元不登校児が育てた「学校大好きっ子」
自己肯定感の高すぎる子供たち
私には娘と息子がいます。
娘は「生まれ変わってもマイナス面も含めて自分自身に生まれ変わりたい」という超自己肯定感の高い人。
息子は0歳から15歳までほぼ3年おきに「なんですか、その病気?」という診断を次から次へと受けて入院や手術を繰り返しており、頭蓋骨を開ける手術も含めて全身どこかに病歴がある人。
でも2人ともたまには「学校行きたくない」日はあっても
「不登校」になることはないまま大学生になっています。
筋金入りの不登校児
私のこと、少し書きます。
私は子供の頃から病気というより体質?気質?で
環境も含め様々な「生きづらい」を抱えた子でした。
母曰く、名前が『賢い子には育つけど病気がちの子になる』画数だとか。
でも、自分の勉強嫌いを後悔していた母と
自分のことは棚に上げて賢い子が欲しかった父は
「母が看護師だし、病気は何とでもなるだろう」と
響きがきれいで少し珍しい漢字の名前に決めたんだそうです。
小学生になった時にその話をしながら
「風邪ひきやすいとかならなんとでもできるし、大きい病気でも病院の伝手はたくさんある(伯母も大きい病院で看護師していたので)し大丈夫と思ったけど、あんたみたいなのは何ともならんかったね‥‥」と。
そんなわけで単純に体調が悪い時もあれば、それを理解してもらえずにある種二次障害になってしまっていた私はとにかく学校に行きたがりませんでした。
そもそも学校の勉強は教科書読んでたらある程度理解できたし、わざわざ学校に行って好きでもない話を面白そうに聞いたり、どうでもいい事に気を使って神経すり減らすのが無駄だと思ってて。
今考えると「周りに馴染めない自分」が嫌だったのかなとも思いますが…。
当時は父の選民思想を色濃く受けて「あなたたちとは違うの」とか思っていたのかもしれません。
でも、その選民思想も後々気づくことになりますが大した選民でもないやつなんだけど。
そんなこんなで幼稚園から中学まで、基本登校拒否児でした。
中学生で親の都合(親戚の保証人になって、破産されて家取られて)で引越した後、ますます拍車がかかって中学後半は学校に行った日の方が少なかったと思います。
それまで支えにしていたものをすべて失って、なんの目的も持てなくなって。
地元の超進学校を目指してたはずの私は一気に人生ルート変更する羽目になりました。
それでも小さい時の貯蓄的成績でなんとか普通の進学校には進学。
その時も父と中学担任のバトルに挟まれてかなり嫌な思いをしての進学でした。
そこで私は「人生をデザインする」必要性に気づきました。
高校1年間は人生で唯一皆勤し、高校2年の時には学校巻き込んで公認でひとり暮しを始めました。
学校からは「卒業することが条件」と言われたのでバイト詰め込んで生計維持しながら卒業するのは結構大変でしたが‥‥。
実際、夢も希望も持てなくなったし、どこに進んでいいのかわからなくなった時期でもありました。
でも、この経験がのちの育児に活きたんです。
子供が不登校になる理由
さてここからが本題。(長い前置きでしたね…)
お子さんが不登校になる理由は何でしょう?
①めんどくさい(コスパ悪いと思ってる)
②学校に行く意味や目的がない
③自分の居場所と感じられない
④勉強についていけない
⑤先生・友達とうまくいかない(いじめ等含む)
‥‥まぁ、色々なケースがあると思います。
④は学習障害なども含まれるので慎重に理由を探る必要があります。
⑤は①~④がこじれた結果だと思ってます。
なので①~④の間に手を打てれば皆勤するとまでいかなくても
不登校にはならないのでは…と思ってます。
(もちろん、例外もあると思います)
この①~④に関して私なりに出してきた答えを書いていきますね。
①めんどくさい(コスパ悪い)
これは最近すごく増えてきてる気がします。
私が子供の頃は学校に行かない=人生捨てるに近いものがありましたが
今は多様性も叫ばれるようになり、様々な選択肢があります。
わざわざめんどくさい人付き合いしながら朝早起きして登校しなくても
オンラインで授業できちゃったり、学校に行かなくてもネットなどで手軽に学べることもたくさんあります。
そうなると「わざわざめんどくさい思いをして学校に行かなくても…」という選択肢も出てくるのではないでしょうか?
