履けるし脱げるという幸福 (ハンピ)
朝にホスペットに着く予定だったけど寝過ごして、気付いた時には通り過ぎてて、ひとつ先の駅で下車。
乗り過ごしたの1駅だけでよかった....。
1駅乗り過ごして降りた駅はちょっとだけ田舎の駅だった。
どうしたもんだかなあ、と 駅でチャイ飲みながら、乗り過ごしたんです....ってチャイのおじさんと話してたら、隣にいたのが丁度ホスペットに行くバスに乗るためにバス停に行くという警官で、明け方でピンク色の空につつまれる町の中を、そのおじさんに付いて、わっさわっさと闊歩した。
朝の時間だからか、バス内には通学の学生たちがたくさんいた。
インドの女のひとほんと大好き。
少女たちは独特のきらめきを放っていつも微笑んでいて、うつくしく神聖。
女性たちはやさしくて強い。
バスがホスペットについて、そこからリキシャでハンピへ 。
インドの人々はほんと、皆がトップクラスのビジネスマンなのかというくらいにずーっと電話をしている。
タクシーの運転手とかほんとひっきりなしにコールが入る。
でも内容をキャッチしようとよく観察してると、恐らく私が指定した場所について、どう行くかとかを数人に電話して聞いてるっぽい。
ハンピはとてもなんか、独特の雰囲気をまとった町。結構すき。
ちょっとめんどくさいお願いでも話がスムーズに通じやすそうという理由で、ハンピのものすごく奥の奥にある日本人宿に荷物を置かせてもらう。
宿のおじさん(結局インド人)がとてもやさしい。
そこにいた、歯科医を目指している大学生の女性がすてきだった。
割と日本人以外もいた。そこにいて喋ったのは、大学卒業後旅をしている中国系アメリカ人、医学部1年を修了後一旦旅をしているドイツ人の女の子2人。
そこでちょっとゆっくりしゃべって、舟で向こう岸へ。
こちら側は観光地っぽいかんじで、あちら側はゆるい、ヒッピーたちが集まるようなところらしい。
俄然 ”あちら側”に行きたい!となった。
舟を待ってる間にいた川辺では、洗濯や入浴をしているファミリーとかがいた。
サリーを洗っている人もいたし、象を洗っている人もいた。
川の水はそれなりに汚かった。
船乗りの人達と話して、その人にバイクを借りれることになった。
ありまりさんが操縦して私はうしろ乗った。
初めぜんぜん乗れなくて、周りにCRAZY DRIVERって言われまくった。
練習してるのをわーわー言いながら眺めてると、なんであんなにCRAZYなやつを信じて後ろに乗るんだ!?自分らのオートのほうが絶対安全やからこっちこいよ!とオートのドライバーに言われたり、
走ってるときも周りの人たちにすごいにやにや見られたり。
でも走ってみたらなんかもう最高だった。
バイクはとても自由で、さわやかで、陽の光はずーっと肌を照らしている。
開放的でものすごいきもちいい。
田んぼや、湖や、とにかく大きな岩の中をひたすら走った。
クレイジードライバーは、バイクの後ろに乗るのが前から好きらしい。
人に自分の運命を預けるしかない、という状況が、清々しくて快感らしい。
私はまだまだ、運命を自分の権限の届く範疇から手放すことにはおそれがある、と思った。
執着している。
チェンナイで、ハンピの宿を探してるとなんかアホっぽい(失礼)名前のとこばっかりで面白く、その中でも気に入ってた「ヒッピーランドハンピ」を、走ってたらたまたま見つけたので併設の食堂に入ってみた。
なんかやたらと踊ってる老夫婦が先客で、話した。
結局あなたたちはヒッピーなのかというと 違う と言ってたが、話せば話すほどなかなか本質的なヒッピーやん、ってなった。ミルクボーイ。
今このときをただ楽しもうと、自由に生きてた。
ちなみに私がこれまで強い憧れを抱いたり影響を受けてきた人たちには、やたらと元ヒッピー的なことをしてた人とか現代のヒッピーて感じで生きてる人が多い。
かっこよくてやさしくて自由で朗らかでおちゃめ。LOVE&PEACE
でもこのヒッピーランドは、長居すると時の概念を忘れて正気に戻れなさそうというか、のどかさ平和さが逆に怖いみたいなのを感じた。
形式的ヒッピー。
本質的ヒッピーとして生きたいよなあ、
地味にけっこう美味しいビリヤニを食べた後、暑すぎるから湖に入ろう!となったがいざ到着して湖を目の前にすると汚すぎて、入る気が失せた。
