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旅・ベトナムカンボジアタイインド

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ホーチミン Day1

関空からホーチミンへ、朝7:30に関空に到着。 梅田から関空までのシャトルバスを超ぎりぎりセーフで乗り込み(というかほぼアウトだったけどなんとか止まってもらい)、この旅で何度も行うことになる平謝りの第1回を早くも為した。 こういう形で人に迷惑をかけることはあまり誇れることじゃないからちゃんとしよう、とほんと幾度となく思った。 いつも日本国内での旅はまずパソコンとカメラを持つから最小でもその重さがあるけれど、今回はそれらを置いていったので ものすごく軽い。 それにいつもはボ

ホーチミン Day2

街中の道路、バイクや車がなんの秩序もなく好き放題にとっちらかっていて当たり前に事故が起きそうでこわいけど、奇跡のように事故らない(目視)からまあいいのか、という気になる。 この人たちとは危険の概念が圧倒的に違いそう。 でも2日目にしてそんな様子にも結構慣れてきた。 1日目はひたすら一緒に渡る人を探してこっそりその人の後ろにぴたっとくっついて渡ってたが、今日は自分ひとりで道を切り拓けるような感覚。 なんとなく、メコン川のツアーに早朝から夕方まで参加した。 アジアからもヨー

ホーチミン Day3 〈旅の加害性と、つくることの可能性〉

知った上で、敵でも味方でも仲介者でもない立場にいることを選んだ人ができること 朝から、ベトナム戦争の博物館に行ってきた。 自分以外の自由のために自分を犠牲にして戦うってなんなんだ、と思った。 いよいよ、歴史の勉強をしたいと思った。圧倒的に自分は無知すぎる。 戦場カメラマンの作品を並べているブースが結構なボリュームであり、 特にこの人たちにとって写真を撮ることは、知ってしまったのだから、それをとにかく記録するしかない という、絶望と使命感の上にあるのかな、と思った。 と同

ホーチミンDay4→プノンペン Day1

ホーチミンのゲストハウスを出る時に、大船渡の「ハウルの船」という名前のつく建物にいたときによくピアノで弾いてた、ハウルの動く城のエンディング「世界の約束」がかかっていた。 なんか元気がでて、やさしい気持ちになった。 身体障害を持った人がくじをよく売ってる。ベトナム人が買ってるのを結構見る。ちなみに当たらないらしい。 ただの募金じゃなく、でも単純作業とかのみではなく、自分で自由に動けるスタイルでお金を得る術があるのはいいのかもなあ、とか思ったりした。 子供をつれた人がなにか

それでも「可愛い」という自分<インターセクショナリティへの実感> (プノンペンDay2→シェムリアップDay1)

プノンペンを朝に出て、シェムリアップにバンで移動 今回は少人数で、4人での移動だった。全員カンボジアの現地の人っぽくて、全く交流してくれる感じじゃなかった。 紙でふくんじゃなく水で洗うタイプのトイレ、何が正解かは最後までわからんかったけどだいぶ馴れた。 なんかトイレに関しても、いろんなバリエーションを体験する度に、自分がなんか強くなったような、自分の可能性を開拓しているような気分になるw 私やっぱり受容力というか、ものごとへの嫌悪感の抱かなさというか、適応能力は結構高い

シェムリアップDay2

オートリキシャ、風が入ってくる感じがとても気持ちよくて好き。 現地で拾っても、悪い人だけではない。 Uberでタクシー業をしている人たちは、英語がほとんど喋れない。 英語なしでも稼ぐことができるのはいいのかもしれないけど、言語やことばってのはこうしてなくなってくのかなと言う気もする。 でもまだまだ、英語というのは稼げる能力に直結するんだなあ、と感じる場面も多分にある。 シェムリアップはかなり観光地というか、リゾート感が強くて旅行客ばかりがいる。 アンコールワットもかなり外

シェムリアップ Day3→バンコクDay1

朝にシェムリアップからバンコクへのバス出発。 このバスも安いバスなのに、朝ごはん配ってくれたりして楽しい。 隣の席は、白髪で、全身白の服の、かみさまみたいなおじいちゃん。 私が全身黒っぽいグレーで、通路挟んだ隣のひとも全身黒で、そのとなりの窓際のひとは全身真っ白で、オセロやったらひっくり返される...と思った。 一人旅がだいすきというそのかみさまに、私が今回の一人旅で思ったいろんなもやもやとかを話してた。 ローカルを見ることについての葛藤とか、あいさつくらいの現地語学ぶ

