
【たかしまサーカス企画 | BookTrunkCases vol.5】きらきらのせきらら
2月22日、いよいよ今週末に迫ったたかしまサーカス!
滋賀県は琵琶湖の西側、高島という地域にあるTAKASHIMA BASEという古い民家を改装した気持ちのよい場所で開催するイベントです。
*たかしまサーカスについて、詳細はぜひこちらの記事をご覧ください。
普段はそれぞれの地で、(発起人の瀬川くん曰く)「その人の表現のようなものとして」本屋や出版社などをされている方々がこの日ひとところに集い、非日常の愉快な場を繰り広げる予定です。
「たかしまサーカス」には、単に”ブックフェア”のようなことばでは表せないいろいろなものがたゆたっています。
それでも、やっぱり本を共通のものとした場所であることはたしかであるという中で、本を通して、「結局よくわからない」かもしれないイベント「たかしまサーカス」のことをより深く掘り下げるような、そんな企画がこちらの”BookTrunkCases"。
それぞれが持つトランクケースに入れてきたような本を、ちょっと奥まった場所でその荷をほどきながら私がひとつひとつ見せてもらっているようなイメージで、本を真ん中に私とたかしまサーカスメンバーひとりひとりとじっくり話し、文章にしています。
第5回目は滋賀の大学でデザインやものづくりを学びながら日々をパワフルに走り抜ける「瀬川さんのアシスタント」、桜ちゃんです。
この日は京都の北大路でシェアハウス・宿泊も行う京町屋、HATCH京都のカフェ営業に2人で行きました。
住人の方3人が集まって作業をしている居間にて、ときどきその3人も話に入ってきてくれるような環境でのんびりと話をはじめました。
ふたりで話をするということに緊張し、昨日もよく眠れなかったという桜ちゃん。
(瀬川くんによると、本を読んでいてもこの企画でのおしゃべりがあることを思い出しては読み滑って頭に入ってこなかった、なども言っていたそう。そんなことを全く知らずに初対面の人も多いより特殊な状況で話すことになってしまって大丈夫だったかなと少し気がかりでしたが、さくらちゃんによるといい具合に居やすくてよかった、赤裸々に語ってしまった、とのことで安心しました。)
そんな桜ちゃんが紹介してくれたのはこちらの本。
『カメリ』北野 勇作(2016)

この本は、桜ちゃんが中学生のとき、図書館に行っては目をつぶって手を伸ばし掴んだ本を読むという、文字どおり”手当たり次第に”本を読んでいたときに出会ったものだといいます。
模造亀(レプリカメ)のカメリには感情がありません。
ヒトがいなくなった世界のカフェで働き、テレビの中で流れるヒトの暮らしを眺めながら過ごす日々の中で、なぜ自分がここにいるのか、楽しいとは何なのかなどを学び、考えていくという話だそうです。
他のメンバーのように何かが論述されている本や何かの方法を知るためのような本を選ぶのは、自分が困っていることや得ようとしていることがあまりに明らになるようで恥ずかしくてできない、と、物語として自分にとって大切なこの本を今回紹介することにしたそう。
デザインや写真などを大学で学び、つくったものを人に見てもらう機会も多いであろう桜ちゃんですが、「自分が考えていることを人に知られることがいちばん恥ずかしい」と言います。
だからこそ展示などをするときも「こういうことなんでしょ、という型のようなものを持つことでどうにかやっている」という桜ちゃん。
イベントなどを行う場合にも、「カメラマン」などの役割や、各々の立ち位置みたいなものがそれぞれ明確にある上で動くことが大半だと言います。
そんな中で、はっきりとした役割があるわけでもなく、ただ「その人がその人として居る」という在り方での関わりあいが行われているたかしまサーカス。
人と関わると疲れることが多いという桜ちゃんが、なぜか疲れることなく楽しめたという決起会でも、それぞれ何ができるのかなどを探るまでもなく好きな映画を問われたり、次の日にはメンバーのひとりから「2人で話したい」と連絡が来てどぎまぎしたり。
その人の持つ能力のようなものを測ろうとするのではなく、「あなたのことを知りたい」「あなたの考えていることを知りたい」という気持ちをまっすぐに持つ人たちばかりがいると、桜ちゃんは思ったそうです。
人とともになにかをするという場面において、その人の中にその活動に対するモチベーションがあるということは、必要条件としてあたりまえのものとされがちです。
一方でたかしまサーカスをつくっていく過程においては、まずその場において人として認められているという感覚があり、だからこそ、そこにその人のモチベーション、つまり、どうしてもやりたいという気持ちのようなものがそのとき十分になくとも、そこに居たいと思える、
なにかをしなければならないという感覚が必要無い環境だからこそ、その中でその人が何に気が向くのかを探す猶予がある、と。