もちろん、「無理して学校に行くのが正しい」とは思っていません。
でも、「努力しなくてもいい」に流れやすい理由になるのも事実ではないでしょうか?
選択肢のひとつとして様々な学び方や進路があるのはすごくいいことだと思います。空いた時間を得意を伸ばす時間に充てるとかそういう使い方もあると思います。
でも幼い頃から「楽に生きる」だけの選択肢で進んでしまうとその後の長い人生に不安が残ると思います。
例えば「毎日学校に通わない」を選んだのであれば、その通学しない分浮いた時間をどう有効に使うかにその後の違いが出てくると思います。
自由と責任はセットで。
「みんなと同じように通学しなかった」のが悪いのではなく、「通学しなかったことをどう活かして、もし失敗した時にどう自分で責任を取る覚悟を持てるか」が大切なんじゃないでしょうか?
②学校に行く意味や目的がない
これは大人でも想像しやすいですよね。
仕事や家事にやりがいを感じていなかったらやる気も起きませんよね?
「何の為に好きでもないことを勉強をしなきゃいけないのか」
「どうしてスポーツ選手になるわけでもないのにこんなにスポーツやらされるのか」
「興味のない事を勉強して成績つけられて自己肯定感下がるだけじゃん」
「ただ近所に住んでる人と同じ場所に毎日通ってるだけなのに、なんでこんな小さなコミュニティで空気読んで気を遣わなきゃいけないの?」
「競いたくもない事で競わされて優劣つけられるのが苦痛」
「『これからは必要だから』と外国語やダンスやプログラミングなどカリキュラムはどんどん増えていくけどほんとにそれ、必要?」
これ、ざっと思いついた子供たちの状況。
時間かけたらどれだけでも不満の種は出てきそうです。
これ、大人の自分の立場に置き換えてください。
逃げ出したくなりませんか?
まだ大人はいいです。最悪自分で環境変えられます。
でも子供たちは「親の承認と許可」がないと逃げ出すこともできません。
なおかつ子供たちは今いる場所まででの経験しか知りません。
「あと数年したら環境は変わるから」なんて大人は通ってきた道だから理解できます。
でも、子供にとってはドラマや映画の中と同じくらい現実味のない話なんです。
③自分の居場所と感じられない
これは大人でももっとリアルに心当たりありませんか?
職場やご近所コミュニティなど自分が所属する場所に100%満足していますか?
多分この問いに迷いなく「YES」と答えられる人は少ないと思います。
人は揺れ動き、変容し続け、成長し続ける生き物。
長く生きてきたからこそ「そういうもんだよね」となんとなく受け止められるようになり、「隣の芝生は青く見えるもの」という知識はありつつもSNSや普段の会話から他人と比較して落ち込んだりしませんか?
まだ人生経験が浅いお子さんが「そういうものよね」って悟ってしまっていたらそれはそれで逆に心配だと思います。
逆に言えば「目に見えるものだけが全部じゃない」「自分も周りも変わり続けるもの」が分からないからお子さんが悩むのは当然だと思いませんか?
この①~③を自分の子供時代にたくさん経験してきたからこそ。
自分が子育てする時にはその答えのヒントになりそうなことを我が子たちには伝え続けてきました。
もちろん、答えはひとつではありません。
私自身、まだ人生という旅の途中なのでその答えが正解かどうかはわかりません。
でも今のところうまくいってる様子なので大枠では間違った方向ではないのかなと思ってます。
そんな①~③に対する私が子供に提示してきたヒントを紹介していきます。
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