でもやっぱ暑くて入りたい、となり、流れがあるほうがマシなんじゃないかという推測から、川に行くことにした。
が、そこも別に特段綺麗なわけでは無く、周りの西洋人っぽいひとたちはただ川辺でおしゃれにチルしているだけ。
そんな中、まあいいか!とそれなりの勢いを持って結構な深さと速さのある川に、2人飛び込んだ。
これまでインドの生水は絶対飲まないぞ~と恐々過ごしてたのに、そこそこ濁ってる川なんかに飛び込み、鼻からも口からも、しっかり生水?を取り込んじゃってちょっとはらはらした。
けどその後も、この旅を通して一度もお腹こわさなかった。
割と丈夫。もしくは運がよかった。
1人、現地の人が泳いでいたので、最終その人に助けを請おう、と思いながら ふと先に行くありまりさんを探すと、見事なまでに鮮やかに、早速その人に対岸への登り方をガイドしてもらっていた。
人に頼るのは私結構得意、と思っていたが、冒険心のもとにおいては、この人にはかなわないなあ、と思った。
その冒険心にあてられて、同じように(私にとっては)挑戦的に泳いでたら、川の中心で溺れかけた。というか、なんか向こう岸に一向に着かずにずっと同じとこで泳いでる、みたいな現象が起きて、
人生で初めて Help me って叫んだ。
ちなみに誰も助けてはくれなかったので、ひとり黙々ともがいてなんとか対岸に到着。
すぐそばの岩の上でいちゃいちゃしているヒッピーみのある西洋人カップルのレジャーシート?を、疲労困憊、と思いながら少し濡らして岸に上がった。
川でボートを漕いでいるおじさんに、友達がやってる近くのゲストハウスで焚き火パーティーするけど来る?と誘われた。
荷物を置いてる向こう岸に帰る舟の最終便の都合で夜までは居れない、と言うと、じゃあ今から行こう!と、緑生い茂る近くのなんかいい感じに涼し気でヒッピーな(←てきとう)ゲストハウスにお邪魔して、ごはん食べさせてもらった。
結婚式でもどこでも、全くお酒を飲まない(一応鉄格子に囲われた売店では売ってはいる。スーパーにはノンアルのビールが売られていた。)南インドで、唯一ここではお酒をすすめられて飲んだ。
ビールとウイスキー(未開封のものを目の前で開封され、注がれる過程もしっかり確認した上で飲みました)。
ハンピでも、”こちらの岸(ヒッピーの岸)”ではお酒もたばこもクスリもやるんや、とおじさんたちは言ってた。
普通にそのへんの人の誘いにほいほい付いて行きすぎてて(一応いろいろ警戒して、ある程度検討した上ではある)、これと同じようなことを北インドとかでやったら結構危なかったりするのかなあ、とか思った。
でもこのおじさんたちも楽しくていい人らだった。
道ばたでは、住人たちが自分たちの家の前の排水溝?を建設している。
ハンピはこれまでいたインドの都市とかに比べると観光都市っぽくて、海外からの旅行客がそれなりにいる。
その後、hampi hippi island としてマップで出てきた、なんか日の入りが綺麗な岩山に行った。
岩山、隙間が大きくて深くて、ひるんだら終わり、という感じだった。
でも、これまで人がたくさん登ってきても大丈夫だったんだから大丈夫…と言い聞かせて登った。自分の恐怖心って、大したことなくて世俗的でしょーもな、と思った。
自分の、良い感じに映える写真を撮りたいよねえとか言いながら若者っぽくはしゃいで下りた後、ヒッピーじゃない”向こう岸”に戻るために、バイクに乗ってまた川辺へ。
”あちら側”に帰ってからは、Matanga Hillに登った。
これで終わりか?でもなんかこの先もありそうだから行ってみるか、というのを3回くらい繰り返すと、何人かの人がとどまっていた下の地点に比べてまったく人がいない頂上に到達した。
基本的にここも岩山で、結構足場の悪い場所だった。
はじめは小さい砂のつぶや植物があったが、途中からはそれらがなく、完全につるつるした岩だけの崖になったので、サンダルを脱ぎ、裸足で歩いた。
土ふまずがあったり、適度に汗ばんでるからこそ滑りにくい裸足は、その場所でとても歩きやすかった。何もないというのはそれだけで身軽。
岩の感触を直接感じ、生き物としてこの岩山で遊んでる、みたいな感覚が、とても心地よかった。
一方で、頂上につくと、ふたたび砂のつぶや何かの欠片などが足元に出てくるようになったので、靴を履いた。
