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どうろでうく【ヒッチハイク紀行vol.3】

前回のつづき。
その後もあたりまえに日々が溢れていて、記憶がかなり薄れてきたのでいそいで書く。いよいよ最終回。

vol.1はこちら ↓

vol.2

2台目の方からは緑茶をいただいたりして、いろいろお話ししていたら岡崎SAに到着。楽しかった。にこにこぺこぺこお礼をしながら車を出て、お互いに名前も知らないことに気付いた。暗い車内の私は後部座席に乗っていたので、ほとんど顔もしらない。最後挨拶するときに車から出てくれて、その時すこしだけ見たけれど。
さっきあんなにもじっくり話していた人なのに、車から離れてしまうと、もうすれ違っても気付かないだろうな。

トイレに行って、次の地点を決める。
ここから1時間半、とりあえず「草津まで」と書いてみる。20秒くらいでぱぱっと。
これまでのように、車が合流してSAから出ていく地点に立ってスケッチブックを持ち、快活な若者っぽい表情で前の座席に座る人たちを凝視するも、ここではついに2分くらい立っていても車が止まる気配がない。というかそもそも車の母数が少ない。立っていた場所もなんだか車通りはまばらで、寒い中ここでいても乗せてもらえることはなさそうと即座に判断し、駐車場のほうに戻る。

最悪ここで夜を明かす可能性もあるのかな、とか思いながら、まだまだ呑気に鼻歌なんて歌いながら歩き始めた30秒後、「おねえさん、ヒッチハイク?」と風呂桶を持ったお兄さんに声をかけられた。
その方は四国から来たトラックの運転手で、今からシャワーを浴びてくるけど、その後でよければのせれるよーとのこと。もちろん二つ返事で乗せてもらうことになり、トラックの前にあったベンチでぼーっとしながらその人の帰りを待つ。待ちながらトラックを2周くらい眺めた。

無事に合流し、トラックに乗せてもらう。
この方も2台目の方と同様、ヒッチハイカーを乗せるのは初めてらしい。
はじめにも書いたように、今回ヒッチハイクをやってみようとなったきっかけの1つは「オン・ザ・ロード」だった。
東京に向かう直前に読んでいたのはアメリカをヒッチハイクで横断し始めていた場面だったため、トラックを乗り継ぐようなものこそがヒッチハイクであるかのような感覚を持っていた私は、ここに来てそのイメージが実現された感じがしてわくわくした。

はじめてのトラックに言葉通りによじ登ると、座席はものすごい余白があって広く明るい空間で、これまでの2台の暗い密室での親しさとはまた別の、カラっと軽い親しみやすさがあった。

それにしてもトラックの視座というのは高い。
大阪に荷物を届けるのに甲子園まで乗せてくれたそのお兄さんの視野も、広くて高く、とても素敵な人だった。しかもこの方は25歳だった。
自分の好きなことについて、仲間について、仕事について、遊びについて、どれをとってもとても真剣で、常に模索の中にあり、それでいてその豊富な社会経験の中から自分なりの哲学をもって他者を包み込んでいる。なのに自分の求めるものを見失っていない。
これまでの人達が50代くらいだったり、日ごろかっこいいと思う大人でさえ若くとも30歳よりは年を重ねているという実感の中で、まだ私は23だから、としょうもない勘定をしてその焦りを沈めて安心しようとしている私というのが結局それによってどれほどのものを失っているだろうか、と思い、気が遠くなりそうだった。向き合っている人は何歳でだって向き合っているし、何歳でだって人を納得させるだけの経験や自分なりに確立したものを持っているんだ…とものすごくドストレートな落ち込み方をした。もちろん会話の中でそんな陰気なことばかりを発していたわけではなく、心の中でひっそりと。

