親の介護は突然にー 3話 知識じゃないのよ介助は ー
時はコロナ禍真っ最中。
入院した母へ面会も行けず、私に接触したことで父もデイサービスに行けなくなってしまいました。
当初は二週間デイに行けないことぐらいと軽く考えていたのですが、季節は夏。
食事と他人との会話はどうとでもなるとして、デイで入浴をさせてもらっていた父にとって、夏場に風呂へ入れないのは、本人はもちろん、一緒にいる私と妹にとっても、深刻な事態であることに気がつきました。
とはいえ、まだ家がとんでもない状態になり一週間程度のこと。我が家にとって最大の推しであるケアマネさんが働きかけ、訪看さんが来訪し父の体を拭いてくれることに。
しかし夏の不快感は残念ながらそれだけでは拭いされないようで、風呂に入れて欲しいと父から頼まれました。
当たり前だ!!! と初期知識で語るルフィのごとく頼もしさで父にタオルでも
かぶせてあげられれば良かったのですが、○十年生きてきて、大人を風呂へ入れるという経験は初めて。
湯船には浸からなくていいからとのことでしたが、何をどうすればいいのか、皆目見当もつかない。
母がやっていたようにやってくれればいいからと言われても、母がそもそも家で父を風呂に入れてあげていたことさえ初耳でした。
大体、元医療従事者の母とは知識も経験も違います。
そもそも父がどうして片麻痺になってしまったのかすら、詳しく知ろうともしなかった自分です。介護とはなんぞやと、改めて辞書すらひきたくなるほど不勉強で、遠距離なのを理由に、父の介護をどれほど母に任せっきりにしていたのかと反省しました。
とはいえ、戻らない日々を嘆いても仕方がないので、父の入浴介助に初挑戦することに。
父から母のやり方を聞きながら準備開始。
おそらく邪魔だからという理由で車庫へ置かれていたシャワーチェアを、浴室の洗い場と脱衣所の境目ギリギリに置きます。
さらにタオルや着替えなどを言われた通り準備し、脱衣所にダイニング用の椅子を持ってきてシャワーチェアと並べて置いたら一応の準備完了。
自室で下着だけになった父に脱衣所まで来てもらい、ダイニングチェアにまずは腰掛け、下着を脱いでもらいます。
そこから父の掛け声を合図に、脱衣所にある手すりをつかんだ父を支えてシャワーチェアへ移動。
しかしまだシャワーチェアは脱衣所に片足を突っ込んだような状態です。
介護素人の私でも、このままシャワーができるとは思えない。
再度父の合図で椅子を浴室側へと引っ張り、父は浴室内の手すりを持って立ち上がり、少しだけ移動した椅子へ座る。これを何度か繰り返し、微調整しなんとか父を浴室に入れ、一旦ドアを閉める。
この後はシャワーをかけてあげ、自分で洗えるところは父が動く片手を使って洗い、背中などは私が洗う。
文章にするとニ行程度の工程ですが、これがまぁやりづらい。
実家の風呂は数年前にリフォーム済みで、そこまで狭い訳ではないけれど、手すりの関係でシャワーから一番遠い場所に父はいるわけで、ホース部分が非常に邪魔くさく、シャワー下に置かれたボディーソープなどもいちいち大きく手を伸ばして取らなければならない。
ボディーソープなどは予め取りやすい位置に移動させておけばいいのだけれど、シャワーだけはどうしようもなく、蛇口を捻るのもいちいち後ろを向いて手を伸ばすか数歩歩いて行うため、少し煩わしく感じました。
たとえ夏でも、湯船に浸かるならともかく、シャワーだけで済ませるなら、できるだけ手早く服を着せる段階へ進みたいのに、自分の手順があまりにもお粗末。
些細な不自由がとても無駄に思えてきます。
それでもなんとか父の頭と体から泡を全て流し終え、体を自分で拭いてもらっている間に再び椅子の準備。
入る時とは逆の手順で父親を脱衣所にまで戻し、着替えを終え、ドライヤーで髪を乾かして、私の初めての風呂介助は終了しました。
その後は一二回風呂介助を経験し、それ以降は制限も緩和されやっていません。
一応知識としていつまたそんな機会があってもいいようにと、動画で介助の仕方を見てみたり、父が一人でも体が洗いやすい自助具はないかと研究は続けています。
一つ一つの経験、知識を、人は自信に繋げていくんですもんね。
なーんて言っても所詮は付け焼き刃の知識。
次にやったらまた初心に戻って、手際の悪い介助になる自信ならありますよ!!
しかし実家の風呂。
ーー なんでタオルかけの20cmぐらい下に、同じような色、同じような太さの手すり付けたん?
最初見た時、我が家はそんなにもタオル掛けが必要なのかと思いましたよ。
まさかそんな場所に手すりがあるなんて想像もしなかったけど、あれが最善だったのか? 母よ…‥。