激情
最近、たぶんもっと昔から
私をこんな目に合わせたやつら全員私の手で56したい
だってそうでしょ?
夫婦喧嘩を目の前で見せつけられて
怒鳴り合う両親
物が倒れる、投げ倒される大きな音
家の駐車場へ直接出られる窓から外に出ようとする父親
それを止めようとさらに大声を出す母親
止まらない怒声
自室にいても聞こえてくる
二度と忘れないあの日
家族で外出から帰った
自室に荷物を置いて、アニメを見ようとリビングにおりた
そして、私の目の前に映った光景
さっき書いたような激しい夫婦喧嘩
驚きと恐怖で自室に引き返すことも出来ず、階段に座ってその光景から目が離せなかった
数年後、ついに父親は家を出て行って
新しい奥さん、新しい子供、念願のペット
新しい家族と一緒に暮らし始めた
詳しいことは知らないけど、たぶん離婚はしていない
だって、名前変わってないし
その他の手続きもしてないから
小学校高学年の時から崩れ始めた家庭環境
確か、中学校の入学式と卒業式は来てくれたと思う
そして、高校生の頃
入学式も卒業式も来てはくれなかった
でも、唯一覚えている
私が高校の部活で軽音楽部に入った
ギターをやりたくて、新品のエレキギターを母親、父親、私の3人で買いに出かけたこと
その時は私はその瞬間を楽しんでいた
お昼ご飯も外食で
家に帰ってからも父親と仲良く会話していたのを覚えている
「あほがギターやるなら、俺もやりたいな」
「えーwwパパギターできるのww」
「あほの影響でパパギターやるかもよ笑」
そんな感じの会話をした
でも、いつからかそんな記憶も夢幻か
家に帰ってこない父親
目に見えてしんどそうな母親
兄は自分で父親に連絡をとって、自らの口で絶縁を言い渡していたらしい
パパっ子だった私はそんなことは出来ずに、未だにもしかしたらパパの記憶の片隅にでも自分の存在があるかもしれない
なんて、都合のいい夢を見ている
たまたまインスタのおすすめに流れてきた父親のアカウント
開いてみたら、新しい家族との仲良さげな写真
元々好きだと言っていた釣りをやっている男性とのツーショット
パパの好きなアニメキャラクターの名前のパグ
写真越しからでもわかる楽しそうに生きる父親の姿
その時、完全に理解した
あぁ、もうあの人の記憶のどこを探しても私の姿は無いんだって
絶望したあの日
家庭環境だけじゃない
学校生活
中一から自傷行為をしていた
それが悪いことだとは知らずに、傷を隠さずに過ごしていた
私の自傷痕を見て
「先生!!影宮さんがリスカしてまーす!」
大声で急にそう言った女子
一応、切る度に保健室で手当はしてもらってた
でも、それだけ
他の福祉や病院に繋げてはくれなかった
そんな提案すらされなかった
もし、もし、あの時
自傷行為を始めたタイミングですぐにメンクリやスクールカウンセラーとかに繋げてくれていたら、今とは違う未来があったんじゃないかって思う
私をイライラのはけ口に好き勝手殴ってきた女子
自傷行為をバカにするクラスメイトや兄
全てが最悪だった
そして、専門学生の頃
お金も行動力も昔よりもある
だから、本気で4ねるかもしれない
何回も首を吊った
何回も手首を切って血溜まりを作った
何回もODをしてたくさん吐いた
20歳になってから通いだしたメンタルクリニック
数回の診察で「今の状態だとうちではもう診れない。だから、夜間もやってる病院か入院設備のある病院に転院するしかない」
そう言われて、精神科病院に転院した
そこで1年ちょっと通った
そこでは、数日間の入院もした
だけど、診断も薬の出し方もめちゃくちゃだったらしい
そもそもで誤診だったと
何度聞いても病名を教えてはくれなかった
そして、2回目の入院を提案された
でも、そこの病院ではベッドの空きが無かったらしくて、近くにある精神科病院に転院することになった
1番最初の電話での簡単な診察
その場ですぐに「双極性障害」だと診断された
そして、1ヶ月半の入院
障害年金、障害者手帳、ヘルプマーク、就労継続支援B型
周りの環境、人間たちのせいで私は壊れてしまった
ずっと精神障害者として生きていく
それなのに、私をこんな目にしたやつらは今でものうのうと生きている
なんで、私だけがこんな目に
許さない、許せない
絶対に私、ぼくの手で56してやる
そして、ぼくもその場で4んでやる