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この4年間変わらなかったこと

自分の頭で考えるって楽しいやん

高校の恩師が言っていた。

「教育はあらゆる社会問題を解決できる。小さい頃から薬物は自分も他人もめちゃくちゃにしてしまうから絶対にダメだよと教えられたら、大人になってもしないでしょ。それと一緒で、環境問題にしても他の社会問題にしてもこういう理由でこういうことするのは良くない、むしろこういうことした方がいいって教えられたらそれが当たり前の世代が社会に出ていく。そしたらその考え方をする人たちが社会を作っていくから自ずと良い方向に変わっていくよな。」

数学の先生なのに小論文やディスカッションの教え方がすこぶる上手くて、知識も豊富。生徒をいじることで笑いをとって盛り上げることにも長けていた。勿論数学の教え方もめちゃくちゃ上手い。

私はこの先生のもとで推薦入試の対策をするのが楽しかった。普段の授業は教科書に書いてあることをなぞり、一体何に使うんだと思うものばかりだったが、入試対策の中で社会問題に触れ、意見を持ち、他者と議論し、反論されてぐうの音も出なくなるのは非常に新鮮だった。社会に関心を持ち自分も何かを思うことを許された感覚だった。そんな考え方もあるのか!など、「視野が広がる」ことを実感できた。

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意外と高校生らしいことしてたし、体操服はダサい

教育への懐疑

大学入学後はそのような授業が多かった。アクティブラーニングってやつ。グループで話し合って意見をかためて発表する。私にとってはどれも楽しかったけど、周りはそんなことなかったみたいだ。
「あの授業グループワーク多いらしいよ」
「発表させられたりもするし、この授業とるのやめとこうかな」
「意見だせなんて言われてもそんなの思いつかない」
ここで圧倒的多数はアクティブラーニング反対派だということに気がついた。

そして、恩師の言葉にあった「教育」が私の中で大きくなる。

「え?皆楽しくないの?自分で考えたり、他の人からの別角度の意見になるほど~って思ったりするの楽しくない!?こんなに楽しいのにもったいない!というか同じテンションで話せる仲間がいないの寂しい!!」

18歳の私、動揺。そして気づく。

「あれ?皆が受け身なのって今までの教育のせい?ずーっと○か×かの世界にいたから?正解不正解がはっきりして、自分の意見なんかいらない世界で生きてきたから?」

「いや、それはだめでしょ。社会人になってから『あ、自分の意見ないッス』って言うの?社会こそ正解のない場所でしょ。そもそも大学で『自分でテーマ考えて仮説立てて方法の検討をして実践してまとめてね。それが研究だから』なんていきなり言われる時点でおかしくない?そんな練習してきてないっつーの。そりゃ皆、できないです~うえ~ん(泣)ってなるわ。」

そんな気づきは信念に変わった。

「もっと幼い頃から「自分の頭で考える」経験を積むべきだ。そして自分の意見を否定されたらどうしようなんてつまらない日本人らしさもどうにかすべき。意見を互いに認め合うことで議論はより活発になる。もっと発言の機会を多くすべきだし、それを認め合う空気感を作るべきだ。何より実社会について自分なりに何かを考えることは必要だ。自分たちの生活に紐づけられないまま“お勉強”をした若者は答えのあるものに効率よく辿り着けたとしても、身近な生活には無関心で、社会のことナニモワカリマセン状態だ。そんな若者が社会に解き放たれる。終わるんかこの国は。」

こんな言い方ではなかったにしろ、大学入学早々、教育への志に火がついた。

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子どもたち向けの「考える」を大事にした工作ワークショップ
初めて企画をイチから作った

18年経ってやっと気づいた

私の通う大学は地域密着型の大学で、鹿児島についての授業がかなり多い。
生まれも育ちも鹿児島の、生粋の鹿児島県民なのに、講義では知らないことばかりが取り上げられていた。
鹿児島って面白いじゃん
地元への興味が初めて湧き、私は大学の外へ繰り出した。

それと同時に、いつぞや入試対策で扱った社会課題が蘇ってきた。

「地方の若者流出と首都圏への一極集中」

今でこそコロナで首都圏にいる意味はないことが明らかになってきたが、2018年にそんな考えは一般的ではなかった。地方の若者は漠然と都会に憧れを持ち、地元を振り返ることなく出て行ってしまう。かくいう私も幼い頃は都会に羨望の眼差しを向けていた。
けれど、意外にも鹿児島には魅力的な資源や文化、面白い人がたくさんいて、私はその魅力に気づいていないだけだった。鹿児島を想い、鹿児島で生きる人としてまちを面白くしていこう、そしてそれを楽しもうとする大人や学生がたくさんいた。
考えることの楽しさに気づいた後は、まちづくりの面白さにも夢中になった。

そうして「この面白さに、より多くの地域の人たちが気づけば、もっとまち全体が盛り上がるではないか。小さい頃からこの面白さの中で育てば、もっと多くの人が鹿児島を好きになってくれるんじゃないか。」と、地域への志にも火がついた。

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原点は、やっぱりのきさき市

こうして「教育×地域」は生まれた

2年生になってからは「教育×地域」が大きなキーワードになった。

地域をフィールドにした学び場を作り、まちづくりをしたい
幼い頃からまちの課題を自分の頭で考えることで、生きる上で必要なスキルを高める。まちのために考え動くことでまちがより良い方向へ変化する。その学びの中でまちおもい・まちづくりの面白さを知り、それがまた原動力となる。そうすれば人も育ち、地域も発展する。子どもが動けば大人も変わる。

何より、そんな仲間が欲しかった。
大学では講義スタイルに苦い顔をする学生が多く、まちづくりの活動に参加しては「すごいね」や「意識高い系」の一言で片付けられる。
もっと本質的な学びを楽しみたいし、楽しいからやってるだけですごいことは何もしていない。もっと「これって楽しいよね」と共感できる仲間が欲しかった。
だから今でも「考えることを楽しむ人を増やしたい」とか「まちを想い、行動する人を増やしたい」という言葉はしっくりこないし、使わない。
ただ「仲間を作りたい」だけなのだ。

この想いだけは、この4年間ずっと変わっていない。

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