒否感や絶望感を感じながらもその中で自分なりの守るべきものを考えていくのが良いのかもしれない、と思った。それには相当の精神力というか、向かいたい先みたいなものを見失わないことがとても必要になるけれど。
自分の見る世界を多様で大量で過激な混沌として過ごす中で、それでも自分というこの人間の本質的な部分、自分は物質的な身体を持っているんだ、とか、心臓が動いているから生きているんだ、とか、脈々としたつながりの中で自分という存在は成り立っているんだ、とか、そういうことを素朴に思い出させてくれるような、いまの価値観がどうであるかに関わらずその人の存在そのものを愛していられるような、過去や現在を共にもがきつつ過ごしている仲間たちとの関わりや対話を大切にしたいなあ、自分にとってのアンカーとして。

<つづく>

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集