蓮の花束 (バンコク Day2)

昨日の夜、話してたフランスの大学生に明日一緒に観光しよって言われてなんか断れずで、まさかの大学生6人の卒業旅行に同行することになった。 始まって即効、集団行動まじで無理だ、と思った。 私には協調性がほんとに微塵もない…。 悪い人たちじゃなかったけど、良くも悪くも大学生の卒業旅行✌ってノリで疲れてしまった。 色々スムーズにいかずにぐだぐだ移動する感じとか、何を見るのもやるのも全員の平均をとるからこそ、全てさらっとしかできないこととか。 そんな中でまず初めの目的地だったWat

バンコク Day3

タイのバスは運転手とは別に乗ってるおばちゃんにお金払うシステム。 すごいしっかりと、乗ってきた人をひとりひとり認識していて近くまで来てくれる。 インド入国のためのPCRをしに行ったら1分くらいで終わった。すごい。 そのあと、女性カップルが2人でやってるという就労支援的なカフェでわりと人気のあるとこがあるらしい、というのを聞いて、ちょっと足をのばして行ったけど、工事中で閉まってた。 水上バス?つまり船?に乗ってみた。これもバスと同じシステム。 振動えぐい。卵は割れるレベル。

阿片窟の猫たち〈ペットショップから考える、自由と自立と幸福〉(バンコク Day4→チェンナイ Day1)

客引きじゃない、ただピュアに笑ってくれたり教えてくれたりする人もちゃんとたーーーーくさんいる。 中国人街、にこにこしてる人がとても少なかったけど、こっちがにこってしたら堅物そうなおじさんおばさんとかも普通ににこってしてくれる。 強いて分類するとしたら、 中国っぽいひとびとの笑顔は、 琥珀糖食べるときみたいな感覚。基本的にもともとは笑顔0%って感じだけど、にこってしてくれたらその明確な一瞬がとてもうれしいしきゅんとする。 タイのひとびとの笑顔は、 グミたべたときみたいな感

チェンナイ Day2→オーロヴィルDay1

昨日現金が足りなくて泣きながらホテルのチェックインしてて(明日ATMでひきだして来ると言うのでいいよとなって寝た)、オーナーみたいな兄さんは大丈夫だから泣かないで、笑って、というのをずっと言われてて、 今日もずっとソーリーソーリーダンニャワードって多分超不安そうに言ってたらまた、泣かないで笑って、と言われた。 やさしい。 とりあえず、ATMにお金をおろしに朝出かけた。 インド人にも笑顔はあまり多くない。 でもこわい人たちなわけじゃない。 にこってするとしっかり笑顔を返して

オーロヴィル Day2

朝からヨガのクラスに参加した。 ゲストハウスの部屋の人達の中に起きている人はいなかったけど、オーロヴィル内には朝早くから動いている人たちが結構いた。 オーロヴィルの人々はヨガのように生きることを目指してる(ヨガの実践として生活をしている)みたいなことを言っていた気がするが、そのときそのときで何かしらの行動に集中する、ってことなんだと思う。 思考をやめて目の前の行動に集中するって、なんか軽率な生き方につながってしまいそうで、それが嫌だからこそ思考し始めるのでは、とも感じられ

船乗りの精神<望みの先にある故の、紛れなく愛しき世界> (オーロヴィル Day3)

朝からMatri Mandir という、オーロヴィルの精神的象徴?とされている場所に歩いて行った。 黄金の吸盤ボールみたいなの。 中に入るには予約が必要だけど、フォームに登録したのがうまく送信されていなかったのか、中には入れなかった。 昨日一緒にいてドライバーしてくれてたインド人が、 もともとは研究に関心があったが、その関心や欲望というのはおそらく自分の人生や生きる上でのいろんな課題についての探求であった。だから、それが一旦終わったからもう別に研究に興味はない、 と言って

オーロヴィル Day4 → チェンナイ

オーロヴィル最終日。 このゲストハウスそれなりに頑張ったな私。ここで過ごす、ということを。また何か、新たなサバイバルスキルを得たようなきもち。 ここではコミュニケーションとかものすごくとったわけではないけど。 そのときの自分のテンションに従う(話したいと別に思ってないから話さない、とか)というのとここではテンションが伴わなくてもちょっとの気合をいれてやるべき、というののバランスみたいなものって難しい、と思う。 果敢さやユニークさで目立とうなんてのはもうやめたほうがいい。