大学の授業ももう特になく、人と話さずに過ごすこともできてしまう最近の私だが、そのお兄さんの生きてきたこれまでの話を聞いていると、人はどうしてたって人の中で生きているんだなあということを当然のように感じた。
そのようなことを、この孤独な空間で長い時間を過ごすトラックのドライバー席の隣に座りながら思うというのはなんだか奇妙なことだ。
その方は地元の友達や趣味から広がった全国の友達など、さまざまな人の関わりの中に生きている感じがして、且つそこに人生の楽しさを見出しているという感じがした。酸いも甘いも。
車を運転するのは好きじゃないし、人と話をするのが大好きなのに、今はトラックの運転手をしている。とはいえ車やバイクなど乗り物が好きで、若いころは楽しさゆえに恐怖心がまっさらに消えてしまうほど、労働して稼いだお金の大半がそれに消えていくほど、それらに乗っていたとのことなので、運転が好きじゃないというのも今思えば真に受けるものじゃないかもしれないが。まあ、安全運転はスリルがなく退屈だから好きじゃない、ということなのかな。
今度地元を離れて車に関する自営業を始めるらしい。これまでにも車を個人的に修理して売ったりして小遣い稼ぎをしていたとのこと。ほんとによく働きよく遊んでいる人だ、と思った。
これまで様々な仕事を転々としてきた、と言うが、単に継続力がないというようなことではなく、判断が早いんだな、と思った。その末に現在トラックの運転手をしているのは、給料がいいかららしい。お金は結局あったほうがいい、と。大人になると、やりたいことをやろうと思うといつでもお金がかかるから、とのことだが、とはいえこの人のおそろしいところはそういう世俗的な発言をしながらも、山菜取りや釣りや近くの廃墟めぐりなど、お金のかからない遊びもかなりしていることだ。
好きなことを仕事にできたらそれが一番よ、と言っていた。ほんとにそうだ。この本気度で自分の好きを持てる人というのは多くないだろうな、と思いつつ、でもその人の周りには似たような人が集まっている気がした。なにも自分に言い訳ができない。
ずっと仕事で誰ともしゃべらないから、こうやって喋れてとても楽しいと途中言ってくれたその一言にすがる。

この人は、”ツレ”という言葉が会話の要所要所にごく頻繁に出てくることが印象的だった。初めはパートナーのことを指しているのかと思っていたが、それにしては頻繁に、いたるところに”ツレ”が出てくる。気になって聞いてみると、友達、みたいなものらしい。でもまったく友達とイコールではない、というその”ツレ”という言葉を使う人の社会観というのは、”仲間”という言葉をよく使う人とも、”親友”という言葉を使う人とも違う気がした。
関係ないが、”同級生”という言葉をクラスや、せめて学校と学年が同じだった人だけに使う人と、同じ学年であれば誰に対してもその単語を用いる人との間にも、結構格段な違いがあるような気が常々している。それぞれの世界というのはそういうわずかなことからどんどんどんどん違っている。

その人が最近燻製を始めたという話をしているときに、渋柿の燻製がおいしいということを教えたら、とても喜んでいた。その前にその人が楽しいと言ってくれた言葉を支えになんとか一命をとりとめていた私だが、「やっぱり人と話すと自分が全然知らなかったことを知れるのが最高だよね」という言葉に、唯一くらいに提供できたその新規性のある情報に対する反応の良さの割に、私自身はもうその人に面白がってもらえるような新鮮な情報を提供できないという心境になりまたしずかに心の中で落ち込む。暗い人間だなほんとに自分は。
やっぱり人は情報を、あたらしいこと・面白いことを求めているんだろうな、と思う。だからこそ、自分なりの深い探求をもっと集中してやっていきたい。
とはいえこの人は基本的に、自然なジャッジメントをその人の中に発生させることはしない。なので別に気にする必要はないのだと思うけれど。
結局、楽しそうに生きている人になりたいなということだ。探求だって興味があって好きだからこそやっている人の話をこそ聞きたい。そういうポジティブなエネルギーで循環する生命活動を行っていくぞー。

高速道路に乗っているたくさんの人。それぞれの現在の肩書や、ぱっとわかることだけでは、その人が奥深くに持っている野望ややさしさや賢さは全くわからない。ましてやその人の未来なんて、これからどうにだって変化しうる。
何かの状況の価値を勝手に評価して、それを”下積み”のようにして無関係な者がないがしろにするなんてことは全くしたくないが、それでもやっぱり、私の今というのがほんと、とおい将来の私にとっての”時代”であってくれ、と願う。社会という視点から見た”時代”の中にいる膨大な数の人間のわずか1人、という文脈での”時代”ではなく。なにを言っているのかがわからない。これこそ今の自分の混沌だ。おそろしい。
楽しむことはほんとに良いが、これが私の人生や人格になってしまってはいけない。自分の人生の舵をとるだけではなく、運航を続けるためのエネルギーや知恵や技術ですら、自分で賄う、それを引き受けるべきときがまもなく来ているのかもしれない。

甲子園からは、阪神で三宮まで帰った。

<おしまい>




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