冒頭にも書いたように、桜ちゃんは今、瀬川くんのそばで”アシスタント”として働いています。
(本人曰く、”バディ”とは言うに言えない、けど実際は”アシスタント”というほど補助的な存在として関わっているわけではなく、もっと対等で、お互いに支え合い引き出し合うような関係でありたいと、桜ちゃんは言います。実際、”アシスタント”というのはどうもしっくりこないんじゃないかという話を、瀬川くんや桜ちゃんと話す度にしているような気がします。ちなみにこの”アシスタント”というのは瀬川くんが所属しこのたかしまサーカスを主催する一般社団法人ぼくみんから桜ちゃんのものとして手渡された名刺に書かれていた肩書として「アシスタントデザイナー」という表記があったことから、便宜上の自己紹介のようなものとして使っている、とのこと。ある意味でそれは桜ちゃんが落ち着く”型”なのかもしれません。その上で、今後桜ちゃんが自分をどのように表現して働いていくのかがたのしみです。)
大学を卒業してからぼくみんで働きはじめて3年ほど、言ってしまえば「まだ若い」瀬川くんの”アシスタント”というキャッチコピーのようなものは、時としてやや驚かれたり疑問を持たれたりするものでもあるようです。
このときも、ぼくみんの活動が行われている船岡山公園からほど近いHATCHの住人であり瀬川くんのことを知っている方からは、桜ちゃんが瀬川くんのアシスタントをしているということがどういうことなのか、興味しんしんの様子で尋ねられたりしていました。
そのような状況もあって、なぜアシスタントをすることになったのか、その経緯をところどころで聞いたり話したりしている中、
桜ちゃんが「そうだ私、瀬川さんのことを研究対象とするために一緒に働きたいと思ったんやった」と言いました。

たかしまサーカスの在り方に魅力を感じた上で、なぜこんなにも素敵なひとばかりがあつまっているのだろうかと疑問に思った桜ちゃんは、そんな場を主催する瀬川くんのことをもっと知りたいと思い、より近くで働くことを求めたそうです。
自分もそういう場をつくっていきたい、そういう人たちのいるところで生きていきたいということを思う中で、瀬川くんの動き方を研究し、あわよくばそれを自分の生活に持って帰ることができるようになりたい、と。
そんな瀬川くんからは日々たくさんのおすすめ本を教えられ、同時に自分自身の在り方についてもいろいろなフィードバックが届けられるのだといいます。
話を聞いている限りでは、そんなにもその人に踏み込むような関わり方が成り立つんだなあと思うほどの関わりです。
最近は、桜ちゃん自身の在り方について、あらゆることにすぐに興味を持ち、どんどん自分の新しい関わりしろをつくっては過去に関わりはじめたことへの関心を失っていくという傾向が指摘されたといいます。
そしてそれは桜ちゃんにとって勿体ないことなんじゃないかという課題感を共に持った上で、興味の拡げ方や関わることの数についてすこしセーブをかけつつ集中する、というようなことを行っているそう。

自分の感情と向き合い、ほんものとは何か、を考える”カメリ”。
型や役割にはまることのほうが楽だ、と言う桜ちゃんですが、私は、そのような型があったとしても桜ちゃんにはどうしたってそこからにじみ出てしまうユニークな正直さや素直さのようなものがたしかに存在しているように感じ、且つそれがとても魅力的だと思います。
まさに今回、方法や論理が書かれた本は自分が求めているものが明らかにわかられてしまう気がして恥ずかしいからそうじゃないものを、と紹介してくれた物語からも、桜ちゃんらしさの断片が垣間見えてしまうように。
桜ちゃんが放つ笑顔や、真剣そうな発言、作業をしていると思ったらふとしずかに眠っている姿に、私は確実に癒されています。
「カメリみたいになりたい」
いつものきらきらとした笑顔でそうまっすぐに言う桜ちゃん。
そのひとこと、その笑顔からぼんやりと象れるものだって、桜ちゃんにとっては恥じるに値するくらいのものなんじゃないかと思ったりします。
とはいえどうでしょう。
それもたしかに桜ちゃんにとっては自分を型の中にはめた上での表現にすぎない、のかもしれません。
人と関わる上で特に大切にしたいと思うことは、相手のことをわかったという気にならないということ、わかったように思ってもそれはその人の一部に過ぎないんだということをしっかりと認識していることだ、という桜ちゃん。
物語は、受け取り方がたくさんあるからこそ、自分が影響を受けた本として紹介する際にも恥ずかしさが少ないのかもしれない、と言います。
それでも、たとえそれが型であれど、どの型を選ぶかにも、結局はその人があらわれてしまいます。
そういうことを考えたとき、それが実際に型なのか型じゃないのかについての真実は、あってないようなものかもしれない、と思います。
カメリに限らず、ヒトの感情としてあるという「楽しい」などが、実際のところほんものかそうでないのかはわからないように。

