◆町家の声がきこえる・1
◆町家の声がきこえる・1
~はじめに~
消えゆく運命だったこの京町家が命をつないで19年目の秋。
想像もつかなかった激しい波にもまれながら過ごした日々を、今、静かに思い返しています。
悲喜こもごもの出来事、かけがえのない出会い、温かい方々の笑顔。
自分の命があるうちに、どうしても伝えたいことがあります。
2006年から1年余りの間、私はこの京町家を残すための格闘をメルマガで生中継していました。
その時の思いに立ち戻りながら、改めて19年の軌跡をまとめ直してここに連載したいと思っています。
どうぞお付き合いください。
~りろ~
※内容はほぼノンフィクションですが、個人情報保護およびプライバシー問題の観点から登場人物の肩書きや名前は仮のものです。また物語として多少の演出や事実との相違は存在します。
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◆町家の声がきこえる・1
第一章・町家を殺さないで
「やめて……お願い……やめてーっ!」
唸りをあげる巨大なショベルカーにすがりついた。
操縦席の男性はこわばった顔をピクリとも動かさず、黒光りする太い柱に向けて鋼鉄の腕を振り下ろす。
ガギッ グガッ ガガガガガガ ガシャッ グシャーーー
あっけなく崩れる土壁が黄土色の砂ぼこりを巻き上げる。
よどんだ煙の向こうに一人の青ざめた老人が佇んでいた。
何も言わず、まばたきもせず、破片と化した土壁の山にじっと目をやっている。
……おじいちゃん!?
「おじいちゃんっ! ごめんな……ごめんな……家が……家が……」
泣き崩れた私の眼前に、十数年前にこの世を去ったおじいちゃんの足元があった。
すがりつこうとした途端、両手がスルリとおじいちゃんを通り過ぎた。
その足は青く透きとおり、指先から徐々に姿をなくしていった。
崩れゆく家とともに、音もなく私から遠ざかっていく。
待って……行かんといて……
「おじいちゃん、待って!」
ハッとして飛び起きた。
「夢、か……」
起き上がって階段を下り、出窓から朝陽がさし込む明るいキッチンに立つ。
私が学生の頃にショールームを回って選び抜き、両親が設置してくれた真っ白なシステムキッチン。
我が自宅は数回のリフォームでじつに暮らしやすく整っていた。
すべての部屋が冷暖房完備で電気製品も充実し、何の不満もなく日々を過ごしている。
近所の人気ベーカリーで買っておいたデニッシュをオーブントースターに入れて、テーブルにつく。
ハァ……
私は迷っていた。
祖父が亡くなって以来、祖母が一人で暮らしてきた築80年の京町家が、今まさに存続の危機を迎えている。
ここから自転車で30分もこげば行ける、大好きなおじいちゃんとおばあちゃんの家だ。
90歳を迎えた祖母が家を離れることになり、空き家になったばかりのあの町家はすでに処分が決まっていた。
だいたい祖父母の家が「京町家」と呼ばれる建物だと気付いたのさえ、たった数年前のこと。
ちまたで「京町家カフェ」が噂になり始めた頃、その間取り図を雑誌で目にして驚いた。
祖父母の家と全く同じではないか。
私の第二の自宅と言ってもいいほど、幼い頃からずっと通い続けたあの古い家。
「あれって京町家なんか」
当時の人々の認識はこんなものだった。
何をもって「京町家」と呼ぶのかさえ誰も知らなかったし、「京町家を残す」なんて考えている人などごく一部の専門家か関係者ぐらいのもの。
古すぎて普通には住めないし、売るなら更地にしないと買い手がつかない。
そう考えるのが当然だった。
けれど私はどういうわけか、あの家に不思議なほど愛着を持っていた。
京都ならではの「うなぎの寝床」。
玄関は狭いが、奥行きは25メートルプールより長い。
夏も冬も関係なく、玄関から裏庭までヒューッと風が通り抜ける。
そのたびにガラス戸や障子がガタガタと音を立てるし、歩けば床がミシミシと鳴る。
気密性の高い我が家とはまるで違うあの家が、私はなぜか好きだった。