踏み出す度に足裏が痛くなったり、何かが刺さらないかと恐る恐る力を込める必要がないので、このときもまた自由を、大いなる力を得たような、気持ちのいい感覚があった。
裸足も裸足で良いし、
靴もやっぱりそれなりに意味や意義がある、と思った。
オーロヴィルの有機農園みたいなところで、漏れなくみんながしなければならない選択として靴を脱がされた時の何倍もの心地よさがある、と私は感じた。(もちろんそのお願いにはその場所の”オーナー”の哲学やこだわりがあると思うので、それに一時従うことについてはオーケー。ただでも結局 場所に対する決定権は誰が持つ?とか、自然との関係性・人間の立場とかについてもやっぱりまっっっだまだ考えられることがいくらでもにある…と思う。私は現状、< (知性を持つ)生き物 としての人間 > 中心主義。)
人間がつくり出したもの、今自分の身の回りにあるものや仕組みみたいなのは、それぞれにちゃんと意味を持っている、と。
逆に、意味を見出しにくい・意味がない、と思えるものについて、それらの中でもいろいろに分類できるよなあ、とか、意味がないそれが存在することの影響について、もっとつぶさに見ていきたいよなあ、とも思った。
まずは、履けるし脱げる、そしてその靴は自分でずっと持ってられる、そのことが多分自由であり、力であり、幸福なのかもしれない。
痛みを感じたらすぐに別の選択肢があり、それを実行する能力を持つということ。
その後、荷物を置かせてもらっていた宿に戻って、なんとその素敵な歯科大の女性が部屋のシャワーを貸してくれて、シャワー浴びてちょっと話して、寝台列車でティルパティに戻るためにオートでホスペットへ。
ホスペットの駅には、女性専用の待合室があった。
授乳室があったり、待合室の中にトイレがあったりする。
インドはいろいろなものが男女別だった。
男女別のホステルとかも結構あるし、駅にはいる時の検査とかも男女別のルートがある。
ちなみに日本の電車のように女性のみ専用スペースがあるのではなくて、女性専用があるときは男性専用も同様にある(ことが多いように感じた。この駅の待合室も、女性専用・男性専用があった)。
そういう配慮や安全スペースが必要になるという背景を考えると苦しいものもあるけれど(と思ったがもしかしたら危険性のみではなく宗教的理由とかもあったりするのかなと今浮かんだ)、それによって社会のいろいろなところにおける女性の居場所や役割が増えるのはいい事だと思う。
女性のことは女性が、みたいなものが多い気がする。
これって日本では必ずしもそうというわけではないように私には思えるが、利用者に”女性”(雑)がいるから、その人にある程度似た”女性”がその場に参加し、その人に対してサービスをする、というのは、それなりにメリットや効果があるから、本来はその価値を評価されて当たり前だよなあ、とかも思った。
どこにでもいろんな人はいて、そのいろんな人たちがそれを使ったり、そのサービスを受けたりするんだから、提供する側にもいろんな人がいたほうが良いっていうのは一定程度言えるんじゃないかみたいな。
でも、トイレが男女別であることによってこぼれ落ちるものをどうとらえ、いかに誰をも排除しないか、などを議論したりしてる中で こうもいろんなものが男女別だと、なんかもう場面が多くて、かなり大変だな、とか思った。
誰かに対する配慮が、誰かにとっては居にくさにつながる
果てしない、くらくらするね
これまで乗ってきた電車は、インドなのにも関わらずずっとほぼ定刻出発だったが、ここにきて1時間くらい遅延した電車を待っていた。
目の前を通ってくのを眺めてると、途中、これは悪い夢を見てるんじゃないかと思える程に終わりが来ない、とにかく長いインドの電車。
その長さのせいか、やっと来た電車も序盤は全く止まる気配を感じられず、目の前をただただ通り過ぎていく電車に不安をおぼえた現地の人びとが焦りに駆られて走っていき、思い思いに電車に飛び乗る、みたいな滑稽な状況が起きてた。
その状況に慌てたけれども走るに走れず、笑いながら眺めてたら じきに電車は停止した。
(覚えてないけど恐らく)夜の24時ごろ、無事に乗車。
昨日ぶり 2度目の寝台列車はもう慣れたもんで、駅員のことをうまくいなす方法も身に着け、快適な座席でたのしく夜を過ごし、朝を迎えた。