先週の土曜日、イベント当日を一週間前に控え、会場の設営準備などもある程度佳境に入っていく中で1日作業をしていたTAKASHIMA BASEからの帰り道。
夜の湖西線で京都に向かっていく電車で、桜ちゃんと瀬川くんと私の3人で過ごす時間がありました。
先述したような、人と関わる上で自分が必要とする安心材料のようなものについての話をする中で私は「正直であること」をそのとき挙げました。
ほんとうに思っていることが別にありつつ無理して行われる発言や行動があるという前提に立っていると、どれがその人のほんとうの欲望のもとにあるものなのかが私にはわからず、目の前の言動を素直に受け取れなくなります。
そうすると、相手と同程度に気を遣わねばならないということを思っては自分自身も自由でのびのびした感じではいられなくなってどんどん萎縮し、何をしていいのかがわからなくなるのです。
だからこそ、気分が乗らなかったら乗らないでそれをそのままに伝えてもらったりしたほうがうれしい、そういう前提が共有できていると気楽にいられる、というような話をしました。
すると桜ちゃんが「でも私、みゆさんとの約束を今日しんどいのでやめますとはさすがに言えないです」と言いました。
それに対して私は、でも気を遣ってほんとのことじゃないことをしてもらうことになるほうが私はさみしいし悲しいから、桜ちゃんがほんとうにそう感じるときはぜひそのままに伝えてもらったらうれしいよ、ということを言いました。
一方で桜ちゃんの師匠、”ではなく”バディ(?)こと瀬川くんは
「ぼくは、今日行くのしんどいなと思いながら来てもらったとしても、きっと楽しい時間を過ごせるようにして、来てよかったと後で思える時間にするぞという気持ちがあるかな」と言いました。
たしかに、そういうふうにある程度のしがらみがあるということ、適度なプレッシャーやストレスがある中だからこそ、ひとりでいるだけでは発生し得ないストレッチのようなものがあるとも思います。
コミュニケーションをとりながらオープンに正直にいることは前提とした上で、必ずしもそれがそのままに通れば最終的にいちばん気持ちがいいのかというと、そうとは限りません。
これもある意味で、「型にはまるからこそ」辿りつける楽しさかもしません。
すこし年上と思われているだろう私と、桜ちゃん、という関係性の中に自然と生じがちな型。
壊すこともできるし、もちろん私の気持ち的にはごく対等、むしろ私こそ桜ちゃんのことを敬うべきだというような気持ちでいたりしますが、いずれにしてもその型が存在することによって生じるちょっとしたジャンプ、ホップのようなものも、素直で正直にいることと同じくらい尊いことかもしれません。
これは、他者と関わりながら生きるということの醍醐味であるとも言えるくらいのことでしょう。
さすがバディを持つ人たちはちがう、冗談まじりにそんなことを思ったりしました。
ほんとうのもの、そんなものはあるのかないのか。
他者との関わりの中においては、そのあいだに介在していくもの自体がほんものかどうかは、さして問題ではないのかもしれません。
それが物語であっても学術書であってもエッセイであっても、本という媒体がそこにあり、それが自分と世界や他者とのあいだでお互いにとってたしかなとっかかりのようなものとして存在しているということ。
そのくらいで十分なのでしょう。
そんな桜ちゃんが大切にしているという物語『カメリ』。
2人で話しているときに「私も読みたいなあ」というと、桜ちゃんには「読んでも感想とか言ってこないでくださいね」と言われました。
その後こっそり注文しました。
少し読んだだけでもう好きだと思いました。
…これ以上は、やっぱり自分の中にしまっておこうと思います。
同じひとつのものに触れていても、感じることはひとそれぞれ。
たかしまサーカスそのものも、きっとつくっている人おとずれる人、そのひとりひとりにとって全然異なるものであるはずです。
言葉で対話ができることの楽しさ有難さだってもちろんありつつも、一方で自分の中に生まれていることのアピールやその関係の必要性をたしかめることなくただそこに在るだけで関係が成立するというのは、場や時を共に過ごす経験ならではです。
ついに開催を明日に迫ったたかしまサーカス。
ここには”型”のようなものとして頼りにできる本もあります。
だからどうか安心して、ほんのわずかなひとときを、ぜひ共にする仲間になりましょう。
たかしまサーカス 開催概要
日時:2025年2月22日(土)10:00-18:00
会場:TAKASHIMA BASE
※JR新旭駅徒歩1分(JR京都駅から新快速で約45分)
参加費:無料 / 申込:不要
*トークイベントの参加のみ、チケットの購入が必要です