供に悼む
1月17日、神戸・三宮の東遊園地での「1.17のつどい」に行ってきた。
阪神淡路大震災の追悼のつどいで、16日 日中のボランティアによって、公園にはメッセージが書かれた灯篭が既に並べられている。竹や、プラスチック、ガラスで作られた灯篭。
その中に設置されているキャンドルに、まだ真っ暗な夜明け前、火を灯すところから参加した。
前日の夜 神戸で友達と会っていたのでそのまま三宮で寝て、朝の5時前に東遊園地に到着した。
泊まっていたのが会場の東遊園地から徒歩15分ほどの山側のところだったので、地震発生時刻 約50分前の暗闇の中を、海側にある東遊園地に向かってゆるい坂道を下ってJRの高架をくぐり、夜明け前でまだ車が多くない複数車線のひろい道路を眺めながら歩道橋を渡った。
まさにこの場所で、これくらいの暗さの中で急に地震が起きたのか、と考えていると、災害というものに対してこれまでにないくらいに実感を伴った想像が 自分の周りの空気から自分の身体に、じわっと染みこんでくるような感覚があった。
東遊園地に到着し、火をうつす用のろうそくをもらって灯篭に分灯した。
たくさんの灯篭があるので、ひとりひとりが結構たくさんの火をつけた。
灯篭に入っているキャンドルは昨日も灯されていたこともあって、ひもの部分が使えなくなっていたり、竹の奥底に沈みすぎていたりして、うまく灯せないものも多かった。
取り残されていく、付かないろうそく。
わたしはなんだかそれが何かを象徴してしまう気がしていたたまれなくて、一緒に行っていた友人と一緒にどうにかしようとおろおろしていた。
近くのおじさんが
「替えのろうそくもらってきたでー」と言っているが、替えたとしても竹の中でキャンドルの紐が深すぎて付けられない。ろうそくの火はずっと私 持ってるのに。
火を持っていても何も出来ず、立ち尽くすしかない。
じょうろを持って、竹の中に水を入れてろうそくを浮かせている人がいるが、
ひとごみの中でその人は遠くて、アピールしても叫んでも気付いてもらえない。
「じゃあもうこの手持ちの長いろうそくを、この竹に差しちゃおう」
と差そうとしたら、
「分灯用の長いろうそくは、危険なので灯篭には入れないでください」と放送。
じょうろを持っている人はその人にしかできないことがあるからそれに専念してくれたらと思うんだけど、その人は目の前を主に見てるから、こっちにたくさんの水を入れてほしいところがあるという私たちの主張には気付かず、じょうろで水をちょろちょろ入れながらろうそくの火もつけて、近くのおばちゃんと談笑していた。
結局 友人が、持ってきていた水筒の水を使って、比較的浅い竹に水を入れ、1つのろうそくを追加で灯した。
きっと全体として遠くから見るとちゃんと文字が識別できるくらいには多くの灯篭が灯されているけど、
それでもまだ私たちの前にたくさん、灯すことができないままのろうそくが残る中、1995年1月17日の地震発生時刻である5時46分を迎えた。
最終的にはもう、あの場所に、目の前でその存在を知っていながらも水が注ぎ足せずに灯をつけられなかったろうそくがあった、ということをただ私がおもうことしか出来ない、と思った。
他のところにも同じようについてないろうそくはあった。
でもそこはそこで、それを自分の出来事としておもっている人がいるはず、と。
今回のこの自分の感覚を人に話したとして、同じように感じてもらうことは難しいだろうな。
そうすると、追悼ってなんのためにあるのだろう、と思った。
追悼するために追悼してるんじゃない。
悼むためにするのであれば、そこに本当のものがある限りだ、と思った。
防災のために、継承のために、多くの人に思い出させるために、というのはわかるが、それが”追悼”という形をとりつづけることってどうなんだろう、
どんな状況でも過ぎてゆく日常だからこそ、その、自分が失ってしまったものや悲しみを、この日 この時は意識的に刻もう、というものならば、
その本来のおもいが継がれないままに続いていくことに意味はあるのかな(もちろん今行われているものが不要という意味ではない)、と。
一緒に行っていた友人2人は、どちらも神戸出身で、大学も含めて今までずっと神戸で暮らしてきた。
その2人にそんなことを話していると、
「私は黙とうの間、小さいころからこれまで聞いてきた神戸のいろんな被災者の方の話を思い出していた。こうしてそれを思い出せる機会があることは私にとってはいい」
と言っていた。
私は大阪出身で今は神戸の大学に所属しているが、この少しの場所の違いで、これほどまで意識の当事者性にちがいが出るのか、と思った。
と同時に、それにしても阪神淡路大震災のことをあまりに知らない自分の怠惰さと暴力性に気付き、あっけにとられた。
でもそれでも、追悼ってなんなんだろう、
たくさんある灯篭の中に、
「供に生きる」
という言葉を見つけた。
これが私はとても印象的だった。
調べてみると、”供”というのは、対等性を持つ”共”とは異なり、従属的なニュアンスを持つような”一緒”の表現っぽい。
「供える」「供養」とかもある。
どういうことを考えて「供に生きる」という言葉を記しているのか、これからもそこに込められたおもいを探していきたいと思った。
自然という大きなものに対しての自分、として、”共”ではなく”供”なのかなあ。
このつどいでお話しをされていた方は大学で講演もしてるらしく、そのタイトル『生きてこそ』は映画の題名からとっているらしい。
で、その映画は、生きることへの執着なしには生きられない、生きることの素晴らしさを伝えている、と。
「生きることへの執着なしには生きられない」
という言葉はとてもストレートで、
「生きることへの執着がない」と淡々と他者に言っていた以前の自分についての恥じらいの気持ちが生まれた。
かといってその自分の気持ちがどうなるわけでもないのだけれど。
でもなんか、どきっとした。