興味が無い
最近気まぐれという言葉をよく使う気がする。
気まぐれという言葉。
なんとなくという言葉。
それ自体がなにかの理由になってしまって、
これを使う人というのは主に2種類いると思っている。
1、本当に気分で決めた人
2、ただの言い訳
私はどちらの割合が多いとか、分からないけれど、
なんとなくという気持ちが分からない私には2しか残らない。
今までもこれからも、
1の意味でその言葉たちを使うことは無いだろう。
私が言う「気まぐれ」は気まぐれじゃない。
そして、私はこの記事でそんな事だけを伝えたいのではなく、
1度私が言ってきた気まぐれを疑って欲しいということだ。
必ず、意図がある。
普通に使えればいいものを、
わざわざ気まぐれなんて言葉を使って仄めかしたり、匂わせることをする、この意図を。
ここでは今、私に関わる人全てを対象に話している。
そのヒントになるか分からないが、ここで私の考えを記す。
私は、何事においてもその事象になにか意味があると考えている。
俗に言う、「偶然は存在しない」という言い方だ。
そして、私が上記に書いた思想の持ち主であるからこそ思うことだが、人がとる行動にはなにかしらの意図がある。
つまり、人に意図があることを認知した上で、行動してる。
勿論当たり前のことである。
さて、私の帰路が終わろうとしてる。
ここら辺で話に区切りを付けたい。
人の中に根付く感情は、どんな人もある程度一貫している。
だから、やっぱり扱いにくい人なんて居ない。
私はそれを思って過ごしている。
人は、自分が思っているより見てなくて、
思っているより見ている