サクサクのデニッシュを熱いコーヒーで流し込み、そそくさとジーンズに着替える。
「とりあえず行ってみよう」
化粧もそこそこに自転車にまたがり、強い陽射しに立ち向かうようにペダルを踏みこんだ。
*
京都御所にほど近い、市街地の真っ只中。
それでも大通りから一本奥へ入っただけで街の喧騒が和らぐ。
合鍵で引き戸を開け、薄暗い通り庭を進んで畳に上がった。
祖母の「待ってたえ、はよ入りよし」といういつもの声はもう聞こえない。
居間は祖母が暮らしていたままの姿で時間が止まっていた。
まるでちょっとそこまで買いものに出かけたかのように、生活の跡がそのまま残されている。
80年のうちに歪んだ襖をなんとか半分だけ開けて奥座敷を覗くと、
どこから入り込んだのか、見たことない黒ネコがこっちを向いてニャーと甘えた。
「留守番してくれてたんか?」
黒ネコはもう一度ニャーと言い残して台所の床下へ走っていった。
主を失った家はにわかに音を無くし、ひっそりと寂しそうに息を潜めた。
生まれた時からずっとここにあった、ごく普通の家。
大富豪の大きなお屋敷でもなければ、特に変わったところもない。
ただ古いだけの庶民の家だ。
まあまあ広さもあるし、壊して建て替えれば快適な住まいに生まれ変わるだろう。
場所もそんなに悪くはない。
売りに出せば不動産屋がある程度の値段で買ってくれるだろうし、祖母の介護費用の足しにできる。
現代のように京町家に価値を認めて買ってくれる人がいるなんて、当時ではおよそ考えられなかった。
「更地になるんやろなぁ」
黒光りする床柱を手のひらで撫でると、急に祖父の口笛が脳裏によみがえった。
この部屋で眠るのが好きだった小学生の頃、いつも祖父の口笛で目が覚めた。
竹ぼうきで庭を掃く清々しい音がリズムを刻み、それはちょっとした合奏曲のように心地よく私の耳をうるおした。
無口な祖父の心のメロディは楽しい一日の始まりを教えてくれた。
「この柱もよう磨いたはったなぁ。まだ丈夫そうに見えるけどな……」
傍観しておけばたぶん、この先ずっと平穏に生きられる。
そのほうが関係者みな幸せなのかもしれない。私自身も。
けれども、どうしても心の隅で叫ぶ声を抑えられないのだ。
壊していいのか。
消してしまっていいのか。
本当にこの町家がなくなってしまってもいいのか。
その選択でいいのか。
以前、叔父がこの家をリフォーム会社に見せたことがあると言っていた言葉を思い出す。
「快適に住めるようにするには最低でも5000万円は必要でしょうね」
5000万円か……。
フリーランスのライターを生業としている私にとっては、夜空の星をつかむような話しだ。
しかも改修費用だけの問題ではない。
あくまでもこの家は祖父母のものであり、私のものではない。
私の勝手にできるはずもない。
やはり無理なのだろうか。
私がどうにかできる事ではないのだろうか。
このまま黙って、いつかショベルカーで解体されてゆく運命を見届けるしかないのか。
ガギッ グガッ ガガガガガガ ガシャッ グシャーーー
夢の映像がよみがえる。
操縦席のあの男性は、こわばった顔のあの男性は、
あれは私だ。
何もできないのなら、自らの手で家を壊すのと同じなのではないのか。
私がこの家を殺すのか。
寂しく息を潜めたままひっそり佇むこの京町家を、私の手で殺すのか。
「そんなこと……やっぱりできひん」
奥座敷の雪見障子を開け、庭のガラス戸を開けて深呼吸した。
私には傍観できない理由があるのだ。
どうしても。
いつのまにやら庭に回ってきたさっきの黒ネコが振り返って私を見た。
「私に何ができると思う? なぁニャンコちゃん」
私の戸惑いを知ってか知らずか、黒ネコはもうひとつニャーと鳴いて離れの廊下の向こうへ姿を消した。
庭には祖母がかわいがっていた底紅のムクゲが忘れ物のようにただ一輪、風に揺れていた。
2005年、36歳の夏だった。
つづく
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